楽しいむ〜さん一家

他社で活躍した阪神電車② えちぜん鉄道MC1101形・MC2101形

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阪神電車からは赤胴車の3301形だけでなく、ジェットカーと呼ばれるクリームと青の普通専用車のうち相当数が、1101形・2101形(のちMC1101形・MC2101形)としてえちぜん鉄道(移籍当時は京福電気鉄道)に移っています。今回はこれらの車両を少しマニアックにご紹介しましょう。

こちらはMC1101形。車体は元阪神5101形で、10両が存在したジェットカーの両運転台車です。前回ご紹介したMC2201形とは異なり、中央の扉が埋められ2扉車となっています。下回りは阪神由来のものではなく「ジェットカー」の性能は持っていません。3301形同様、片側の前面に高圧配管が付き特徴ある顔をしています。
(2012.6.2 福井口・貸切イベント時、許可を得て撮影)
MC2101形。京福電鉄時代に元南海1201形である2001形を更新するため、機器を流用して製作した車両で、車体部分は元阪神5231形です。こちらも中央の扉が埋められ2扉車になっています。5231形は片運転台ですが、京福電鉄入線時に両運転台化改造を受けた車両があります。写真は両運転台化改造車。冷房は取り付けられていません。
(2012.6.2 福井口)

こちらは同じMC2101形ですが片運転台のまま残った車両です。こちらは冷房改造されています。
(2012.6.2 福井口・貸切イベント時、許可を得て撮影)

MC2101形で両運転台化された車両のうち、写真のように運転台を撤去し片運転台に戻った車両もいました。車番の書体が阪神電車のまんまです。
(2012.6.2 福井口・貸切イベント時、許可を得て撮影)
MC2101形の両運転台化改造車のうち、運転台を撤去した車両。前照灯跡がそのまま残っています。
(2012.6.2 福井口・貸切イベント時、許可を得て撮影)

ここで少~しウンチクを。MC1101形・MC2201形(元阪神5101形・3301形)は阪神電車初の大型車で、前面を上から見ると丸くカーブを描いていました。ところがジェットカーの増備車である5231形を前身とするMC2101形の前面は平面を組み合わせた三つ折りとなっていて、同時期の赤胴車である3601・3701形(のちの7601・7701形)と同じ顔をしているはずです。ちょっと検証してみましょう。

こちらはMC1101形(阪神5101形)の前面窓を拡大したもの。前面ガラスの外側が車体より凹んでいるのが分かります。前面のカーブに平面のガラスをうまく合わせようとした形跡が伺えます。
(2012.6.2 福井口・貸切イベント時、許可を得て撮影)
MC2101形(阪神5231形)の前面。こちらは車体が平面ですのでガラスがぴったりはまっています。反射する光でも前面に折れ目が付いているのが分かります。
(2012.6.2 福井口・貸切イベント時、許可を得て撮影)

む~パパ、小学生のときから山陽沿線に入ってくる阪神電車のうち3501形と7701形は車体が同じなんだけれども、顔の印象が何となく違うような気がする、なぜなんだろうと疑問に思っていたのですが、上記の違いを先輩から教えていただき、とても納得した覚えがあります。が、そのとき実車はすでになく、検証することが出来ずにいました。もう11年も前ですが、えちぜん鉄道で実際に違いを見ることができて良かったと思っています。

他社で活躍した阪神電車① えちぜん鉄道MC2201形

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大手私鉄など都市部の車両が役目を終えた後、地方に移って再び活躍する例は枚挙にいとまがありません。今回はそうした中から、かつてえちぜん鉄道で活躍した阪神電車の車両をご紹介します。

えちぜん鉄道MC2201形2204号。元阪神3301形3304号です。えちぜん鉄道の前身、京福電鉄時代に導入されました。線路の幅が異なるため台車は旧国鉄のものを使用しています。(2012.6.2 永平寺口)
阪神3301形は3501形とともに1958(昭和33)年、初めての赤胴車として登場しました。車両の前後に運転台がある「両運転台車」で、1両でも使用できます。阪神電車の赤胴車で両運転台だったのは3301形4両のみでした。えちぜん鉄道塗装になった後も、かつての阪神電車らしい曲線の多いプロポーションはそのままです。(2012.6.2 永平寺口)
阪神3301形と言えば、む~パパ世代には単行で武庫川線を走っていた姿が印象深いものです。冷房改造されましたが冷房用電源が無いので、武庫川線で使用されるときは冷房が入らなかったという話は、当時の鉄道ファンにとってのウンチクとして語り継がれていました。(1977.4.10 武庫川)
のどかな感じがする46年前の武庫川駅。3301形3303号はのちえちぜん鉄道MC2202号になりました。この写真は本線を通過する列車の先頭にも3301形が立っており、偶然にも2両の3301形が同じ写真に写っています。(1977.4.10 武庫川)

阪神電車時代、架線電圧の昇圧(600V→1500V)時に前面に取り付けられたいかめしい配管が魅力的です。写真は同好者による貸切運転時で、甲子園行きノンストップの看板が付けられています。(2012.6.2 永平寺口)

えちぜん鉄道にいた懐かしい元阪神車両は2014年、その活躍に終止符を打ちました。

【廃線跡】能勢電鉄川西国鉄前~川西能勢口間を歩く

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川西能勢口を起点に阪急電車の支線のような感じで延びている能勢電鉄。実はトンネルありニュータウンあり、沿線風景の変化に富んだ魅力的な路線なのですが、それはともかく。現在起点となっている川西能勢口から距離にして744m、すぐ近くにあるJR(当時は国鉄)川西池田駅とを結ぶ路線がかつてありました。路線としては妙見線なのですが、む~パパがその存在を知った頃は、川西国鉄前~川西能勢口間に朝夕だけ小さな電車が行き来する完全な盲腸線でした。今回は1981年12月19日に廃止となった、この廃線跡を歩いてみました。

JR福知山線(宝塚線)川西池田駅。川西・池田が合わさった駅名ですが、川西は兵庫県、池田は大阪府ですので2府県にまたがっています。これは全国的に珍しいのではないでしょうか。川西か池田かどっちやねん!と言いたところですが、駅自体は兵庫県川西市に所在します。
能勢電鉄川西国鉄前駅付近。正面に見える薄くJRマークの入ったクリーム色の建物が川西池田駅の橋上駅舎です。能勢電鉄の駅は川西池田駅から少し宝塚寄りに歩いた場所にありました。写真の手前に延びる道が廃線跡です。(国鉄の橋上駅舎化前は200mくらい宝塚寄りにあったとのことですので、最初は真ん前だったと考えられます。)
川西国鉄前駅。ホームだけがある簡素な構造です。背景の四角い建物が2枚目の写真にもある川西池田駅の駅舎。電車は51形。クリームと青のツートンカラーは現在も5100系リバイバルカラーとして走っています。(写真:山陽電車OB提供)
ゆるやかにSカーブを描く廃線跡。正面奥の壁のように見えるのが阪急宝塚線の線路です。
阪急電車に向け右へカーブする廃線跡。この後左へカーブして阪急電車をくぐります。
能勢電鉄が阪急電車をくぐっていた場所。阪急電車は高架化され能勢電鉄廃線跡は道路になり、風景は一変しました。
上写真と同じ場所。阪急電車をくぐる能勢電鉄の電車。変化が激しすぎて同じ場所とは思えません。
(写真:山陽電車OB提供)
北側に抜けました。今度は右にカーブします。
ここに電車が走っていたことを示すモニュメント。
川西能勢口駅が地上にあった頃、ここへ川西国鉄前からレールがつながっていました。高架化で大手私鉄らしい近代的な駅へ変貌。今となってはここに1両の小さな電車が発着していたとは思えません。

川西能勢口駅から川西池田駅までは、歩いても数分の距離。川西能勢口駅の高架化を考えれば残すのは難しかった区間と言えます。

Google Mapより

【山陽バス】垂水鈴木橋のりばは今

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気が付けばずいぶん昔のお話になってしまいましたが、山陽バスには2000(平成12)年4月まで「垂水鈴木橋のりば」というターミナルがありました。

2000(平成12)年。垂水鈴木橋廃止直前の写真。中央に流れる福田川を北側から南側に向けて撮ったものです。垂水区役所の入るレバンテ東館から東に出て福田川沿いを少し北に行ったところにありました。
本当にささやかなターミナルで、ご覧のように大型バスが2台入るだけ。トラックと社用車が止めてあるところにもう1台入るかな(実際ここには10系統上千鳥行きのバスが入っていました。)というスペースです。
のりばは待合スペースと詰所があり、回数券自動販売機がありました。つつじが丘行き23系統と上千鳥行き10系統ののりばとして使われており、つつじが丘から来る平日朝ラッシュ時のみ運行の22系統到着にも使われていました。

まだ垂水東口ターミナルは無く、現在のレバンテ北側バス降車スペースが11・12・13系統の乗降両用として使用されていました。朝ラッシュ時はそれこそ数分間隔でバスが発着するので、同じく数分間隔で垂水鈴木橋を発着するバスを垂水東口に統合するのは不可能だったのです。

乗車扱い中の10系統。前の扉から乗車する乗客の姿が写っています。当時垂水線と呼ばれる1~4系統、名谷線と呼ばれる10~13・15・22・23系統のバスは前の扉から乗車して先に運賃を支払い、後ろの扉から降車する「前乗り・前払い」方式を採用していました。「前払い」と「後払い」にはそれぞれメリット・デメリットがありますが、山陽バスが垂水線・名谷線で「前払い」方式を採用したのは、メインターミナルの垂水駅周辺(垂水駅・垂水東口・垂水鈴木橋)が狭く長時間バスを止められないため、運賃を先に収受して到着したターミナルで前後の扉を開放し、降車時間の短縮を図るためでした。実際2000(平成12)年4月7日に現垂水東口ターミナルが完成してからは、ここを発着するバスは「後乗り・後払い」方式に変更されています。
到着した23系統のバスから降車する乗客。前後の扉を開放し一気に降ろすため時間がかかりません。
降車して垂水駅方向へ歩く乗客。今から思えば「駅前」というには少し遠いものでした。
川原橋を経由して垂水鈴木橋へ向かう回送バス。現在はバスが通らないルートですが、阪神大震災前までは11・12・13系統も「増田屋の前」と言われた旧垂水東口を出て、この橋を渡っていました。その増田屋もつい先ごろ取り壊されてしまいました。

垂水鈴木橋を出発し北へ向かう23系統のバス。む~パパの記憶が正しければ、2000年と言えば貸切・高速を除く黄色いバスの全車両が、このいすゞキュービックバスに統一されていた時期だったかと思います。

さて、この垂水鈴木橋ターミナルですが、元々はもっと広い敷地で山陽バスが車庫を構えていました。車庫が現在の清水が丘に移った後は使われていなかったようですが、23系統の開設に伴いターミナルとして復活したものだそうです。
現在の垂水鈴木橋ターミナル跡地。セブンイレブンが建っています。
今はちょっと想像しにくいですが、ここから10・23系統のバスが出発していました。23系統と言えばかつてはその本数・利用者数とも日本でもトップレベルだったはず。そんな山陽バスどころか関西を代表するような路線バスがこんなところから発着していたとは・・・。

20年以上前の写真を引っ張り出してきました。利用されていた方には懐かしい風景かと思います。

【山陽タクシー】車いすのまま乗れるJPN TAXI

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現在、わが国唯一のタクシー専用車であるトヨタ・JPN TAXI(ジャパンタクシー)。山陽タクシーでも伝統のツートンカラーをまとった車両が垂水・明石地区で活躍中です。
このJPN TAXI、徐々に増備が進み2023年4月現在14両が在籍。車いすに乗ったまま乗ることができる「ユニバーサルデザインタクシー」、今回は本領発揮と言える車いすを積み込む手順を取材しました。
後ろのスライドドアを開くとゆったりした後部座席が見えます。もちろん、このまま車いすを載せることはできません。
まずは前の助手席を前方に回転させるようにたたみ、後席を跳ね上げます。こうすると後席の下からスロープ板が現れます。
スロープ板を広げて後席にかけます。滑らないよう固定。
まずは車いすをスロープを使って押し、車内に積み込みます。
車内で車いすを回して前に向け、ベルトで固定します。降車時はこの反対の操作を行います。

今後ともますます増備が進むと思われるJPN TAXI。まだまだ数は少ないですが、近いうちに垂水や明石の街で普通に見られるようになることでしょう。

【資料】山陽5000系を模型目線で見る!⑤

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1986(昭和61)年から1995(平成7)年まで数次に渡って製造された山陽5000系。今回はあまり人の目に触れることのない妻面の小変化にこだわって観察してみました。

こちらは1986(昭和61)年製造、最初に登場した5600号の連結面側。こちらから見ると車体断面以外は3050形アルミカーと同じ外観で、ステンレス製の雨どいが妻面に別パーツとして取り付けられています。1次車である5000~5013・5600~5606および2次車と言える5500・5501が該当します。
(2013.1.19 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
5000号および5002号を3連→4連とするため1988(昭和63)年に製造された5500・5501は、2次車に分類されますが、外観は1次車と同じで妻面雨どいは車体とは別パーツです。2.1次車と呼んでも良いでしょう。写真は5500号です。
(2013.1.19 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
1988(昭和63)年末から登場した5014~5019・5607~5609はファンの間では2次車に分類されますが、5500・5501とは異なり、妻面の雨どいがアルミ製で車体と一体化されました。2.2次車と呼んでも良いかも知れません。写真は5609号。
(2004.5.5 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
この2.2次車には5004・5006号に組み込まれた5502・5503が含まれます。5500・5501とは妻面雨どいの形状が異なります。写真は残念ながら阪神尼崎車庫で事故に遭い廃車となった5503号。
(2018.5.18 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
1990(平成2)年より登場した3次車は5020~5023・5504・5505・5610・5611が該当し、当初は4両編成でしたが、同年末5200~5205・5506~5509が増備され、5008・5010・5012号が3→4連に、5018・5020・5022号が6連になりました。このタイプから妻面の上部にあった足掛けが廃止されています。屋根上を歩く際、隣の車両に移るためのものと思われますが、さすがにこの時代になると、そうした作業は危険とみなされていたのでしょう。写真は5507号。
(2004.4.12 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
再掲となりますが5011号の姫路寄り妻面。1次車はパンタグラフの空気作用管が雨樋の上を通っています。
(2007.6.13 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
こちらは2次車の5019号。空気作用管が雨樋の内側に移ったため、妻窓上部で少し車体から浮かせるよう斜めに曲げてあり、苦心の跡がうかがえます。
(2004.5.15 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)
3次車5021号。3次車以降は設計変更され、あっさり屋根側と最短でつないであります。2次車で製作に苦心したので簡単に作業できるようにしたものと思われます。
(2004.7.10 東二見車両工場 写真:山陽電気鉄道)

5000系は、細部を見ていくとマニアックで面白い車両です。次は何にコダワリましょうか。

【北条鉄道】桜の名所でレールバスを撮る!

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神戸電鉄粟生線に来たならお隣も回ってみようということで、む~さん&む~パパ、北条鉄道にやって来ました。

単行列車だと思っていたらこの日は2両編成での運行。実はむ~さん、北条鉄道を撮りに来たのは初めてなんだそうで・・・。菜の花越しにかわいい列車を。(粟生~網引)
北条鉄道は元国鉄北条線で、その昔は播州鉄道のち播丹鉄道(現在の加古川線)の支線でした。高砂線、三木線、鍛冶屋線も同じ支線でしたが、鉄道として残ったのは北条線のみ。現在も昔の姿をそのまま残している駅がいくつかあり、写真を撮りに来る方も多いです。こちらは粟生駅から一駅の網引駅。線路沿いの桜は満開。秋は大銀杏が色付きます。
む~さん、粟生で加古川に合流する万願寺川から堤防に植えられた桜と網引駅に到着した列車を撮っていました。
む~パパは線路際から・・・。
続いて法華口駅へ。1915(大正4)年開業時からある木造駅舎はいかにもローカル線の駅といったスタイルで、ここで説明の必要もないほど全国的に有名な存在。駅周囲には桜がたくさん植えられ、満開のこの日は大にぎわいでした。ちょっと観光地化し過ぎて以前のひなびた雰囲気が薄れたのが少々残念。
鉄道模型のジオラマのような、映画のセットのような。タイムスリップしたような感覚に。ちなみに隣の播磨下里駅も大正時代の駅舎が残っています。
木の電柱にこれまたレトロな照明が。
列車が来なくても、なかなか絵になる風景です。
法華口駅を出発する列車。先頭のフラワ2000-3は元三木鉄道の車両で、同鉄道廃線後こちらへ移ってきました。む~さん撮影。

む~パパはホーム端から。

神戸電鉄・JRからは粟生駅で接続。神戸・姫路から比較的近くに位置しながら、昔のローカル線の風情を色濃く残す北条鉄道で小旅行はいかがでしょう。

【神戸電鉄】美嚢川で桜と電車を撮る!

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例年、山陽電車で桜の名所をご紹介してきましたが、今年は気分を変えて神戸電鉄沿線へ行ってみました。

神戸電鉄沿線と言えば長田駅周辺とここ美嚢川(みのうがわ)。粟生線三木上の丸駅~三木駅間に架かる橋梁は、一部コンクリート製のカーブした独特のスタイルが魅力的です。河原には桜が植えられ多くの花見客でにぎわいます。
美嚢川を渡るデ1100形。神戸電鉄らしい2扉の車両もすでに4編成を残すのみとなりました。青空に赤い帯の電車が映えます。(2023.4.1 三木上の丸~三木)

ここで、む~さん。三木城の上から撮ると言い出し、次の電車が来るまでにと走って行ってしまいました。いや~、さすが10代。元気ですね。む~パパ、茫然と見送るのみ・・・。

美嚢川橋梁を上写真の反対側から。背景の山が三木城址です。あの上まで登るとは。
(この写真は2013.3.31撮影)

む~さん撮影。三木城址から。美嚢川を渡るデ1350形。桜が満開です。

同時刻。美嚢川河原からむ~さんが撮った同じ列車を。上写真でむ~パパが撮っているのが写っている・・・はずです。
粟生から戻って来たデ1100形を流し撮り。数少なくなった神鉄らしい2扉車をうまく捉えました。

沿線の桜も今週まで。お花見は楽しめましたでしょうか?

【王子公園】夜桜通り抜け2022(昨年の様子)

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すでに「山陽沿線まちガイド(リンク先へ飛びます)」でもご紹介されていますが、神戸市立王子動物園で4月2日(日)~4日(火)「夜桜通り抜け」が開催されます。今年は桜の開花が例年より早く、神戸ではすでに本日開花宣言。ちょっと通り抜けに間に合うかどうか分かりませんが、今回は昨年の様子(2022.4.5)をご紹介。

18:00頃が落ち着いているとのお話ですが、む~パパ、仕事を終えてから出動した19:20は長蛇の列。王子動物園前をあちこち引っ張り回されますが、それほど長く待たされるわけでもなく園内へ。

いやいや、なかなか見事なものです。みなさん、思い思いに眺めたり写真を撮ったりと、楽しんでおられます。
この日は見事な満開。幻想的な雰囲気の中、憑かれたようにそぞろ歩きます。
桜並木の奥にはライトアップされた「ハンター邸」があります。1889年北野町に建てられた異人館で、北野町内で一度移築されたとのことですが、1963年現在地へ移りました。国重要文化財。
ピンク色の桜と、ライトアップされグリーンに光るハンター邸のコラボレーション。和洋の組み合わせの妙と言いますか、美しい光景です。
もう1枚。素材が良いだけに自分が写真家になったような気分ですが(笑)。
古風な観覧車と桜。

今年の桜は通り抜けに間に合うでしょうか。機会があれば是非お訪ねください。

JR大阪駅に「うめきた地下口」がオープン!(後編)

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前編はこちら→ JR大阪駅に「うめきた地下口」がオープン!(前編)
山陽沿線じゃない!というご意見もありますが、連絡他社線の範囲はお許しください。なにせ関西のビッグプロジェクトですので。

人ごみの中、ようやくホームに降りてきたむ~さん&む~パパ。最近多くなったLED駅名標。スタイリッシュなデザインが新駅に似合います。
そしてもう一つ、今回話題の新設備、21番線に設置されたマルチフルスクリーンホームドア。車両に合わせて開口部位置が変化するというスグレもので、写真に撮るとドア部分が開くだけのように見えますが、案内表示の付いた液晶パネル部分も可動します。む~パパ、どうなっているのだろうとよく見てみましたが、途中で分割されており、いくつかの自由に動く区画を組み合わせて長くしているようです。それにしてもホームドア、ここまで来ますか!
列車の扉位置に合わせて開口部位置も変わるため、乗車口案内はフルカラーLED表示がベルトのように長く取り付けられ、どの場所でも表示できるようになっています。また、カーブしたホームにもうまく対応しています。
うめきたにある新ホームは2面4線。22~24番線にホームドアはなく、普通の構造です。
ホームはカーブしていることもあり、車掌用モニターがこれでもかと取り付けられています。
特急「はるか」「くろしお」のほか、今まで新大阪止まりだったおおさか東線の電車が、この日から大阪駅に乗り入れました。
さて、この地下ホームですが改札内で地上(高架上)のホームと結ばれています。連絡通路の入口にある地上ホームの案内表示。ここから1分なんかで走っても乗れないので、ある程度余裕を見て次表示になるものと思われますが、ダイヤ乱れ時等どのように表示されるのか興味津々・・・。
他の地下部分をくぐるためか、地下通路でも移動は平面ではありません。写真中央は恐らく津波対策の防潮設備と思われます。
どこに出るのかと思ったら、西端部にひょっこり出て来ました。乗換えの感覚からすると東京駅の京葉線地下ホームなんかよりずっと近く、横須賀線地下ホームほど深くもないので、それほど「歩かされる」ものでもないかな、という印象を持ちました。

ちょうど山陽電車のライバル、姫路行き新快速が到着。む~パパ、223系は2000番台ではなく、この1000番台がお好みです。12両揃っていることを期待しましたが、後ろの4両は225系100番台でした。

今回の地下駅、将来なにわ筋線が開通すると南海電車や阪急電車の狭軌新線が乗り入れる計画。とてもにぎやかな駅になることでしょう。そうなると今はあまり縁のない山陽沿線からも、関西空港へのアクセスとして重要な存在になりそうです。

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