一気に後編としたかったのですが、手戻りがあったので少し時間がかかっています。毎日作業をしているわけではないのでお許しを・・・。
前編はこちら → トミカを塗り替えて山陽タクシーを作る(前編)
と、ここまで来たのは良いのですが、どうもサーフェイサーだけでは下地処理が十分でなかったようで、作業中にあちこち塗装が下地ごとはがれる事象が相次いだため、一旦作業を中断し塗装を全部はがして最初からやり直すこととしました。次回はここまでやり直してから続きを書こうと思います。もうしばらくお待ちください。
一気に後編としたかったのですが、手戻りがあったので少し時間がかかっています。毎日作業をしているわけではないのでお許しを・・・。
前編はこちら → トミカを塗り替えて山陽タクシーを作る(前編)
と、ここまで来たのは良いのですが、どうもサーフェイサーだけでは下地処理が十分でなかったようで、作業中にあちこち塗装が下地ごとはがれる事象が相次いだため、一旦作業を中断し塗装を全部はがして最初からやり直すこととしました。次回はここまでやり直してから続きを書こうと思います。もうしばらくお待ちください。
友人の遺した写真をご遺族から譲り受け、公開しています。今回は懐かしい阪神電車の姿をご紹介します。直通特急が走り始める12年前、仲良く阪急電車と須磨浦公園で折り返していた時代の記録です。
こちらへもどうぞ!→【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて
→【1986年】あのころの阪急電車・須磨浦公園にて
前回ご紹介した1986年の須磨浦公園付近。今回は当時乗入れていた阪急電車の姿を追います。
こちらへもどうぞ!→【1986年】あのころの山陽電車・須磨浦公園にて
全く個人的なお話になるのですが、昨年亡くなった趣味仲間が長年撮りためた電車・バスの写真を遺していました。このほどご遺族よりこれらの写真などを引き取り、仲間内でその扱いを相談した結果、写真については散逸させず、こうした場で公開していこうということになりました。著作権の問題が生じますので、何かで使用される場合はこのブログのコメント欄にてお願いします。
今回は初回ということで、1986年9月14日、270形電車の「さよなら運転」を須磨浦公園駅付近で捉えた写真をどうぞ。
む~パパ的には撮影者と同世代ということもあり、写真を見返すと昨日のことのように感じられます。
2月10日、神戸電鉄鈴蘭台工場で、目下絶賛クラウドファンディング中のデ101がバレンタインデー装飾となって一般公開されました。バレンタインデーにちなんだ装飾は昨年も実施されましたが、工場内での公開は初めてとなります。
今年も「鉄道模型とあそぼう」の季節がやってきました。
昨年の様子はこちら
む~パパも毎年というわけではないのですが、結構参戦していまして・・・。過去の写真を少しご紹介しましょう。
楽しい企画が盛りだくさん。1年で一番寒い時期ではありますが、会場内は結構暑いので調節できる服装でお越しください。ポートライナー南公園駅下車すぐ。
最近、かつて派手なカラーリングが魅力だった東京のタクシーが黒や濃紺になっていくのを残念に思っているむ~パパではありますが、よく考えると山陽タクシーのような「私鉄系伝統カラー」をまとったタクシーって意外に少ないのでは?とふと思い、今まで撮りためたタクシーの写真を掘り返してみました。
こう見ると私鉄系伝統カラーは意外に少ないことが分かります。む~パパとて全国くまなく行脚したわけではないので、ここには紹介し切れていない私鉄系伝統カラーがまだまだあるかも知れません。情報がありましたらお寄せください。
甲子園口駅で国鉄(現JR)東海道線に接続した阪神武庫川線ですが、ここで終わりではなく東海道線に沿って西ノ宮(現西宮)まで実際に線路が敷かれていました。
今回は線路に沿って西宮まで歩いてみましょう。
前回(その1)の続き。武庫大橋から北側の廃線跡を歩きましょう。その前に、む~パパが前回歩いた1982(昭和57)年の2年前、1980(昭和55)年の廃線跡を記録したブログをご紹介いただきました。管理人さまに許可を得てリンクを貼っています。2年違いですが旧武庫大橋駅に杭が打たれていたり、変化があります。
↓ リンク先
阪神武庫川線廃線区間の記録: 国鉄・私鉄の思い出 (seesaa.net)
武庫川駅からは短い支線「武庫川線」が走っています。む~パパが小さい頃は2つ先の洲先駅まででしたが1984(昭和59)年に武庫川団地駅まで延長され、現在の営業キロは1.7㎞。編成ごとに違うカラフルな色に塗られた5500系が専属で活躍しています。写真は本線改札内から見た武庫川線のホーム。中間改札が設けられていますね。
今回この武庫川線の「廃線部分」を歩いてみます。武庫川線は浜手にあった軍需工場(川西航空機→現在の新明和工業)への従業員輸送および資材搬入のために建設されたもので、1943(昭和18)年に武庫川~洲先間が、その後武庫川駅より北側の路線が国鉄(現JR)甲子園口駅を経て西ノ宮(現西宮)駅まで建設されました。途中、阪神国道(現国道2号線)との交差部には武庫大橋駅が設けられ、阪神電車はここまで運行されていました。国鉄からは資材運搬のため貨物列車が乗り入れており、武庫大橋駅以南は狭軌と標準軌両方の列車が入れる3線軌条となっていました。
さて、武庫川駅から北側を見てみます。堤防に沿って線路が北上しています。左側から合流するのは阪神本線との連絡線で、車両を本線から出し入れするためのもの。む~パパ、小さいころから何やら怪しげな線路が北へと続いているのを見て「いつかは歩いてみたい」と思っていまして、まだ武庫大橋駅のホームが残っていたころに行ったことはあるのですが、久しぶり(40年以上ぶり!)の再訪となります。
※あらかじめお断りしておきます。この廃線跡については多くの方がブログ等で紹介されています。今回の記事はこれらを参考にさせていただき、実際に歩いてみたものです。
ここから先、堤防に沿った線路跡にきれいに住宅が建ち並んでいます。写真は比較的最近分譲された区画のようで、少し前の写真ではまだ姿が見えません。
国道2号線との交差部。武庫大橋駅があったところです。ここからはまだ北へ線路が続いていましたが、交差部は埋められ痕跡は無くなっていました。
※追加情報がありました。かつてはここから北側に狭軌の線路が残っていて、国道2号をくぐるところに境目があり、線路が食い違っていたそうです。謎は深まります。
次回は武庫大橋駅以北を訪ねます。