楽しいむ〜さん一家

【2015年】3000号前面帯復元工事

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今日は廃線跡を歩くシリーズを少しだけお休みして、3000号前面帯復元工事の写真を公開します。

今は思い出となった3000号。非冷房時代、側面のうろこ模様を消された際、前面帯がニューアルミカーと同じ太い幅のものに変更されました。車番も帯の上に変更されています。
(2015.10.18 霞ヶ丘~舞子公園)

2015年の鉄道フェスティバルに合わせ、3000号の前面帯を登場時の太さに戻す工事が行われました。

作業は東二見車両工場の一角で行われました。シール式の帯をはがすだけでは跡が残ってしまうので、全体を磨く作業が行われています。(2015.10.20 写真提供:山陽電気鉄道)
シールをはがすと、元の帯跡がはっきりと残っていました。職人さんが丁寧に磨き上げていきます。アルミ地肌の銀色が輝きます。話に聞いたところでは鉄道関係ではなく、川崎重工の船の職人さんが来られて作業されたそうです。(2015.10.20 写真提供:山陽電気鉄道)
貫通扉の左側。上の穴8つが太い帯になった後の車番位置、下の穴8つが元の車番位置。登場時は方向幕が無く貫通扉に車番が付いていました。(2015.10.20 写真提供:山陽電気鉄道)
復元工事が完成した3000号。かつての姿がよみがえった瞬間です。(2015.10.23 写真提供:山陽電気鉄道)
3000号は完成していましたが、姫路側3600号はまだ未完成。この姿で鉄道フェスティバルの展示となりました。(2015.10.23 写真提供:山陽電気鉄道)

つい最近と思っていた3000号の復元も、今から思えば7年前のこと。こうした記録も大切にしたいものですね。

【高砂線廃線跡を歩く④】高砂港へ向かう

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今回は高砂港までの線路跡を歩いてみましょう。

山陽電車の高砂駅。特急停車駅で現在は高砂市の代表駅とも言える存在。
山陽電車の向かいにある店舗群の裏手。駐輪場に転用された部分は高砂線の廃線跡。山陽電車の高砂駅(当時は電鉄高砂駅)最寄りの高砂北口駅は左側の建物に沿ってあり、ホームと上屋だけの無人駅でした。
カーブを曲がり南へ向かいます。平坦で歩きやすい遊歩道になっています。
カーブの先で西へ分岐する線路跡があります。これは国鉄高砂工場はじめ周辺の工場へ延びていた引込線の跡。腕木式信号機など鉄道の名残を示すものが保存されていました。
現在の高砂と言えばあまりにも有名な「梅が枝湯」。高砂線の敷地に沿っており、ここから南側に国鉄高砂駅のヤードが広がっていました。
高砂駅跡にある車輪を使用したオブジェ。尾上駅跡にあるものと似ていますね。現在の商店街の正面付近に駅舎がありました。
高砂駅から線路はまだ南へ続いていました。堀川を渡る道路橋が正面に見えます。
「工」の文字は国鉄用地の証。今でもあちこちに残っています。
線路跡をたどると海に出ました。高砂港駅です。元々線路が敷いてあるだけの広い空間。廃線後もしばらくそのままだったようですが、現在は線路は撤去され建物も建ち当時の面影はなくなっています。鉄道が物流の中心を担っていた時代、船から直接貨物を受け渡ししていたのですね。

沿線工場へ引き込まれていた線路もたくさんありました。可能な限り追ってみます。

【高砂線廃線跡を歩く③】加古川駅まで

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山陽電車の北側へ出た高砂線跡は、道路となって加古川駅を目指します。ここはひたすらウォーキング。写真正面の高架道路は明姫幹線、高架下に見える緑は鶴林寺です。
鶴林寺。兵庫県の建築物では最古となる太子堂や、折衷様建築の代表作とも言われる本堂が国宝に指定される古刹。お寺の真横に高砂線「鶴林寺駅」がありました。
鶴林寺駅。ローカル線らしい無人駅でした。1984年(提供:山陽電鉄OB)
1979~1983年の航空写真(出典:国土地理院「地理院地図」)
鶴林寺駅は鶴林寺の門前にあります。高砂線はこの先で別府港から来る別府鉄道野口線と、野口駅で接続していました。
現在の鶴林寺付近(出典:国土地理院「地理院地図」)
高砂線の跡地は道路に、別府鉄道跡地は遊歩道「松風こみち」となってます。野口駅跡は少し広いスペースや緑地になっています。40年経ち宅地化が進んでいるのが分かります。

別府鉄道の跡地「松風こみち」の終点。高砂線との合流点にあたります。

そのまま進むと加古川市役所のそばを通り、JR山陽本線(神戸線)にぶつかります。高砂線は当時地平にあった山陽本線を築堤で乗り越え、北側から加古川線に合流する形でした。
1979~1983年の加古川駅付近(出典:国土地理院「地理院地図」)
加古川駅を出た加古川線から、高砂線、軍用線(旧陸軍神野弾薬庫線)が分かれています。軍用線については以前ご紹介しました。
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・前編【廃線跡】 | 楽しいむ〜さん一家 (blog-sanyo-railway.com)
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・後編【廃線跡】 | 楽しいむ〜さん一家 (blog-sanyo-railway.com)
比較的最近の加古川駅付近(国土地理院「地理院地図」)
山陽本線が高架化され、高砂線の築堤が消滅しています。「比較的最近」と書いたのは、この写真ではまだはっきりしている高砂線跡がここ数年で急速に宅地化し、現地を歩いても分かりにくくなったためです。
上写真の中央部。今も廃線跡がはっきり残る区画。公園なのか細長い土地が広がります。前後の区画はすでに家が建ち並んでいます。
加古川線も高架化され当時の面影を失っていますが、このコンクリート壁は高砂線の遺構と思われます。

次回からは高砂港方面を探索します。お楽しみに。

【高砂線廃線跡を歩く②】山陽電車との並走区間

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加古川を渡った高砂線は、しばらく山陽電車に沿って東へ進みます。

奥が山陽電車。手前に現在も高砂線の築堤がきれいに残っています。近年フェンスが出来、立ち入れなくなりました。
現在も残る架道橋。この角度から見ると今にも列車が走って来そうです。
枕木も残っています。煉瓦を積み上げた橋脚。日本では標準的な「イギリス積み」です。
桜の季節に。山陽電車に並行して残る廃線跡。(尾上の松~高砂間)
線路跡は山陽電車の加古川県道踏切より東側からは道路に転用されています。写真は旧国鉄尾上駅付近を東側から。右に山陽電車の築堤が見えます。
山陽電車は尾上の松駅東方で築堤を上り高砂線を越えます。元々尾上の松駅はこの築堤上にあり、国鉄尾上駅と連絡していました。写真は高砂線廃線跡との交差部。単線だったため2車線の道路がここだけくびれており、車がすれ違うことは出来ません。
1984年の同場所(山陽電車OB提供)。300形普通列車が通過しています。奥に見えるのは国鉄尾上駅。線路はありませんが、今もそれほど変わらない雰囲気です。
国鉄尾上駅跡モニュメント。写真から見ると山陽電車の築堤にくっついて線路の東側にホームがあったようですね。

このまま加古川駅へ向かって北上します。(つづく)

【高砂線廃線跡を歩く①】第二加古川橋梁付近

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国鉄(現JR)加古川駅と高砂港を結び、周辺工場への引込線を多数有していた国鉄高砂線。1984(昭和59)年12月に廃止となってすでに37年以上経ちますが、現在でも鉄道の痕跡が数多く残り、廃線跡ウォークが楽しめる路線です。今回は数回に分け、あちこち歩いてみました。まずは加古川から。

現在の山陽電車加古川橋梁。高砂方から見たおなじみの撮影スポット(夏場はこの写真と反対側から日が当たりますので注意)。下流側に国鉄高砂線の橋梁(第二加古川橋梁)が架けられていました。2018年2月撮影。

山陽電車OBの方より提供された写真。高砂線が廃止となった1984(昭和59)年に撮影されたと思われるもので、山陽電車の隣を単線で渡っていました。この鉄橋は完全に撤去されており、現在では想像しにくい風景です。山陽電車のアルミカー3068号と赤いディーゼルカーが、並んでやって来るのが見えます。
もう1枚の写真にディーゼルカーがはっきり写っていたので、その部分だけ拡大してみました。先頭はキハ30系列のうち最も数が少なかった片運転台・トイレ無しのキハ36です。正面さん板に「36 42」と書かれているのが分かります。2両目はキハ20で「バス窓」と呼ばれた上部がHゴム支持の初期型。いずれも加古川気動車区に所属、沿線の鉄道ファンにはおなじみの存在でした。
高砂北口駅(山陽電車の高砂駅最寄り)へ向かう同じ列車。キハ20のほうは何番か分かりませんでした。現在廃線跡は遊歩道になっており、桜がたくさん植えられていますが、この当時は何もない殺風景な場所だったことが分かります。左の建物は三菱製紙。正面の太陽神戸銀行はそのまま三井住友銀行となりましたが、隣の姫路信用金庫は建て替えられたようです。手前の黄色い看板には山陽交通社の文字が見えます。
上写真の列車が向かう先に見える建物は現在も残っています。カーブした線路跡は駐輪場に転用されています。
加古川を渡る鉄橋は姿を消していますが、堤防横の道路を越える架道橋はそのまま残され、現在は遊歩道の一部となっています。写真手前が旧高砂線、奥が山陽電車。
現在も「朝日町架道橋」のプレートが付いていました。加古川起点5398.69mとあります。昭和55年竣工とありますので、鉄道橋としてはわずか4年10か月しか使われなかったことになります。

さて、次回はここから加古川駅方面へ歩いてみましょう。

【山陽タクシー】ツートンのJPN TAXIが登場!(その2)

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伝統のツートンカラーをまとったJPN TAXI。自社の鈑金工場で塗装されたもので、本当の自家製です。今回はツートンに塗装する作業を特別公開!(撮影協力:山陽タクシー)
山陽タクシー鈑金工場。場所はヒ・ミ・ツ(笑)。タクシー車両を修理する専用工場です。
工員さんが使っている工具箱。なんとこちらもツートンカラー!。愛社精神あふれる作品ですね~。
ツートンになる前に撮影された納車直後のJPN TAXI。最初は真っ白です。もちろんこの姿で営業運行に出ることはありません。(撮影協力:山陽タクシー)
外装のうち、バンパーなど外せる部品は外して別に塗装します。車体上半分の白い部分は元のカラーのままですので、従来車のようなクリーム色ではなく「真っ白」です。
青く塗装された前バンパー部分。
黄色いのは模型を作る方にはおなじみのマスキングテープ。バンパーを組み付けたときに隙間から白が見えないよう、少し内側まで青を塗っています。
ドアは1枚ずつ塗っていきます。乾くまでの間、反対側の後ろドアを塗るそうです。まさに「塗っている」シーンの撮影が出来なかったのが残念ではありますが・・・。
完成したツートンカラー。バンパーなどに貼られたUD TAXIを示すステッカーは、車椅子の耐荷重が増した最新仕様「UD TAXI 2020」で、ピンク色となっています。(従来は緑色。写真左)

JPN TAXI。徐々に勢力を拡大しつつあり、町で見かける機会が増えてきました。

山陽タクシーではただいま乗務員大募集中。多くのお客さまとのふれ合いの中で、自分を成長させてみませんか?お問い合わせは078-753-0077まで。

【山陽タクシー】ツートンのJPN TAXIが登場!(その1)

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車椅子に乗ったまま利用できるユニヴァーサルデサインタクシー(UD TAXI)として、東京では普通に見ることが出来るトヨタ・JPN TAXI(ジャパン・タクシー)。みなさんは見たことがありますか?

写真は日本交通の車両。派手なカラーリングが印象的な東京のタクシーですが、JPN TAXIは「黒」「深藍(こいあい)」「白」の3種類のみ。写真は深藍のものですが、見た目はほぼ黒です。(2018.8.14 東京都内)

このように塗装が統一されたのは、東京オリンピックに合わせ、タクシーのイメージを一新したいと考えられたようなのですが、逆に事業者の個性を失わせる結果となりました。

これに対し、その他の地方ではまだまだカラーリングで他社と差別化したい事業者も多く、メーカーに頼らず自社で塗ってしまう会社も現れました。写真は京都のヤサカタクシー系の車両。白を選択し下部を塗装したものです。(2019.6.16 京都市内)
こちらも白をベースに屋根部分を緑色に塗った名鉄タクシーの車両。電車は「赤」のイメージが強い名鉄ですが、タクシーはこのカラーが伝統色。(2020.10.18 名古屋市内)
む~パパ、旅先でオリジナルカラーのJPN TAXIを探して撮影していたのですが、沖縄で見つけたのは車体全体を自社カラーに塗ってしまった車両。全面塗装車は岡山や金沢でも見かけました。(2020.2.13 那覇空港)

さて、「白+青」のツートンカラーがトレードマークの山陽タクシー。当初導入された車両は「深藍」。恐らく青をイメージしたものと思われますが、ぱっと見は黒にしか見えません。舞子神姫タクシーからの引継ぎ車は黒と深藍の2種類がありましたが、近くでよく見ないと色の違いが分からないものでした。これでは山陽タクシー「らしさ」が発揮できないと考えられたのか、今年3月に伝統のツートンカラーをまとったJPN TAXIがついに登場。さっそうと垂水の街を走り始めました。

左が従来入っていた深藍の車両。ツートンカラーはやはりインパクト大です。(2022.3.24 舞子営業所)

山陽タクシーのツートンカラーも白をベースに自社で塗装したものです。次回、取材させていただいた塗装作業を公開しましょう。

【検証】開業当時の人丸前駅はどこ?

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旧兵庫電気軌道により開業した山陽電車の兵庫~明石間。先日明石駅の場所を解明しましたが、よく分からないのが遊園地前駅と人丸前駅。当時国道2号線はなく、元の山陽電車の線路敷が国道になったという話もあります。

明石市の市政関係書にある1919(大正8)年の地図。(ネット上にあったものを転載しています。)まだ明石以西の神姫電鉄区間は開業しておらず(開業は1923年)、兵庫電気軌道部分だけです。これを見ると線路はまっすぐ敷かれ、このまま国道になったかのようです。
ところが、1923(大正12)年の地図を見てみると、人丸前駅と遊園地前駅の間はまっすぐではなく、少し南に振っていることが分かります。また遊園地前駅自体、南北道の西にあるのですが1919年版では東にあるようです。上下でホーム位置が違っていたのかも知れません。(出典:埼玉大学/今昔マップ)
上が現在の地図(出典:国土地理院)。1923年にあった道を元に線路を描いてみました。現在も当時と同じ区画が多く残っているのが分かりますが、電車の痕跡は残っているのでしょうか?ここまでの地図を頭に入れて現地へ行ってみました。
遊園地前駅があった現在の桜町交差点。国道2号線の東方向を撮っています。現在の国道はまっすぐですね。線路はここから少し南にSカーブとなっていたのでしょうか・・・?
人丸前駅付近。南から北へ向けて撮影。奥に高架駅となった現在の人丸前駅が見えます。古地図に描かれている北西から南東へ斜めに横切る道は写真右側電柱付近から今も付いています。
斜めの道を北から。国道2号線で分断されていますが、国道南側にも続いています。
こちらが国道の南側。予想が正しければこの写真の真ん中を電車が横切っていたはず・・・。
古地図をたどると、右側に写る民家が最初の人丸前駅があった場所!のはずです。現在の国道2号線より20mほど南側でしょうか。痕跡は全くありません。

旧兵庫電気軌道の路線はまだまだ調査の必要がありそうです。

【3619号】ホワイトエンジェルHMと注目の車両を追う。

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かの「ホワイトエンジェル」こと3619号が5月5日限りで引退そしてヘッドマーク(HM)掲示とのニュースに触れ、いわゆる「葬式厨」になりたくない!と思いつつ沿線で撮影してしまういけないむ~パパ。

天使の舞う中に3619号の正面イラストが描かれたHM。(2022.4.24 飾磨)
1号車側は3100号。なぜかこちらも「3619号Last Run」HM付き。あくまで脇役だとは思いますが・・・。(2022.4.24 飾磨)
あまり撮ったことのない場所で・・・。(2022.4.30 藤江~中八木)
3070号。今回引退した3619号と編成を組んでいた3100-3101と3070-3071が交換される形となり、神戸寄りの3070-3071は編成から外れました。多くのファンは3100-3101が3500・3501と置換えられ、付随車化されるものと予想していただけに、意外な展開です。3070号、廃車にはならないとは言えこの連休が編成としては最後の姿となりました。(2022.5.3 西二見~播磨町)
3501号。GW前に3078号の編成から外れました。これは3両編成の入場による不足分を補うための措置と思われ珍しいことではないのですが、前述のとおり3619号引退に伴う3070・3071号の処遇のこともありますので、復活するかどうか微妙なところです。(2022.4.24 飾磨)
前回あまり満足のいく出来でなかった新車6017号を再撮影。「新車をきれいなうちに撮る」プロジェクトですが、残念ながら床下機器が少し汚れてきています。でも、まだまだきれいですよ!(2022.5.3 西二見~播磨町)

6017号投入に伴う車両の動きについてまとめてみました。いよいよ3000系未更新車の置換えも大詰め。ここ数年沿線を沸かせた引退ヘッドマークもお終いということになりそうです。

【神戸電鉄】クラウドファンディングでよみがえった「デ101」

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神戸電鉄のデ101形は、同社の前身である神戸有馬電気鉄道が開業翌年の1929(昭和4)年に製造した車両で、開業時に用意されたデ1形の増備車です。トップナンバーであるデ101号は1971(昭和46)年に引退後も鈴蘭台工場に残され入換用車として余生を送っていましたが、2016(平成28)年に使用終了となりスクラップになる運命が待ち構えていました。

入換車として最後のお披露目となったデ101号。神鉄トレインフェスティバルで走行する姿。(2015.10.4 鈴蘭台車庫)

痛みが目立つ車体。誰もがこのまま解体されるものと思っていました。

が、ここに立ち上がったファンの団体がありました。有志で集まった「デ101まもり隊」により神戸電鉄の協力を得てクラウドファンディングを実施、集まった資金で保存に向けた修理工事が始まったのです。そして今年、2022(平成4)年4月23日、予定された工事が完了し一般公開(ただし申込み多数のため抽選)されました。

美しくよみがえったデ101号。今回は入換車として整備された姿としているそうです。本来は側面に客用扉や窓がありますが、入換車とする際埋められており、これを復元するのは将来の課題と言えましょう。※「101」の文字は撮影用の小道具で、実際は付いていません。(2022.4.23 鈴蘭台車両工場)
今回、特に腐食のひどかった車体すその部分は徹底的に補修されています。なお、当初は走行できる状態での保存を目指していましたが、機器の劣化が進行していたため、現在自力で走行することは出来ません。(2022.4.23 鈴蘭台車両工場)

この角度から見ると、埋められた窓がよく分かり、現役時代の姿が想像できます。(2022.4.23 鈴蘭台車両工場)

「デ101まもり隊」の次の目標は、入換車ではなく本線で走っていた現役時代の姿に戻すことでしょう。神戸電鉄創業期の貴重な姿を残す車両を後世に残すのは技術遺産としても意義のあることと思われます。

神戸電鉄と同じ「パーミル会」に所属する富士急行の河口湖駅前(山梨県)に保存されている、同社前身である富士山麓電気鉄道モ1形電車。神戸電鉄デ101と同系の車両で同じ日本車両製。デ101も最終的にはこの姿に戻せれば良いでしょうね。(2018.4.29 河口湖駅)