せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

板宿の歴史を訪ねて(前編)

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冬ももうすぐそこになってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

前回まで、須磨区を流れる妙法寺川沿いを歩いてきましたが、今回は妙法寺川の下流に開けた板宿を歩いてみたいと思います。

板宿センター街

山陽電車の板宿駅のすぐそばには「板宿センター街」という商店街が続いています。
アーケードの続く関西らしい姿の商店街で、多くの買い物客で賑わっていて活気があります。 地方の商店街が寂れ果てて消えていく時代、元気な商店街を見るとちょっと嬉しくなりますね。
因みに、現在はこの商店街の西側を流れている妙法寺川ですが、大正時代に耕地整理がなされる前はこの商店街の辺りを流れていました。古い地形図を見ると、川跡に市街地が形成されていく様子がわかります。

板宿西部市場

アーケード街から分岐する横道に入ると、「板宿西部市場」なる市場が広がっていました。
整った姿の商店街に対し、こちらは東アジアの市場らしい雰囲気です。
入り組んだ通路沿いに各種の食料品店や近海で獲れた魚を扱う鮮魚店などが建ち並んでいます。

板宿は妙法寺川の扇状地に開けた町で、非常に古い時代から集落があったと言われています。鎌倉時代には板宿村という村の名前が現れ、以後、農村集落として発展していきます。
板宿が大きく変貌したのは近代に入ってから。
板宿村は明治22(1889)年に発足した須磨村に編入され、一地区となりました。
のちに神戸の市街化や兵庫電気軌道(山陽電車の前身)の開通、先述の耕地整理により、農村だった板宿にも市街地が形成されていきました。現在は西神戸の繁華街として発展しています。

登山道?

板宿の市街地を抜けて住宅地の中に入ると、こんな張り紙がありました。
案内に従って歩いていくと、農村集落の雰囲気を今に残す複雑に入り組んだ路地が続きます。ちなみに、現在の板宿駅周辺に市街地が形成される前はこの辺りが板宿村の中心でした。

板宿八幡神社からの眺め

複雑な路地を案内に従ってたどり着いたのは板宿八幡神社
かなり坂道を上ったので、見晴らしがよく、板宿の街を一望できます。
この神社には「板宿」という地名の由来に関わる史跡があるのですが、こちらについては次回にということにしましょう。

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山陽沿線紅葉めぐり・妙法寺川を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、妙法寺川に沿って秋の名残を求めていきたいと思います。

奥妙法寺停留所

禅昌寺から再び神戸市バスに乗り、妙法寺川を遡っていきます。
萩の寺那須神社となかなか興味深いスポットを通り過ぎていくのですが、 またの機会にということで降りるのを我慢します。
谷が開けてきた奥妙法寺停留所で下車。

妙法寺川の流れ

この付近になると妙法寺川は川幅が狭くなってきました。河川改修がされる前であれば紅葉の美しい渓谷だったのでしょう。

妙法寺

バス停から程なくの場所にあるのがその名も妙法寺
地下鉄の駅名にもなっているので大きな寺であろうと思ったのですが、意外に小ぢんまりとした静かな寺院でした。毘沙門天を祭っているため、境内に立ち並ぶ赤い幟には毘沙門天の使いのムカデの紋章が描かれています。

妙法寺の歴史は非常に古く、天平10(738)年に聖武天皇高倉天皇の勅願で行基が開いたとされています。創建時は7つの堂宇と37もの坊舎をもつ大寺院だったのですが、後に荒廃していきました。荒れ果てた妙法寺を再興したのは定範上人なる僧で、承和6(839)年に堂宇を再建しました。平清盛福原遷都の際には都の乾(北西)に当たることから京都の鞍馬寺になぞらえて「新鞍馬」と呼ばれ、神戸市北区の丹生山多聞寺などとともに都の守護として庇護を受けました。

境内の紅葉

境内の紅葉はすっかり見ごろでした。赤い幟もあるおかげで、境内が真っ赤に染まっているようです。

古代には大寺院として栄えた妙法寺ですが、観応の擾乱の際、 観応(1350~1351)年間に高師直軍によって焼き払われてしまいました。この時の破壊は凄まじかったと言われ、元のように復興されたのはなんと江戸時代に入ってからの元禄10(1697)年のことでした。その後、明治時代に入ってからは寺域の縮小が続き、かつての37ヶ所の坊舎も全てなくなってしまいました。
現在は山間の集落に静かにたたずむ寺院です。

妙法寺地区の景色

寺を出て、周辺の妙法寺地区を歩いてみました。 小道が複雑に入り組む集落の中はいかにも山村という雰囲気で、どこか懐かしい景色ですね。かつては周辺にもこのような景色が広がっていたのでしょうが、今は集落のすぐそばまで須磨ニュータウンの団地が迫り、小さな森を挟んだ向こうを地下鉄の線路が貫いて妙法寺駅がそびえています。妙法寺が見てきた長い歴史の中で、この50年間が最も爆発的な変化の時代であったことでしょう。
集落の細道を辿り、妙法寺駅から帰途に就くことにしました。

秋も深まり、冬が近づいてきましたが、山陽沿線の紅葉はまだ間に合います。
今年の紅葉はまだという方、是非沿線を歩いてみてはいかがでしょうか。

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山陽沿線紅葉めぐり・妙法寺川を歩く(前編)

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少しずつ、冬の足音が聞こえてきたこのごろ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

今回は、秋の名残を求めて須磨区を流れる妙法寺川に沿って歩いてみました。

板宿駅前

スタートは山陽電車の板宿駅
地上のバスのりばから神戸市バスの5系統に乗ります。

禅昌寺停留所

板宿の街中を抜けたバスは妙法寺川が刻む谷へと分け入っていきます。
到着したのは禅昌寺停留所
賑やかな板宿から10分もかかっていないのですが、既に山間の趣です。

妙法寺川

集落の中を流れる妙法寺川は、河川改修がなされているものの、渓谷の雰囲気が漂っています。

妙法寺川は神戸市北区から須磨区を流れ、大阪湾にそそぐ川です。
全長は7kmと長くはないのですが、北須磨の丘陵地区を潤し、下流では板宿や新長田の街がある扇状地を形成し、実はなかなか重要な川です。神戸市西部の母なる川とでも言えましょうか。

禅昌寺の山門

バス停から妙法寺川を渡るとバス停の名前にもなっている禅昌寺の境内に入ります。
坂をのぼりつめると色づいた木立の中に小さな山門が佇んでいました。

禅昌寺は臨済宗南禅寺派の禅宗寺院です。
歴史は長く、創建は延文(1356~1360)年間に後光厳天皇の勅令によって月庵宗光なる僧によって建立されたと伝わっています。この地域では有数の寺院で、中世には室町幕府から寺領の寄進を受け、織田信長や荒木村重からは諸役の免除を受けるなど、数々の庇護を受けました。
因みに、山号の「神撫山」はこの寺の裏にそびえる高取山の古い呼び名です。三韓征伐の際、長田に上陸した神功皇后が座った石を撫でたところ、大きな岩となり、ついには高取山にまでなったという伝説からこの名がついたと言われています。

境内の紅葉

山門を越えて境内へ入るとこの景色。
紅葉は今が盛りです。
風格のある堂宇とのコントラストが美しいですね。

禅昌寺の建立当初の堂宇は豊臣秀吉の三木合戦に巻き込まれて焼失してしまいました。後に秀吉の桃山御殿の建物を移築したのですが、それも明治時代に焼失してしまっています。
現在の本堂は大正4(1915) 年に再建されたものです。
そのせいか、一般的な寺院の姿でありながら、どことなく優美な雰囲気が漂っています。

参道の紅葉

板宿から10分あまりとは思えない静けさに癒されるところですが、妙法寺川はまだ続きます。
名残惜しいところですが、先を急ぐことにしました。

次回、引き続き、紅葉を眺めながら妙法寺川沿いを歩いてみたいと思います。

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山陽沿線紅葉めぐり・太山寺を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、神戸市西区の太山寺を歩いてみたいと思います。

太山寺三重塔

境内の中でも目立つのは三重塔です。
こちらは貞享5(1688)年の建築と、比較的新しい年代のものなのですが、堂々とした姿で美しいですね。紅葉の盛りには朱塗りの塔の周りが真っ赤に染まります。

本堂

塔を眺めてから本堂へ。
柱の朱色が鮮やかなので近年に再建されたものなのかと思ってしまったのですが、もとの本堂が弘安8(1285)年に火災で焼失してから再建されたものです。詳しい再建年代はわかっていないようですが、鎌倉時代頃の建築であることは間違いなく、神戸市内で唯一の国宝だそうです。

太山寺の歴史は非常に古く、霊亀2(716)年に藤原宇合(藤原不比等の子)の建立と伝わっています。ただし、発掘調査では古い時代の遺構は発見されていないようで、実際の創建時期は平安時代頃ではないかとも言われているようです。南北朝時代頃には大きく栄え、多数の堂宇や僧兵を抱える大寺院へと成長したようですが、戦乱などに巻き込まれたり時代が変化する中で今のような姿に落ち着いたとのこと。仁王門からの塔頭寺院が建ち並ぶ参道の景色に大寺院だった当時の面影を残しています。

本堂から眺める紅葉

広い本堂からは境内の紅葉を眺めることができました。

奥の院へ

本堂から「奥の院」という看板に従って山道を歩いていくと、境内の裏手を流れる太山寺川のほとりに出ました。目の前には写真のような景色が広がります。まだ早い時期とはいえ、既に息を飲むような景色でした。この景色を眺めるだけでも十分に訪れる価値はありそうです。

奥の院に参拝した後に帰途に就くことにしましたが、次の三連休、紅葉の盛りに再訪してみたくなりました。
ブログをご覧のみなさまも、秋のお休みには歴史の宝庫・太山寺へ紅葉狩りはいかがでしょうか。

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山陽沿線紅葉めぐり・太山寺を歩く(前編)

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すっかり秋になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

街路樹も色づいてきてそろそろ紅葉の季節ですね。
関西で紅葉というとやはり京都が思い浮かぶところですか、実は山陽沿線にも紅葉スポットがあります。
今回は紅葉狩りを兼ねた歴史散策ということで、神戸市西区にある太山寺を歩いてみました。

太山寺停留所

山陽明石駅前から神姫バスに乗って到着したのはその名も「太山寺」停留所。

太山寺仁王門

停留所からバスの回転地を挟んで太山寺の仁王門がそびえています。

太山寺参道を歩く

仁王門をくぐると、石畳の参道が続きます。
あまり人気がなくひっそりとしていたのですが、商店や太山寺の塔頭寺院(寺院の高僧が隠居した後に居住した子院)が建ち並び、この参道だけでも十分な風情があります。

安養院

塔頭寺院の中でも気になったのはこちらの「安養院」 。茅葺の書院と紅葉の景色がいい雰囲気ですね。こちらの書院は神戸市北区にあった江戸時代中期の民家を移築したものとのこと。

安養院は太山寺に数ある塔頭寺院の一つで、境内の庭園は神戸市内で唯一国の名勝に指定されています。作庭の年代や作者は不明とのことですが、岩を配置した枯池式枯山水と呼ばれるスタイルは安土桃山時代の手法とのこと。西神丘陵の寺院に安土桃山時代の庭園があるとは、ちょっと驚いてしまいます。この庭園、毎年11月に一般公開されるとのことですが、今年の公開は11月15日からということで…。ちょっと早かったようですね。

太山寺へ到着

参道の風情が実によく夢中になってしまったので前置きが長くなりましたが、やっと太山寺に到着しました。受付の方によると、紅葉の見ごろには少し早いとのことですが、境内の木々はかなり色づいていました。

次回は、紅葉を眺めながら太山寺の中を歩いてみたいと思います。

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