せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

新駅舎工事中・大塩を訪ねて(前編)

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青葉の季節、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

大塩駅

山陽電車で着いたのは大塩駅です。
大塩駅ではバリアフリー工事中で、ホームが改良されるとともに、新しい橋上駅舎を建設中でした。小さなかわいらしい駅舎もあと少しでお別れですね。

妙経寺

駅の山側には大塩の集落が広がっています。
建てこんだ屋並みの中には大きな屋敷の屋根が見え、路地の奥には寺院が佇んでいます。この妙経寺もその一つで、趣がありますね。

明泉寺

大塩の街中を歩いていると、大きな寺院がありました。こちらは明泉寺です。

大塩はその名の通り、製塩業で栄えた町でした。山陽電車の線路の浜側、現在は姫路大学のキャンパスがある一帯には塩田が広がっていました。一方、山陽電車の線路の山側には製塩業で栄えた大きな屋敷が建ち並ぶ集落が広がっています。

明泉寺の境内

明泉寺は大塩地区最大の寺院といわれ、非常に立派な堂宇が建ち並んでいます。かつての大塩の製塩業の繁栄のおかげでしょうか。

次回はもう少し、製塩で栄えた大塩の町を歩いてみたいと思います。

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伊保崎を歩く(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、伊保崎を歩いてみたいと思います。

延寿寺の境内

延寿寺の境内は緑があふれ、広々としていました。

寺の街の景色

延寿寺を出るとこんな景色。白い塀が続く景色はどこか奈良や京都のような雰囲気を感じます。古い地図でもこの辺りには寺院が集まっていて、小さな寺町のような雰囲気だったのかもしれません。

真浄寺

延寿寺のすぐそばにあったのが真浄寺です。
こちらも延寿寺と並び、伊保崎の町を見守ってきた寺院ですが、こちらは併設された保育園が目立ちます。

網堂

さらに伊保崎の街中を歩いていると現れたのは小さなお堂の網堂です。

先日訪れた播磨の善光寺こと時光寺時光上人なる人物が創建したとされています。この時光上人はもともと源経家と名乗る武士で鎌倉幕府に仕えていましたが、寛元元(1243)年に出家しました。経家は摂津の寺院を経てここ伊保崎村にあった心光寺で修業を積むこととなります。その心光寺があったのが、この網堂であるとされています。

網堂の境内

住宅地の中に佇む網堂には春の穏やかな日差しが差し込んでいました。

のちに廃寺となった心光寺の跡地には、時光上人が時光寺の阿弥陀如来像を海中から引き上げた際に使った網が埋められ、その名も「網堂」と呼ばれるお堂が築かれました。ちなみに、このお堂の中には古墳時代の石棺の蓋石に室町時代に地蔵立像を刻んだ石棺仏が納められています。

法華山谷川

網堂から少し歩くと法華山谷川に出ました。

住宅地の中に眠る史跡は、古くからこの地の物流を支えたこの川があったからこそ生まれたものだったのでしょうか。また大変な世の中となってしまいましたが、今こそ、身近なスポットに目を向けてみる機会なのかもしれません。

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伊保崎を歩く(前編)

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木々にも若葉が萌出るこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

伊保駅

山陽電車で着いたのは伊保駅
この時は「山陽電車×山陽バス×神戸市交通局 つながるヘッドマークSNSキャンペーン」のヘッドマーク掲出電車がまだ運行をしていました。三社局のキャラクターがデザインされたヘッドマークは賑やかで楽しいですね。

伊保の街並み

伊保駅を出ると伊保の街並みが続きます。もともとの伊保の街は今の駅前の北東に広がり、法華谷川の対岸の今市や中島などの集落と合わせて伊保村を形成していました。

伊保を行く

かつての伊保の集落に入ると、狭い路地が続きます。

現在は住宅が広がっている伊保ですが、中世には「伊保荘」と呼ばれる荘園でしたが、近世には法華谷川と洗川の河口に近いことを生かして特産の竜山石を始めとした物資を運ぶ舟運の拠点となり、栄えたと言われています。法華谷川の対岸は幕領でやはり舟運で栄えた今市で、法華谷川はきっとたくさんの船が行きかい、今では考えられないくらいに賑やかだったのでしょうね。

延寿寺

伊保の街中に鐘楼の載った門が印象的な寺院がありました。
こちらは延寿寺です。古い地図にも寺院が記されていて、地域の中心的な寺院だったのでしょう。

静かな住宅地になった伊保ですが、長い歴史を持った町です。
次回、もう少し歩いてみたいと思います。

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播磨の善光寺と山陽道・高砂市阿弥陀を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、高砂の阿弥陀を歩いてみたいと思います。

薬師堂

街道沿いを歩いていると薬師堂がありました。江戸時代に建立されたというお堂で、街道の風情を残す町並みに溶け込むように佇んでいました。

時光寺

住宅地を歩いていくと、趣のある山門が姿を現しました。
こちらは時光寺です。

時光寺の境内

趣のある山門をもつだけあって、時光寺の境内は広々としていました。

時光寺は鎌倉時代の建長元(1249)年の創建と伝わっています。時光上人なる人物が阿弥陀如来を海中から引き揚げ、堂宇を創建したのが始まりとされています。この阿弥陀如来像は一体で見つかったわけではなく、二見から阿閇・高砂・福泊・妻鹿…と色々なところから頭や足が引き揚げられたという話が伝わっています。ただし、この時、右手だけは見つからなかったそうで、魚を救うために右手は海中に残ったままといわれています。

戦後記念大仏

境内には戦後記念大仏がありました。なお、ここでいう「戦後」は太平洋戦争ではなく、日露戦争を指します。

もともとは曽根天満宮の西側にあった時光寺ですが、のちに文永10(1273)年に今の場所へ移りました。この時、北原の宿と呼ばれていたこの地を「阿弥陀の宿」と呼ぶように改められたそうです。不思議なありがたい地名はこの時光寺に由来していたのですね。ちなみに、この時光寺は「播磨の善光寺」とも呼ばれていて、この寺に三回参拝すれば信州・善光寺に一回参拝したのと同じご利益があると言われています。

時光寺を眺める

静かな時光寺の境内を眺めてみます。

不思議な地名の街に佇む時光寺。「播磨の善光寺」と呼ばれるだけでなく、不思議な伝説に彩られた古刹でした。これからの気候の良い季節、電車に乗って訪ねてみてはいかがでしょうか。なお、お出かけの際は十分な感染症対策をお願いします。

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播磨の善光寺と山陽道・高砂市阿弥陀を訪ねて(前編)

投稿日:



春も深まりゆく頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

曽根駅

山陽姫路駅からJRに乗り換えて着いたのは曽根駅
山陽電車にも山陽曽根駅がありますが、こちらは曽根の街からはかなり山側に入った位置にあります。

陸橋下の道標

駅のすぐそばの陸橋の下にはたくさんの道標が佇んでいました。どれも興味深いことが描かれていますが、ひとまず左に向かうことにしました。

阿弥陀町阿弥陀の街並み

駅の周辺に広がるのは阿弥陀町の街並みです。この地区は阿弥陀町阿弥陀という地名で、何だかありがたい気分になる町ですね。

先ほどの道標に「左 おうくわん」(=往還)と書かれていましたが、こちらはかつての山陽道でした。古い地図を見てみると、山陽曽根駅の北側の曽根の街とは別に、街道沿いに阿弥陀の街が広がっていたことがわかります。今は住宅街になっていますが、どこか街道の風情を感じることができますね。

地蔵院

街道にあった道標に導かれてたどり着いたのが地蔵院です。阿弥陀の町にはこうした寺院やお堂が数多くあります。だから「阿弥陀」という地名なのかと思いますが、そうではありません。
次回は「阿弥陀」の由来を訪ねてみたいと思います。

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