楽しいむ〜さん一家

元山陽バスの車両を鹿児島に追う!(前編)

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山陽バスで活躍した車両が第2の職場で活躍する姿は、以前より機会があればご紹介していますが、む~パパ、今年鹿児島へ行く用事が出来たこともあって、7年前のリベンジを果たすことにしました。
ちなみに山陽バスOBの活躍はこちらでご紹介しています。
 日本で最も有名になった(?)山陽バス
 【意外に近くで】山陽バスOBの活躍!
 【さよならキュービック】松本で見かけた山陽バス
 鹿児島で活躍する元山陽バス
 【キュービック】宇部市で活躍する元山陽バス
 宇部市で活躍する元山陽バス(その2)
 【札幌】北の大地に生きていた山陽バス

7年ぶりに鹿児島の地に降り立ったむ~パパ。今回の目的地はさらに南へ。

その地とは加世田。かつて南薩鉄道(のち鹿児島交通)の本社・車庫等が置かれた拠点駅で、現在は鹿児島交通の車庫となっています。今回、はるか遠い鹿児島へやって来た神戸のバスたちを訪ねました。なお、旧社番等の情報は「楽しいむ~さん一家」のオリジナルではなく「バスフォーラム鹿児島」等で公開されている他の方のホームページから得たことを、あらかじめお断りしておきます。

鹿児島交通1173号車。元山陽バス2693号 いすゞKC-LV280L(いすゞバス製造)1996年式。懐かしいキュービックバス。名谷線で活躍した車両です。前バンパー角部に付いているコーナリングランプをあえて付けなかった特注仕様。給油口も下半分だけステンレスで補強しているのは1996年前期納入分の特徴です。(2024.7.14 加世田営業所)

側面。前後どちらにも方向幕が付けられるよう工夫された窓配置は、山陽バスの特徴の一つ。この車両は当時前乗りだった名谷線用のため、当初は前部に方向幕が付いていましたが、後に後部へ移設されLED化されたと記憶します。屋上のラインデリア配置と合わせ、見る人が見れば「山陽バス」としか思えない仕様がてんこ盛りです。(2024.7.14 加世田営業所)

後ろから。これまた山陽バス名谷線用車にのみ付いていた特注2灯大型バックライトとバックカメラが目を引きます。同じ山陽バスでも舞子線用(1000番台)は標準の四角いものが付いており、バックカメラもありませんでした。灯油暖房も山陽バスならでは。現在使用されていないものと思われますが、給油口はまだ残っていました。(2024.7.14 加世田営業所)
さて、泊まったホテルは電車通りに面した「撮り放題」部屋。雨の鹿児島市内で市電の屋根を撮っているつもりが、並んだバスは元山陽バス。ラインデリアが4つ並び、マーカーランプが残った仕様は遠い鹿児島の地でも山陽バスらしさを発揮していました。(2024.7.15 鹿児島市内)
こちらは同じキュービックですが神戸市バスからの移籍車両。いすゞKC-LV280L(いすゞバス製造)1999年式。同型式ですが窓配置や細部仕様が山陽バスとは異なります。(2024.7.14 加世田営業所)
こちらも神戸市バスから来たキュービックですが、神戸北町と三宮を結ぶ64系統用の「ロングバス」で、少し車体が長いもの。塗装も緑のいわゆる神戸市バスカラーではなく、青い車体に星が降るデザインでした。いすゞKC-LV280N(いすゞバス製造)2000年式。(2024.7.14 南さつま市内)
神戸市バスからは西日本車体の車両も移ってきていました。元は松原営業所に所属した813号とのこと。日野KC-HU3KLCA(西日本車体)2000年式。(2024.7.14 加世田営業所)

加世田営業所には、山陽バスや神戸市バスから来た前後扉のキュービックバスなどがまとまって在籍していました。では次回、実はむ~パパが本当に見たかった元山陽バス車両との出会いをご紹介しましょう。(続く)

【お宝発見!】山陽電車のアルミカー記事

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む~パパ、先日久しぶりに板宿の鉄道模型バー「日乃電」さんにお邪魔したのですが・・・。

山陽電車の模型が増えています。3000系アルミカーは登場時の姿を再現。上に載っている製作中の3000系は何号になるのでしょうか・・・?

さてさて、お店で「お宝」の雑誌を見つけました。

「模型とラジオ」1962年10月号。須磨浦公園付近でしょうか。日本最初のアルミカーである山陽電車2000系2012号(姫路寄り先頭車は2013)が表紙を飾っています。

「模型とラジオ」は、Wikipediaによると1955年から1984年まで刊行されていた子供向けの工作科学雑誌で、鉄道模型をはじめトランシーバやラジコンといった工作記事が掲載されていた、とのこと。当時の子供たちの創作意欲をくすぐった有名雑誌に山陽電車が表紙を飾った号があったんですね~。

中には車両の紹介記事が。屋根が写っているのはやはり模型製作を意識されているのでしょう。社章が上下逆に掲載されているのはご愛敬。同ページには神戸電鉄310形の写真も。こちらは1000系シリーズへつながる基点となった車両ですが、この時代の川崎車輛製電車は山陽・神鉄とも同じような顔をしているのが興味深いです。
Oゲージでこの2012号を作る製作記事もあります。模型の写真を見るとドア間の窓が1つ少ないような気がしますが、これが当時の大らかさと言うべきなのかも知れません。
実車の側面写真が添えられています。こちらは山側。
浜側の写真もあり、現在の「とれいん」誌に通じる模型ファンのための雑誌だったことがよく分かります。
この記事を読むだけで、誰でも山陽2012号が作れるような気になります。「気になるだけ」で実際はそんなに簡単に模型の電車が作れるわけはないのですが、当時の模型少年はこういった雑誌を、それこそ穴のあくほど眺めて夢をふくらませていたのです。しかし、アルミカーの「うろこ模様」をあっさり「スクリーントーン」で表現してしまうあたり、意外に新しい技術も積極的に採用していることが分かります。

ご覧になりたいという方は「日乃電」まで。

【2010号】山陽電車史上最高のロマンスカー

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前回、東二見車庫で撮影された写真のうち、現役を退いた後もそのまま留置されていた2000系2010号。ロマンスカーとしてさっそうと登場したときの姿をご紹介します。
※写真は全て山陽電車OBが撮影し所蔵しておられたものです。

現役最終時の2010号(2010-2500-2011)。先日ご紹介した廃車後と同じ姿です。む~パパ世代ではこの姿で走っていた印象が強く、1編成しかなかったので、いつも見るのにいざ撮ろうとすると苦労したのを思い出します。この頃になるとすでに車内はロングシートで、普通列車専用でした。(ロマンスカー時代は記憶にありません。)

1960(昭和35年)、山陽電車初となるステンレスカーとして登場した2500号。先頭車2010-2011より半年ほど早く完成し、在来の2000系に挟まって運用されました。写真は2006-2007の間に挟まっている2500号の姿ですが、2010号登場前の半年間のものなのか、その後よく中間車を差し替えて運用していた時のものなのか、本当のところはっきりしません。

こちらは3両が揃い、公式試運転に出た時の姿。大きなケースに収められた1灯のヘッドライトは当時の国鉄電気機関車EF60と同じ形のものです。方向幕はまだ付いていません。
2010号の側面。当時はステンレス製の車両は極めて珍しく、銀色の電車自体ほとんどの人は見たことがなかったと思われ(注:戦後すぐに航空機材料ジュラルミンを外板に使用した銀色の電車はありましたが腐食により長持ちしませんでした)、ものすごいインパクトがあったものと思われます。台車も空気ばね付きのもので、フワフワして乗務員が酔ったというくらい柔らかな乗り心地だったとか。む~パパ、この写真を見ていて、中間車2500号とは窓回りの仕上げが違っている(2500号は梨地になっていた?)ようにも思うのですが、よく分からず謎のままです。
2010号の車内。扉間は転換クロスシートを配置したいわゆるロマンスカーでした。この前年に登場した2008号から移してきたという話です。1948(昭和23)年、戦後日本初のロマンスカーを走らせた山陽電車の最高峰とも言える豪華車両でしたが、この頃よりラッシュ時の混雑が激しくなって、このような車両では運びきれなくなってきました。実際、この次に登場する2012号(日本初のアルミカー)からは3扉ロングシート車となり、クロスシートの車両は5000系まで登場しませんでした。また、2扉の車両はこれが最後となりました。
2010・2011号には1両に2か所、換気扇が設けられていました。写真は車内側。この後、3000系の非冷房車に至るまで、同じ換気扇が採用され続けることになりました。
2011号の運転台。2000系はブレーキ方式が後に登場した3000系とは異なっており、今から思えば取り扱いの難しいものでした。ブレーキ弁が少し斜めに付いているのが特徴的です。また、当時架線電圧が600Vだった阪急・阪神両線へ乗り入れることが出来るよう、600/1500Vの両方で走ることが出来る複雑な制御器を積んでおり、故障に悩まされたといいます。
明石車庫(西新町)で休む2010号。1960年当時としては非常に先進的な意欲作で、この車両が銀色に赤帯を巻いていたことから、山陽電車のイメージカラーが「赤」になったと言っても差し支えないエポックメーキングな車両でもありました。

過去に活躍した山陽電車については、資料を基にできる限り正確に記載するよう努めますが、誤り等ございましたらご指摘いただければ幸いです。

【1997年】車庫で見かけた車両たち【東二見】

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5030系が登場した1997年。車庫では今では見られない車両たちが写っていました。む~パパの記録からご紹介します。

当時は普通列車用として活躍していた3000系3000号。山陽電車の社内では「3000ちょうど」と呼ばれていました。前面の帯は冷房が付く前から太くなっていました。
同じ編成を姫路寄り3600号から。引退前、前面は方向幕が付いた直後の時代に復元していましたが、今から思えば、写真のこのスタイルで活躍した時期も結構長かったと思います。
リフレッシュ工事前の3020号。冷房改造と新塗装化が同時に施工された編成です。3020号と3204号は集中型クーラー搭載ながら妻面に開閉式の窓がある原型スタイルでしたが、これ以降(3014号など)は冷房改造と同時に固定式に変わっています。この3020号はリフレッシュ工事の際には固定式に改造されたため、現在区別は付きません。写真の3両目には2000系から改造された3550形の姿が見えます。「潮干狩」ヘッドマークが懐かしいですね。
3550形3558号。元は2000系2003号で姫路寄り先頭車でした。2扉のロマンスカーでしたが、付随車となり車体中央に扉を増設しロングシート化、により3000系に組み込まれています。元の運転台部分がそのまま残っており、非常に魅力的です。写真は山側。
3558号。こちらは浜側。2000系時代は隣の車両と広幅貫通路で結ばれていましたが、3000系に合わせ狭く改造されています。こういった改造車両が鉄道ファンの心をくすぐるのです。このとき2000系から外した6両分のモーターが3200形へ流用されています。
当時は廃車になった車両が車庫に並んでいる姿を見ることができました。写真の2000系2010号もその一つ。登場時は転換クロスシートを配置したロマンスカーで、車体はステンレス製(外板のみステンレスのいわゆるセミステンレスカー)。山陽電車ではこの2010号と2014号がステンレス製でした。この車両については別途ご紹介します。
山陽電車ではかつて貨車も多く保有していました。すでに廃車後の写真ですが、この「クト60」は無蓋貨車で運転台が設けられており、写真の60号は、救援車10号と編成を組んでいました。元々は電動貨車と同じ茶色で塗装されていましたが、救援車となった際、10号と合わせてブルーに変更されています。同型で61号もいましたが、一足先に廃車になっていたと記憶します。

【1997年】5030系登場時の記録【東二見】

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1997年3月と言いますから今から27年前のこと。現在も直通特急で活躍する5030系がデビューしました。当時は「鉄道フェスティバル」もなく工場見学の機会はあまりありませんでしたが、車庫内の見学は手続きを踏めば可能だった時代に、む~パパ、東二見車庫で写真を撮っていました。ピカピカの新車だった5030系の姿をご覧ください。

まだ本線に出ていない搬入直後の5631号。6号車となる姫路寄り制御車です。山陽電車ではすでに6両編成の特急が走っていましたが、最初から6両編成として登場したのは5030系が初めてとなります。
検車庫から半分出ている5号車5250号。まだシートにビニールがかかっています。車体もピッカピカの銀色で、無塗装ヘアライン仕上げのアルミカーがこのような姿なのは新車のときだけでしょう。Nゲージで発売された模型もここまでの輝きはなく、灰色っぽくなった現在の姿を再現しているようです。
2号車5230号。当時のことはよく覚えていませんが、こんなにピカピカだったかな・・・。今から思うと信じられない反射ですね。
1号車5630号。神戸・大阪寄りの制御車です。こちらに向いた先頭車がモーターのない制御車となったのは山陽電車史上初(戦時中の混乱期はともかく)でしょう。
写真撮影時は、まだ追加部品を付けたりしていて本線に出たのはもう少し後だったかと思います。直通特急が登場し、大阪で山陽電車が見られるようになるのは、この翌年2月のことでした。

次回は東二見車庫で見かけた、この頃の山陽電車の姿をお届けします。

【ふたば学舎】Oゲージ鉄道模型の公開運転会

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戦前の小学校舎を利用した「ふたば学舎」。以前もこちらでご紹介しましたが、先週末Oゲージ鉄道模型の公開運転会がありましたので、ここでご紹介します。

旧二葉小学校舎を活用した「ふたば学舎」3階中央の講堂部分が今回の会場です。
Oゲージというのは縮尺45分の1(日本型の場合)の鉄道模型です。以前は鉄道模型の主流でしたが、HOゲージ(ハーフのOゲージという意味)、Nゲージと市場がだんだん小さいサイズに移行して現在に至ります。今回はさすがに大きなOゲージ。大きな講堂を広々と使って線路を敷いています。
今回は阪神電車が多めのようです。8000系・1000系・5550系の姿が見えます。
阪急宝塚線380形(左)と並ぶのは阪神301形(右)。現在は3011形と呼ぶのが一般的ですが、1954年の登場時は301形と呼ばれていたようです。この模型は実物登場直後に製作されたもので、70年前のもの。モーター等は交換されていますが、今でも快調に走っていました。
大型模型ならではの室内工作。そんな昔に作られた模型とはとても思えませんが、少なくとも当時の阪神電車の色合いとか雰囲気を今に伝える貴重な資料と言えるでしょう。
架線集電のモジュールを駆け抜けるトロリーポールを付けた電車。やはり電車は架線から集電すると実感的です。アメリカから日本に持ち込まれたインターバン阪神電車。その祖である外山脩造氏が見た風景はこんな感じだったのかも知れません。
Oゲージはさすがに縮尺通りだと日本の家庭事情では厳しかったためか、当時の製品はショーティ(実物より長さを縮める)が多かったようです。この新幹線もずいぶん車体が短く作られています。こうした車両も違和感なく登場できるほど、Oゲージの世界は大らかだと言えます、

HOゲージでもなかなか敷居の高い鉄道模型。まずは走っている姿を見学するところから始められてはいかがでしょう。

【第24回】スルッとKANSAIバスまつりin京都

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早いもので昨年神戸で開かれた「スルッとKANSAIバスまつり」からもう1年。今年の会場は京都・梅小路公園。コロナ禍後初めて「来場者制限なし」で開催されました。
昨年の様子はこちら

会場は各社の物販ブース・ステージと車両展示エリアに分かれ、車両だけなら並ばずに見ることができました。む~パパ、物販ブースに入ろうと並んでいましたが、友人たちとだべっていたので長くは感じなかったとはいえ、会場に入るまでに1時間かかりました。途中でこの「山陽沿線ブログ」でもおなじみ「こよさん」にひょっこりお会いしました。
山陽バスは垂水区内~三宮間で使用される高速バス車両「日野セレガ」を展示。現在貸切車とともに見られる深緑色は、一般路線バスの旧塗装やボンネットバス時代から続いている伝統カラーです。
神戸市バスが展示したのは169号。何の変哲もない「いすゞエルガ」かと思いきや、現行モデルであるLV290N4では量産1号車だと言います。一瞬今のデザインになったエルガの1号車かと思いましたが、マイナーチェンジ車では、ということで・・・。
阪急バスは復刻塗装車を展示。現在と同じ色使いながら塗分けパターンが異なります。かつて阪急バスで大勢力を誇った西日本車体(西鉄系)も廃業して久しく、数は減る一方。そろそろ本腰を入れて記録すべき時期に来ているのかも知れません。
近鉄バスも復刻塗装車が登場。近鉄はこの後2度塗装が変わって現在に至っています。む~パパ、子供のころ(昭和50年代ですが)エキスポランドに行くのに当時モノレールが無かったこともあり、近鉄バスに乗って行きましたが、そうそう、このカラーリングでした。
高槻市営バスも復刻旧塗装車で。当時のモノコックボディにこのカラーはずいぶんローカルな感じがしたものですが、今の車体に塗ると意外にスマートかも。
江若交通は今年も観光マスクのブルーリボン路線車を展示。このバスまつりの展示車両では最も珍しい車両と思われます。経年から「今年は廃車になるのではないか」とファンをやきもきさせつつ、まだ現役のようですね。もっと落ち着いた場所できちんと撮りたいものです。
もちろん山陽電車も、
山陽バスも出店!
公園に展示される市電にも「祝バスまつり」の看板が見られました。

来年もまたどこかで開催されることと思います。今から楽しみですね!

【6/9まで】空海展で深淵なるマンダラの世界に触れる!【奈良】

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前から行きたいと思っていたのですが、会期末も近づいてきたので奈良国立博物館で開催中の「空海展」に行ってきました。空海生誕1250年を記念し、あの奈良国立博物館が「総力を挙げた」という展覧会。む~パパ的にちょっとこれは外せません。

近鉄奈良駅。山陽沿線からは阪神神戸三宮駅から始発となる奈良行きの快速急行で。神戸三宮駅では同じホームの向かい側でスムーズに乗り換えできます。フリーチケット「奈良・斑鳩1dayチケット」が便利でおトクな小旅行を約束します。

快速急行は直通特急の後を追う形で尼崎まで走り、阪神なんば線に入ります。西九条で多くのお客さまが降り、大阪難波で大半が入れ替わりますが、ここからはインバウンドのみなさまが目立つようになります。いろんな言葉が飛び交うインターナショナルな空間は、さすが奈良行きの列車だけのことはあります。

奈良公園を歩くことしばし。若草山を背景に建つ奈良国立博物館旧本館(現:なら仏像館)1894(明治27)年完成。重要文化財。
現在、国立博物館としての展覧会は写真の新館で開催されています。休日はチケットを買うのに長蛇の列ですから、入手できれば事前に用意したほうがスムーズに入館できます。
当然ほとんどの展示品は撮影できませんので、実際に見ていただくしかないのですが、マンダラ(曼荼羅)を立体的に現す仏像配置や、小学生にも分かるように解説された世界観が目を引きました。にしてもむ~パパ、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅って何が違うん?という疑問を大人向けの解説より小学生向けのほうが分かりやすかったという感じで、周囲の観客からも同じような感想が聞かれました。科学が発展した現代では、あくまで宗教であり思想なのですが、当時は国家を護る立派な科学でもあったのだと感じます。

と、まあ小難しい話は正直む~パパにもよく分からないので、見て感動したものを二つ。
一つは空海直筆のお経など。三筆と言われるだけあって美しく、またおおらかさを感じる筆跡に目を奪われました。書道に造詣があるわけではないのですが、人に訴えかける力のある文字です。で、どういうことが書いてあるのかはサッパリ分からないわけなんですが。でも国宝です。
あと一つは、空海が唐から持ち帰ったことが確実なものの一つ。小さな三面開きの「諸尊仏龕」という品。空海が唐に渡り運命的な出会いをした師匠の恵果阿闍梨から授かったという、それはそれは見事なものです。「これ、恵果からもらったんや!」というのもすごい話ではありますが、実物がこれ!いやもう、これは以前「国宝展」で本物の金印を見た時以来の感動かも知れません。こちらも国宝ですが・・・。

詳しくは公式ホームページで。会期は6/9までです。行きたい方はお急ぎを。

春になり子鹿がたくさん産まれています。見るなら今の季節なんでしょうね。
なんだかんだで3時間も博物館に滞在してしまいました。のどが渇いたので猿沢池のほとりで少しアルコールを充填(笑)。伝統的建築物が数多く残る「ならまち」界隈をぶらぶらお散歩して1日を終えました。う~ん、よく歩いた~。
帰りは奈良から急行に乗って大阪難波に戻ってきたのですが、すぐ後ろから同じく奈良を経由して「あおによし」が追い付いてきました。ちょっと奮発してこっちに乗ったら良かったかも。次は要検討です。

【創業110周年】淡路交通バスまつりに行ってみた

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5月18日(土)、創立110周年を迎えた淡路交通で初めての「バスまつり」が開催されました。む~パパ、お友だちと連れ立って久しぶりに淡路島に上陸、淡路市にある同社津名出張所を訪れました。

晴天に恵まれ暑いくらいの陽気。早速、車庫に向かいます。
イベントは午前2時間、午後2時間の2部制(イベント内容は同じ)。乗り方教室・クイズ・綱引き大会などお子様向けのプログラム。会場には路線バスなどが展示され中に入ることもできました。
会場には屋台も。バス停標柱を利用した案内は面白いですね。
この季節には新玉ねぎ。淡路島のどこに行っても売ってたりしますが、ここにも!
「乗り方教室」。「路線バスに乗ったことがない」ため「乗り方が分からない」という話は以前からありまして、子供たちにバスの乗り方を教えることから始めることが大切。まず第一のハードルを取り除こうということでしょう。
バスをそのまま展示室にして淡路交通の歴史を写真や資料でたどるコーナー。ワンステップバスのスロープを出してバリアフリーもアピール。

バス車内の「歴史館」から。110年前の1914(大正3)年に設立された淡路交通は、当時は「淡路鉄道」という鉄道会社でした。洲本~福良間23.4㎞を結び、第2次大戦後は電化され電車も走っていましたが1965(昭和40)年に集中豪雨により路線が寸断され、翌1966(昭和41)年、廃止となりました。

電車は個性派ぞろい。南海電車や阪神電車の中古車もいました。
バス事業は別の会社でしたが戦時統合で一緒になりました。左上の貴重なカラー写真でもお分かりのとおり、白と青のツートンカラーは変わらず現在まで受け継がれている「伝統カラー」です。残念ながら廃業した淡路タクシーも同じ青色でした。
110周年記念ポスター。鉄道やバスの懐かしい写真に彩られています。
淡路交通と言えば、かつて高速舞子~福良線など高速道路上を各停で走る路線に中央に扉を設けた全国唯一の特注エアロバスが多数活躍していました。写真は最後の1両。2019年まで活躍しました。三菱ふそうKL-MS86MP改 2001年式(2014.1.25 福良)

学園都市から津名・洲本へ、かつて山陽バスが淡路交通と共同運行していました。山陽バス担当便は神姫バスに変わりましたが、今でも学園都市駅前で淡路交通の車両を見ることができます。

今年もスルッとKANSAIバスまつり開催!6月9日(日) 京都:梅小路公園で。山陽バスも淡路交通も登場しますよ!詳しくはこちら

【福知山】貴重な阪急2800系唯一の完全保存車を訪ねる

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福知山から宮津へ抜ける国道176号線沿いにある喫茶店「ももの木」。その庭先に本物の阪急電車が鎮座しています。

保存用に敷かれたレール上に置かれた阪急電車。この2861号は京都線で特急車として活躍したロマンスカー2800系です。2800系は現在の阪急スタイルを確立した2000系シリーズのうち1964(昭和39)年に登場したもので、2扉の車体に転換クロスシートを配置、6300系登場まで京都線のエースとして活躍しました。

この2800系、6300系の登場後は順次3扉化・ロングシート化されましたが、極力特急時代の姿を残すよう配慮されたようで、中央扉を設置するにあたり2連窓を最大限残すため、その両側は戸袋窓としています。この写真では戸袋窓のブルーがよく分かります。(1990.5.17 阪急梅田)

ブルーの戸袋窓が今も残っています。下回りまで完全に現存する唯一の2800系と思われます。
※2801号も車体(一部)が阪急電鉄で保管されているそうです。
阪急電車らしい端正な顔です。2861号は長らく中間車として使用され先頭に出る機会がなかったこともあり、列車無線アンテナが装備されていません。また、先頭に出なかったためか運行標識掛けが昔の京阪スタイルのまま残っており、登場時のスタイルを残すものとして貴重なものと思われます。
現役時代の2861号を含む編成。手前の2811号から少し見えている3両目が2861号です。
(1990年 十三)