せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

神戸の「中国」を歩く(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、神戸の中の「中国」 を歩いてみたいと思います。

神戸華僑歴史博物館

南京町の西安門から南に歩くと、「神戸華僑歴史博物館」の文字が。
ビルの2階には神戸における華僑の歴史を伝える博物館があります。
小さな博物館ですが、展示はなかなか興味深い内容です。
個人的に面白かったのが華僑とマッチ産業のつながりに関する展示。今では播磨や淡路島がマッチの主要生産地ですが、かつては神戸が製造の中心でした。その背景には、華僑の活躍があったとのこと。

関帝廟

華僑博物館から15分ほど山手へ歩くと、唐突に表れたのは中華風の寺院。
こちらは関帝廟
「三国志」の武将・関羽を祭る寺院です。
関羽はもともとは武神として信仰されていたようですが、義理堅い人物像や、塩の密売に関わった、算盤を発明したなどの伝説から現在では商売の神として信仰されています。世界各地の中華街では欠かせないものですが、神戸ではなぜか少し離れたところにあります。

関帝廟の境内 

境内は中華一色の景色。
日本の寺院にはない雰囲気で、海外旅行に来たような気分になりますね。
こちらでは、神筈(しんばえ)という三日月型の神具を投げて吉凶を占う中華風のおみくじができるということで楽しみにしていたのですが、時間帯が悪かったのか、境内は無人で体験できませんでした。

この関帝廟は昭和22(1947)年、神戸に住む中国人によって建立されました。もともとは京都の黄檗山萬福寺の末寺だったとのことですが、今は無宗派の寺院となっています。
南京町などの神戸観光のメインからは少し離れたところにあるのですが、神戸の中の「中国」を感じるには象徴的な存在ですね。

神戸の中の「中国」

神戸の中の「中国」を歩いてみましたが、いかがでしょうか。

気づけば今日は大晦日。
今年一年、「せっつ・はりま歴史さんぽ」をご覧いただきありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

では、みなさまどうぞよいお年を。

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神戸の「中国」を歩く(前編)

投稿日:



師走の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽電車台湾鉄路管理局との姉妹鉄道協定を締結し、盛り上がっているところ。
歴史部も台湾遠征! …と言いたいところですが、そういうわけにもいかないので、神戸の中の「中国」を歩いてみることにしました。

長安門

まず訪れたのは阪神電車の元町駅にほど近い中華街「南京町」
南京町の東の入り口は「長安門(東楼門)」です。
いかにも中国という雰囲気の楼門は、大陸の河北省石家荘産の大理石を用いた石造りです。

中国仕様!?

門の傍にある自動販売機やコンビニも中国仕様。
気分が盛り上がってきますね。

中華街

門をくぐると、飲食店が建ち並んでいます。
台湾つながりで来たわけで、台湾系の店も数多くあるのですが、上海や福建などの店も目立ちます。

南京町の歴史は明治元(1867)年の神戸開港に始まりました。開港後、現在の元町周辺に外国人居留地が設けられ、多くの外国人が居住するようになりました。しかし、当時中国を支配していた清国は開港に関する条約(安政五カ国条約)を締結しておらず、中国人は居留地に隣接する土地に住むようになりました。この中国人街が南京町の始まりと言われています。

路地を覗いてみる

飲食店が建ち並ぶメイン通りから路地をちょっと覗いてみると、より中国っぽい雰囲気。夜に来てみればまた違った風情を味わえるかもしれません。

南京町広場

街の中ほどにあるのは南京町広場と呼ばれる広場。
東屋が設けられていて、観光客が休んでいました。

居留地に隣接した中華街が「南京町」と名付けられ整備されたのは戦後になってから。昭和52(1977年)に南京町商店街振興組合が設立され、様々な面で整備が始まりました。この南京町広場も戦後に整備されたものです。現在は、神戸随一の観光地として賑わっています。

西安門

ゆっくり歩いていたつもりですが、気づけば西端の西安門にたどり着いてしまいました。南京町を満喫したところですが、神戸の中の中国はもちろんこれだけではありません。
次回、もう少し、神戸の中の中国を巡ってみたいと思います。

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曽根を歩く(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回は山陽曽根駅から曽根天満宮を訪ねてみましたが、今回は曽根天満宮の北側に広がる曽根の街を歩いてみたいと思います。

曽根の街並み

曽根天満宮の北側には曽根の街並みが続いています。
新しい住宅が建ち並び、古い街並みが続いているというわけではありませんが、所々に古い木造の建物が残されています。二階の窓に手すりがある住宅は旅館か何かだったのでしょうか。

旧入江家住宅

町の中心にそびえる邸宅が旧入江家住宅。
この地の大庄屋・入江家の屋敷で、時折、自治体などの主催で公開が行われていますが、基本的には非公開。この時も、大きな長屋門を眺めるだけでした。

曽根は古くからこの地にあった曽根天満宮の門前町とともに中世以降は製塩業の町として栄えました。江戸時代初期までには海岸線に広大な塩田が形成され、曽根天満宮の門前まで塩田が広がっていたと言われています。

周徳寺広場

集落の中を歩いていると、「周徳寺広場」なる広場がありました。廃寺の跡を転用したものとのことで、中には集会所などが建ち並んでいます。

非常に栄えた曽根の製塩業ですが、他の塩業地と同様に戦後にイオン膜法による工業製塩が開始されると廃れていきました。
塩田の跡は工場や住宅に転用されていきましたが、一部には空地となって残っています。

曽根天満宮より

再び、曽根天満宮へ。
門から参道を望むと、穏やかな街並みが続いていました。
この辺りにも、この町の発展を支えた塩田があったのかもしれません。

かつての塩業の賑わいに思いを馳せながら、山陽曽根駅への帰途に就くことにしました。

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曽根を歩く(前編)

投稿日:



季節はすっかり冬になってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽曽根駅

今回のスタートは山陽曽根駅
三角屋根の妻のローマ字表記の駅名がやけに目立っていますが、もちろん、ここは日本です。

曽根天満宮の参道

駅前にそびえるのは曽根天満宮の鳥居です。
鳥居の向こうに続く参道は一段高い位置に車道と分けられて設けられています。
鎌倉・鶴岡八幡宮段蔓(だんかずら)のようで面白い光景ですね。車道と分けられたおかげで参道には昔ながらの雰囲気が残されています。

曽根天満宮

参道を歩いて程なく、曽根天満宮に到着しました。

曽根天満宮は延喜元(901)年に菅原道真が九州・太宰府へと左遷される途中伊保港に立寄った際に松を植えたことを始まりといています。その後、道真の子とその家臣がこの地を訪れ、社殿を建立しました。前回の板宿も道真ゆかりの地でしたし、道真の足跡をたどっているようですね。

霊松殿

道真が植えた松は霊松「曽根の松」と呼ばれるようになり、900年近くこの地で大切にされてきましたが、江戸時代の寛政10(1798)年頃に枯れてしまいました。現在は五代目の松が植えられているとのことです。また、枯れた初代の幹は境内にある霊松殿に保存されています。

注連縄作成中

境内では、年末に取り替えるためのものなのか、「畿内一の大注連縄」を作成中でした。
訪問時は藁が積み上げられて何が何やらという状態だったのですが、もうしばらくすれば本殿の軒先にお目見えすることでしょう。

非常に古い歴史のある曽根天満宮ですが、戦国時代、豊臣秀吉の播磨攻めの兵火で社殿は焼失してしまいました。
しかし、その後は大名などの庇護を受けるようになり、また、「曽根の松」が「播州松めぐり」の松の一つとされ、観光スポットとしても注目されるようになり、栄えました。現在では布団屋台の練り合わせなどで知られる秋祭りでも注目されていますね。

曽根天満宮を見て回ったところですが、曽根の街並みは神社の北側に広がっています。
次回は曽根の街並みを訪ねてみたいと思います。

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板宿の歴史を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、妙法寺川の下流に開けた板宿を歩いてみたいと思います。

板宿八幡神社

板宿の街を見下ろして佇むのは板宿八幡神社
意外に小ぢんまりとした、落ち着いた雰囲気の神社です。

飛松天神社

境内にはたくさんの幟を掲げた神社がありました。
こちらは飛松天神社
八幡神社の摂社かというところですが、非常に古い歴史があり、板宿の地名の由来にも関わっている神社です。

平安時代、都で左遷されて九州の太宰府へ流されることになった菅原道真がこの地に立ち寄った際、村人が簡素な板作りの宿を作ってもてなしたことが板宿の地名の由来とされています。また、こちらの飛松天神社に祭られている松の切株は道真を慕って都から飛んできたものだとされています。この地名伝説は創作との説が現在は有力なのですが、永延元(987)年に道真と八幡神を祭った社がこの地に築かれ、今の板宿八幡神社へとなりました。

勝福寺

板宿八幡神社から住宅地の中を歩いていくと、勝福寺という寺院にたどり着きました。
こちらは板宿八幡神社創建の翌年の永延2(988)年に建立された歴史ある寺院です。藤原伊尹の三男の藤原英雄丸なる人物が鹿松峠(かのししまつとうげ 現在の神戸市長田区鹿松町付近)に出没した鬼人を退治したのちに建立したという縁起があります。
平安時代、平清盛が大輪田泊築造の際に築いた人工島・経が島の工事にこの寺の宗徒が協力したとされ、寺の中にはこの時に清盛から寄進された仏具が保存されています。

紅葉のトンネル

勝福寺への坂道は桜並木になっていて、今の季節は紅葉のトンネルになっていました。春の花の時期には桜のトンネルになっていることでしょう。

百耕資料館

最後に板宿の街中で立寄ったのが百耕資料館です。
こちらでは板宿の旧家・武井家に伝わる文書の展示を中心として板宿の歴史を今に伝えています。

板宿村の雰囲気

百耕資料館の前の路地はこんな雰囲気。
水路がめぐらされていて、何とも趣があります。 かつての板宿村の集落の中はこのような景色が広がっていたのでしょうか。

賑やかなだけではない、長い歴史のある板宿の街を満喫してから帰途に就くことにしました。

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