楽しいむ〜さん一家

【1998年】直特登場前夜の阪急六甲駅

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ふと手に取ったアルバムの写真をご紹介する気まぐれなシリーズ!(なんのこっちゃ)
今回は最近の写真だと思ったら、まもなく四半世紀前になりつつあることに気付いて驚いた1998年の写真を公開します。

1998年2月15日に直通特急が走り始める直前。日にちは失念しましたが1月末か2月初頭。すでに直特PRのヘッドマークを付けた5016号の6両編成が阪急六甲駅から折返しの御影駅へ向かいます。すでに24年以上前の風景。
「特急 阪急六甲」の方向幕と直通特急デビューのドア横ステッカー。
これがその時のドア横ステッカー(所蔵:む~パパ)。阪神電車8000系の赤胴塗装も懐かしいですね!
ホームの影が顔にかかる冬らしい風景とも言える六甲駅を通過する阪急7000系。まだマルーン一色の頃。有名な「Hマーク」が残っていたらしく、塗りつぶした下に現在の阪急マークが付けられています。
阪急六甲駅に到着した5000系。トップナンバー5000号の4両編成で、4号車5600号の床下を見ると予備MGが付いた原形を保っています。現在この床下配置を保っているのは5601号のみで、5600号はSIVが取り付けられ、浜側から見た配置は大きく変わってしまいました。いかめしい原型スカートが印象的です
ね。
阪急六甲駅を始発とする「特急 山陽姫路」表示。当時はいわゆる「パタパタ」が現役でした。
3000系も特急としてバリバリ活躍していました。出発を待つ姫路行き特急を追い抜く新開地行き特急。登場時は6連で須磨浦公園まで乗り入れていた8020号です。
この3000系3032号の3号車には2300系改造の3563号が組み込まれていました。元は2303号。2303号になる前は2706号でした。元々は先頭車だったので写真左側に乗務員室の形跡が残っています。

昨日のことのように思い出しますが、24年以上も前のこと・・・。む~パパ、年も取るわけです。

【東須磨】鷹取工場で整備されたSLたち③~王子動物園のD51 211号(鷹取工場製造番号1)

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神戸・王子動物園の外側から見える位置に設置された蒸気機関車D51。この機関車の特別な由来はご存じでしょうか?
最多の1115両が製造され、日本全国で活躍したデゴイチことD51。王子公園に保存された211号は、実は須磨区の鷹取工場で初めて製作された蒸気機関車なのです。
当時、蒸気機関車をはじめとする鉄道車両は川崎車輌など専門のメーカーで作られていたのですが、技術力向上を目指して国鉄工場内でも製作されるようになりました。須磨区の鷹取工場でも蒸気機関車の製作に取り組むこととなり、1938(昭和13)年、最初に作られたのがこのD51形211号なのです。「D51 211」のプレート下に「鉄道省 鷹取工場 昭和13年 製造番号1」の楕円形銘板が取り付けられています。この後も鷹取工場は多くの蒸気機関車を製造しましたが、記念すべきその第1号が王子動物園のD51 211号なのです。

ここで、かなり貴重な写真を公開しましょう。

1971(昭和46)年5月。王子動物園での保存のため、国鉄鷹取工場で整備されたD51 211の美しい姿。同工場では各地で保存される蒸気機関車の整備をしていましたが、このD51 211はこの工場で生まれた第1号の機関車であることから、やはり特別な思い入れがあったようです。(写真所蔵:国鉄OB)
鷹取工場の製造1号機ということもあり、王子公園へ送り出すための盛大なセレモニーが営まれました。多くの工場職員が同席のもと、風船が舞い、美しく整備されたD51は工場を後にしました。
(写真撮影・所蔵:国鉄OB)

鷹取工場に勤務する職員は、近隣社宅(国鉄アパート)に住んでおられる方も多く、最寄りの東須磨駅から山陽電車を利用する方も多かったそうです。山陽電車とも無縁ではない神戸ゆかりのD51。末永く大事に保存されることを祈ります。

【日本遺産】清酒の生まれた町・伊丹(後編)

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近代的な高層マンションが建ち並ぶ伊丹市中心部に、立派な町屋が建つ一角があります。2022年4月にオープンした「市立伊丹ミュージアム」の一部として保存された酒蔵「旧岡田家住宅」と市内近隣から移築保存された「旧石橋家住宅」です。
旧岡田家住宅正面。手前の店舗部分と奥の酒蔵部分を合わせ国の重要文化財に指定されています。店舗部分は1674年、酒蔵部分は1715年に建築されたものとされ、建築年代が分かる酒蔵では日本最古のものだそうです。
諸説ありますが、いわゆる「清酒」は、ここ伊丹で発明されたものとされます。最盛期は樽廻船により江戸に運ばれ人気を博しましたが、後発の灘五郷に追い抜かれてしまいました。多くの銘柄が他の土地に買い取られる中、現在でも「白雪」「老松」は伊丹で酒造りを続けています。

酒蔵部分には当時使われた酒造りの道具が展示されています。中では案内の方が付いて説明をしていただけますので、いろいろと見聞きすることが出来ます。この蔵、阪神大震災で倒壊したそうですが、耐震工事をした上で復元したとのこと。

伊丹郷町を東へ散策すると、JR伊丹駅すぐ手前に石垣や堀跡が見えてきます。有岡城跡です。
外側の石垣は公園化で作られたもののようですが、本丸跡には当時の石垣が建物礎石や井戸跡とともに残されています。
「官兵衛ゆかりの藤」織田信長に反逆した荒木村重に対し、説得に訪れた黒田官兵衛はこの有岡城に幽閉されてしまいます。その1年の間、官兵衛は藤の花を見て生きる力を得たという故事にちなみ、姫路城の藤を育てた子孫樹の藤棚が本丸の向かい側にありました。

思わぬところで姫路城から来た藤を見ることが出来ました。なかなか良いところです。

【日本遺産】清酒の生まれた町・伊丹(前編)

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阪急神戸線を塚口で伊丹線に乗り換え、数分で到着する終点・伊丹駅。かつて山陽電車に乗り入れていた6000系も活躍しています。
阪急伊丹駅正面。阪神大震災で全壊し再建されてからもずいぶん経ちました・・・。
伊丹は清酒発祥の地とされ、2020年、灘五郷と共に97番目の日本遺産として登録されており、観光地としても力を入れているところ。駅の玄関口に置かれた酒樽。
市内中心部には各所に案内板が設置されており、平坦な地形もあって散策に適しています。伊丹市街地は有岡城の城下町から発展したもので、台地部分を利用した総構えでした。阪急伊丹駅はその台地に沿った西側にあり、今でも中心部とは地形的に段差を生じています。有岡城と言えば、反乱を起こした城主荒木村重を説得するために行った黒田官兵衛が捕えられ、投獄されていたことでも知られます。

まずは、伊丹郷町と呼ばれる江戸時代からの市街地を歩いてみましょう。

旧有岡城総構えの北端に位置し、江戸時代を通じて地域の信仰を集めた猪名野神社。元は猪名寺内にあったものを現在地に遷座したものと言います。
さすが酒造りの町だけに手水も酒樽形。さすがに酒は出て来ませんでしたが(笑)。
境内には酒造家・商人の寄進した石灯篭が数多くあります。400年近く昔のものもあるそうです。写真のひときわ目立つ大きな石灯籠は、天保11(1840)年の銘がありました。

こうして歩いていると、伊丹が空港の町でもあることをすっかり忘れていまして、突然目の前の空を離陸直後の巨大な旅客機が横切っていく姿に驚いてしまいました。

次回は日本最古と言われる酒蔵建築を訪ねてみましょう。

【網干レトロ・モダン】久しぶりに街歩き(後編・山本家住宅)

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網干のもう一つのシンボルが興浜地区の中心にある旧山本家住宅。網干銀行頭取を務めた山本真蔵氏が建てた和洋折衷の建造物で、写真に見える望楼が存在感を示します。姫路市都市景観重要建築物第1号に指定。長らく非公開でしたが、現在は第1・第3日曜日に公開されています。(お一人300円の見学料が必要です。)
望楼部分。外からは分かりませんが、独立した塔のように建てられているのが分かります。
玄関を入ると、黒い外観とは対照的な明るい洋風の空間が広がっています。腰板は紅葉の木で統一されているとのこと。
天井にはめ込まれたステンドグラス。あちこちに凝った意匠が見られます。
洗面所の壁には京都から取り寄せたという貝合わせの貝が、数百枚埋め込まれています。一つ一つが美術工芸品!
望楼から西方向。ここに上らせてもらって、む~パパ、大興奮!
山本家のはす向かいにある魚屋さん。この2階部分は山本家の離れだったそうで、どうやったのかは分かりませんが、曳家で持って来たのでしょうか。にしても2階部分とは・・・。

いろいろと魅力的な建物です。是非ご訪問ください!

【網干レトロ・モダン】久しぶりに街歩き(前編)

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山陽電車および豊橋から続く私鉄ネットワーク最西端の駅、山陽網干。む~パパ、久々に降り立ちました。今日は街歩きする気満々です。
網干と言えばレトロな街並みとモダンな近代建築が残り、散策し始めると丸1日使ってしまう魅力的な町。意外に知られていないのが、実にもったいないです。
網干のシンボルとも言える旧網干銀行。1922(大正11)年築。以前訪れたときは洋服店でしたが、現在はレストラン「湊倶楽部」となっています。内部をじっくり見学したいところですが、ちょっと気軽に入れる値段ではないので、む~パパ、今日は外観だけチェック( ;∀;)しました。
湊倶楽部に隣接して昔ながらの商店街がありますが、いかにも「鉄道模型のジオラマ」に出て来そうな看板建築が残っています。手前の建物2階の窓枠は、いかにも戦前の昭和な雰囲気です。
そのお隣はまさに「ザ・看板建築」。右から書かれた店名や凝った意匠は、近代建築が普及した時代のファザード装飾で、今となっては非常に貴重なものと思われます。地方都市にはまだまだ現存例が確認されていますが、徐々に姿を消しつつあります。旧網干銀行の並びでもあり、景観上一緒に残してほしい貴重な建築物です。
一方、網干は江戸の町並みを色濃く残した町でもあります。見通しを悪くした街路は、城下町と同じ軍事的な役割を持たせたものでしょう。
昔の佇まいを残す落ち着いた雰囲気。近年はこうした歴史的町並みを保存する動きが見られます。
現在は欄干のみが残る「境橋(さかいばし)」。網干は江戸時代、龍野藩脇坂氏が治めましたが、四国丸亀に移った前藩主京極氏の飛び地があり、その境に架けられていたものです。現在は興浜地区と呼ばれる地域で、江戸時代、境橋から西側だけが「四国丸亀領」だったのです。
興浜地区にある網干のもう一つのシンボル、旧山本家住宅。網干銀行頭取を勤めた同氏が建てた和洋折衷の建物で、現在は日を限って内部公開しています。

というわけで、む~パパ、本当の目的は「山本家住宅」内部の見学だったりします。(つづく)

【岡山】山陽電車と競った国鉄電車も見納め

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山陽電車と並走するJR神戸線(山陽本線)。かつて快速として使われた113系、新快速として君臨した117系も引退が進み、今では京都周辺と岡山周辺、山口県などに残るのみとなっています。まとまった数が活躍する岡山地区では来年度からの新型車両置換えが発表され、その姿を消すのも時間の問題となってきました。む~パパ、来年になって騒ぎになる前に少しずつ撮ったり乗ったりしてみようと活動を始めています。

国鉄時代末期。須磨~塩屋間、現在の通称「スマシオ」を走行する113系快速(右)と201系普通(左)。む~パパ世代にとって「快速」とはこの緑とオレンジを組み合わせた「湘南色」の車両であり、普通とは103系以来青色の車両です。今気付いたのですが、右側の113系はタイフォンの形状から見て湖西線向けの700番台でしょうか・・・。(撮影:1986年)
京阪神地区の「新快速」用として専用設計された117系。む~パパが小学生だった1979(昭和54)年に登場した車両で、国鉄電車のイメージを一新しました。この写真は早朝に運転されていた12両編成の快速で、昼間は見られない2編成をつないだ姿を撮りたくて、夏休みに早起きして線路際で待っていたことを思い出します。(撮影:鷹取~須磨間 1980年7月)
さて、現在。岡山地区で活躍する113系(クハ111-2070ほか)。岡山地区では元々勾配区間に適した抑速ブレーキを持つ115系が主力であり、平坦区間用の113系は京阪神地区で使用されていましたが、現在113系は115系と混じって運用されています。かつて須磨~明石間で山陽電車と並んで走った113系電車の現在の姿です。(2022.1.30 庭瀬~中庄)
岡山地区本来の主力車両115系。元々は前面の塗り分けが113系とは違っていましたが、近年黄色1色に塗り替えられ、113系とは区別が付かなくなりました。(2022.1.30 庭瀬~中庄)
こちらは117系電車。京阪神で新快速「シティライナー」として活躍した車両ですが、岡山地区では113系・115系と同じ黄色1色となってローカル輸送に従事しています。華々しい時代を知っているだけに、何とも言えない感情が湧いてきます。(2022.1.30 庭瀬~中庄)

元の色と違うとは言え、かつて山陽電車と競った国鉄車両が消えていきます。撮るのも乗るのも今のうちでしょうね。

【高砂線廃線跡を歩く⑤】三菱製紙専用線

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4回にわたってご紹介した国鉄高砂線跡。工業地帯を走る路線のため、沿線各工場へ専用の線路が敷かれており、その痕跡もあります。今回はその線路跡を歩くことにします。

2012年の高砂駅付近航空写真(出典:国土地理院)。中央やや上にあるのが山陽電車の高砂駅です。上から見ると駅のすぐ南側で東から来る線路跡(高砂線)と西から来る線路跡(専用線)が交わっているのがお分かりいただけるかと思います。

1961~1969年の同じ場所です(出典:国土地理院)。

山陽電車は現在のまま。黄色が国鉄高砂線。青が高砂線から分岐する専用線です。よく見ると現在でもはっきり痕跡を残している部分があります。
これは高砂線から分岐し三菱製紙高砂工場へ向かう専用線跡(上図では下の青線)。最近までサンモール駐車場へ向かう通路として使用されていました。いかにも線路跡らしいカーブを描いています。
サンモール跡地。建物の撤去が進み、寂しい雰囲気。再開発に期待したいところです。
専用線跡はサンモール跡を横切り、その先は三菱製紙専用の自転車・単車置き場として使われています。これはそのまま線路の跡です。
※すみません。こう書いていますが、本物の線路跡はこの北側を通っていたそうです。また写真撮り直しておきます。
ここを進めば三菱製紙の正門前。かつてここから線路が工場内まで延びていました。高速道路が整備されるまでは鉄道輸送が主力。工場内で貨車に積み込まれた製品は、高砂線を使って山陽本線に運ばれ、全国へ出荷されていました。
三菱製紙高砂工場内には近代的な施設もありますが、戦前から存在すると思われる建築物も多数残っているようで、機会があれば是非近くで見てみたいと、む~パパ、かねてより熱望しております。

【アリオ加古川】あの別府鉄道が復活!?

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別府駅。夏空がきれいですが、こんなところで立ちんぼしていると熱中症になってしまいます。どこか涼しいところに避難しないと!
というわけで、別府駅南側すぐ、この3月に大改装が完成したアリオ加古川へ。「Loft」や「無印良品」もあり便利に買い物ができます。

む~パパ。なんとなく3階の書店で探し物をしていたのですが、ふと表に汽車が走っているのを見つけました。子供を乗せて店内を周回しています。早速追いかけていきました。

いやまあ、汽車自体はよくある電気で走る遊具に違いないのですが、よく見ると・・・。
「べふ鉄道号」?あの別府鉄道のことでしょうか・・・?「まさか」と思いましたが、しっかりと社章が付いています!こ、これは、ホンモノの・・・!
機関車に連なる客車にもしっかり社章が!

それもそのはず。ここアリオ加古川ほか周辺は元々多木化学の土地です。別府鉄道は多木化学が生産する肥料を輸送する同社系の鉄道で、同じ社章でした。同社HPによると「太古創農の時代に田畑を耕すために使用されたスキを図案化したもの」だそうです。

ちなみにこのマークを旅先で見かけるとちょっとうれしいです。(2013年 三重県亀山市内で)
現在の別府駅付近。新幹線と山陽電車が並走、赤い屋根が山陽電車の別府駅。南側にある大きな建物がアリオ加古川で、別府駅の下をくぐって南北に延びる道が別府鉄道野口線跡、画面右中央部からやってきて野口線跡と交わるのが別府鉄道土山線跡。合流部分に別府港駅がありました。
(写真出典:国土地理院)
1979~1983年頃。別府鉄道は現役で、写真中央部が別府港駅となります。現在のアリオ付近は空き地のようです。
(写真出典:国土地理院)
そんなわけで、別府鉄道は40年近くの年を経て「べふ鉄道」として復活したと言えます。乗り場に設置された時刻表には土日祝のみの運行で、20分ヘッドであると記されています。別府鉄道時代より本数が増えているのではないでしょうか!

む~パパ、実は汽車が走っている姿を撮影しようと2度目の取材を敢行したのですが、どうも乗客がいないと運行しないらしく、結局1時間近く待っていたのですがとうとう汽車が動くことはありませんでした。切符を買うと走るのでしょうが撮れないし・・・。

というわけで、今回は走っている姿を「見た」んだけれども撮れなかったということで。残念でした。

【8月5日はタクシーの日】塩屋・望海台でデマンド型乗合タクシー「のぞみ」実証運行中!

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8月5日は「タクシーの日」ってご存知でしたか?1912(大正元)年のこの日、東京・有楽町の数寄屋橋でT型フォード6台を使用し、日本で初めてメーターを使ったタクシー営業がスタートした(諸説あり)そうです。今から110年前のお話。

さて、神戸市垂水区を主な営業エリアとする山陽タクシーでは、塩屋地区でコミュニティバス「しおかぜ」を運行中。しかし、この「しおかぜ」さえ乗り入れることが困難な地域「望海台」について、タクシー車両を使用したデマンド型コミュニティバス(乗合タクシー)「望海(のぞみ)」の実証運行(2回目)を8月1日より開始しています。

山陽塩屋駅のタクシーのりばに掲出された時刻表。普通のバスと同じように1時間に1本ずつ望海台行きが設定されていますが、こちらは予約があった便のみ運行(デマンド運行)されます。また複数人が乗り合えば運賃が割安となります。
「のぞみ」運行時、前面には「乗合」、サンバイザーを使用した「のぞみ」表示を付けて走ります。塩屋の海をイメージした表示は、そのまま山陽タクシーのツートンカラーでもあります。
望海台を走行する「のぞみ」。歩くのが困難な急傾斜が続く住宅地で、道も狭いためバスも入れず長らく公共の足はタクシーだけという状態が続いていました。(写真提供:山陽タクシー)
急坂に挑む「のぞみ」。背景の山は鉢伏山で、意外なほど近くに須磨浦遊園の回転展望閣が見えます。
(写真提供:山陽タクシー)

タクシーでもバスでもない公共交通の新しい姿。全国各地でいろいろな取り組みが進められています。

詳しくは↓こちら。
神戸市:垂水区望海台地域の取り組み(望海台コミュニティバス「望海(のぞみ)」) (kobe.lg.jp)