こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、垂水区の多聞を歩いてみたいと思います。
山田川沿いに歩いていくと、緑に囲まれた立派な門が姿を現しました。こちらは多聞寺の仁王門です。
訪れたとき、境内の一心池・弁天池には一面、杜若の紫色の花が咲いていました。
多聞寺は杜若の名所として知られ、毎年ゴールデンウィーク明け頃から5月の中下旬頃まで、こうして鮮やかな花を楽しむことができます。今回、訪れたときは花が終わりかけでしたが、盛りの時期には杜若と躑躅が境内を彩ります。閑静な住宅街の中で別世界のような景色が広がります。
杜若の咲く池の向こうには本堂がそびえています。創建時の本堂は焼失し、現在の建物は江戸時代に再興されたものです。
垂水区に佇む多聞寺は古い歴史を持っています。創建は平安時代の初めで貞観年間(859~877年)頃、慈覚大師円仁によるとされています。前回も歩いてきた通り、中世には多くの僧坊を抱える大寺院となり発展しましたが、戦国時代の三木合戦の際に多くの僧坊が焼かれたそうです。近世には再興しましたが、今では西方院が残るのみとなり、かつての寺領には住宅が広がるようになりました。立派な本堂が佇む多聞寺の境内の趣には当時の隆盛を感じることができます。
多聞寺を後にして山田川沿いに歩くと、川沿いに鳥居が佇んでいました。こちらは多聞六神社です。
森の中を長い石段を上ると社の前に着きました。住宅開発が広がる垂水区の中で、先ほど訪れた多聞寺やこの多聞六神社の周辺は緑が残されています。
多聞六神社の創建時期はわかっていませんが、六柱の神が祀られ、村の鎮守として信仰を集めていました。明治37(1904)年には多聞寺の境内にあった日吉神社を合祀しています。
多聞六神社を後にして神社のある丘の麓を流れる山田川を眺めてみました。学園都市駅に近い高塚山から多聞と舞子を流れ播磨灘にそそぐ山田川は、多聞寺、多聞六神社とともに移り変わっていく街の景色を眺めてきたのでしょう。垂水に残された緑あふれ、花々が彩る社寺を、山田川に沿って歩いてみてはいかがでしょうか。