せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

トアロードを歩く(前編)

投稿日:



秋も深まりつつあるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

三宮神社前

秋の昼下がりに訪れたのは三宮神社
賑やかな都心にあるこちらの神社は旧西国街道に面していて、歴史の舞台になったことは以前お話しました。
今回はここから山手に向かって歩いてみたいと思います。

山を目指して
三宮神社前から山手に向かう坂道の名前は「トアロード」で、かつては神社の名前を取って「三宮筋」 と呼ばれていたようです。海岸線を基準に町割りが作られた旧居留地に対して、このトアロードの界隈は山の等高線を基準に町割りが作られていて、旧居留地の街路とは三宮神社前で微妙な角度が付いています。

トアロードが開通したのは幕末のこと。神戸外国人居留地と、居留地完成までの間に暫定的に設けられた山手の雑居地との間を結ぶ道路として設けられました。いわば「海の神戸」と「山の神戸」を結ぶ道とでも言えましょうか。古い地図を見てみると居留地から山手に向かって真っすぐ道が伸びているのが印象的です。

北野工房のまち

坂の途中に学校のような建物がありました。こちらは「北野工房のまち」です。学校のような…という印象の通り、こちらの建物は昭和6(1931)年に神戸市立北野小学校の校舎として建てられたもので、平成8(1996)年に廃校となるまで使われていました。そういえば、先日訪れた神戸大学六甲台本館も同世代の建物で、どこか似たような雰囲気があります。

館内の装飾

館内は土産物屋が集まる観光スポットになっていて、多くの観光客で賑わっていました。階段の手すりを見ると、優美な装飾が施されていました。トアロードの雰囲気のせいか、何ともそれらしい感じがします。

観光客で賑わう「北野工房のまち」を後にし、さらにトアロードを上っていくことにしました。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

滝の茶屋を歩く(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、滝の茶屋を歩いてみたいと思います。

山手へ

滝の茶屋駅から東へ歩いていくと、山手側へ上る坂道を見つけました。急な坂道ですが、右側には石垣が続いていて、ちょっと風情があります。

旧ジェームス邸

坂道を上ると洋館が姿を現しました。こちらは旧ジェームス邸です。

ジェームス邸のある一帯は「ジェームス山」と呼ばれていて、神戸でカメロン商会なる会社を営んでいたイギリス人貿易商アーネスト・ウイリアムス・ジェームス氏が自邸と住宅地を開いたことに始まります。後にこの住宅地は三洋電機創業者の井植歳男氏の所有となりましたが、今でもこの辺りの通称としてジェームス氏の名前が残されています。

旧ジェームス邸の門

旧ジェームス邸の正面は意外なことにちょっと和風な雰囲気。現在、こちらはレストランや結婚式場となっています。昭和9(1934)年の建築で他の異人館比べると新しいのですが、大きさといい趣といい、この辺りではかなり目立つ存在です。「望淡閣」という美しい通称もあるとのこと。

ライオン像

ジェームス邸からさらに山手へ坂道を上っていくと、二股の道に鎮座するライオン像を見つけました。このライオン像から左手はジェームス氏が拓いた「ジェームス山外国人住宅」の私有地となっていて、現在でも関係者以外は立ち入りが禁止されています。このライオン像は住宅地のシンボルとされているとのことです。住宅地内は立ち入り禁止で、鬱蒼とした木々で外から伺うこともできないのですが、航空写真などを見てみるとゆったりとした区画に住宅が建ち並んでいることを見ることができます。古い地形図と見比べてみると、住宅の並びは今も昔もあまり変わっていないようです。少々興味を惹かれるところではありますが、ライオン像に別れを告げて、坂道を下ることにしました。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

滝の茶屋を歩く(前編)

投稿日:



秋も深まってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

滝の茶屋駅

復刻塗装の3000号で到着したのは山陽電車の滝の茶屋駅。

ホームから

滝の茶屋駅は海を見下ろすことができる駅として知られていて、下りホームからは大阪湾を見下ろすことができます。訪問時はあいにくの天気でしたが、淡路島を眺めることができました。

山陽電車を眺めながら

山陽電車と海を眺めながら歩いて行くことにします。ちなみに、この辺りの地名は垂水区城が山で、滝の茶屋という地名ではありません。では、駅名の滝の茶屋とは一体…?

滝の名残

駅の西側に草木に覆われた水路がありました。水路に架かる橋には「白滝川」の名前が刻まれています。

現在でも山陽電車の線路の海側は切り立った崖ですが、かつてはこの崖の下は海で、川の水が滝となって直接海へ流れ込んでいたそうです。その滝のそばには茶店があり、旧山陽道を通る旅人の憩いの場所となっていたとのこと。現在ではコンクリートで固められた水路となり、山陽電車とJRの線路に囲まれていて、滝の雰囲気は失われてしまっています。しかし、かつてこの地に滝と茶店があったことは駅の名前で残っています。そういえば、「垂水」も「垂れる水」、つまり、この界隈の滝を地名の由来としているようですから、共通のルーツを持つと言えましょか。

滝の茶屋のルーツを訪ねたところで、次回は滝の茶屋の山側を巡ってみたいと思います。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

六甲を巡る(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて六甲界隈を歩いてみたいと思います。

お地蔵さんと丁石

六甲八幡神社より坂道を登って行くと、斜面に建つマンションに埋もれるようにお地蔵さんと丁石がありました。この先に神社がありそうな気配で、丁石には「一王山十禅寺道」とありました。

神戸大学六甲台本館

坂を上り詰めると、大学の敷地にたどり着きました。大阪湾を見下ろす高台に建つのは神戸大学六甲台本館の建物です。時計台が印象的なこの建物は昭和7(1932)年に神戸大学の前身の神戸商業大学の本館として建てられたもの。玄関のアーチなどが建築当時の流行を今に伝えるようで、何とも美しいですね。

六甲台からの眺め

学舎からは神戸の街並みと大阪湾を見下ろすことができます。天気のいい日は遠く紀淡海峡まで望むことができますが、訪問時は生憎の天気でした。いい景色ですが、はて、そういえば、先ほどの「一王山十禅寺」とやらは…?

一王山へ

次に「一王山十禅寺」の名前を発見したのは大学の構内を出た住宅地の中でした。道標に従って歩いて行くことにします。

一王山十禅寺

住宅地の行き止まりにあったのが一王山十禅寺。臨済宗永源寺派の禅宗寺院です。先ほどの丁石はこのお寺を示していたのです。

一王山十禅寺は天喜5(1057)年に創建されたと伝えられ、千年近い歴史を持つ古い寺院です。かつては高台にいくつもの僧坊が建ち並ぶ大寺院だったそうですが、元弘3(1333)年に赤松円心と京都の六波羅探題の軍勢が戦った摩耶山城の戦いの際に見晴らしのいい境内は陣地となり、壮大な伽藍は焼失しました。現在の位置は後に移されたそうです。もともと寺があった場所は先ほどの神戸大学の敷地であるとか六甲ケーブル山頂駅付近であるとか諸説がありますが、詳しくはわかっていないとのこと。いずれにしろ、先ほどの丁石はかつての寺を指し示していたのでしょうか。ただし、丁石が中世以前のものにしてはちょっと新しいものっぽい所が何だか疑問ではありますが。
十禅寺はその後も何度も兵火に遭い、現在の建物は江戸時代の建築です。周辺は住宅やマンション、大学の建物が建ち並んでいますが、古い地図を見るとかつては細い谷の行き止まりにある山のお寺だったようで、今でも門前に当時の雰囲気を何となく感じることができます。

一王山

お寺の裏の一王山に登ってみることに。山頂には小さな祠がありました。この一王山という名前は十禅寺の山号によるもので、寺の移転後につけられた地名です。では、もともとの一王山はというと、十禅寺のあった尾根を「一の尾」と呼んだことに由来しているとのこと。山中には高野山の遥拝所があるとのことなので探してみたのですが、住宅地の中の森とは思えない鬱蒼とした木々に阻まれて断念しました。これらの木々はこの辺りが開発される前からの古い古い森なのでしょう。

住宅地の中にひっそりと佇む寺院を後にし、六甲道へ坂道を下り降りることにしました。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

六甲を巡る(前編)

投稿日:



急に肌寒くなってきたこのごろ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

六甲道

秋の昼下がりにやってきたのは六甲道
神戸の東の副都心とでもいうような町で、多くの人で賑わっています。

六甲宮前商店街

駅の西側に鳥居を模したアーチがかかった商店街がありました。こちらは六甲宮前商店街。「宮前」というからにはこの先に「宮」があるのでしょう。というわけで、商店街を通り抜けていくことに。

六甲八幡神社

阪急電車の六甲駅も近づいてきた頃にたどり着いたのが六甲八幡神社。市街地の中に急に広い杜が現れて驚いてしまいますが、長い歴史を持った神社です。先ほどの商店街は門前町かと思いきや、古い地図を見てみると商店街の辺りは一面の田んぼだったようで、そういうわけではなさそうです。

六甲八幡神社の創建は詳しくわかっていないようですが、平安時代の記録には既に「八幡」の名前が現れているとのことで、千年近い歴史があると考えられます。中世に一度荒廃してしまったそうですが、後に再建され、酒造関係者などの深い信仰を集めたとのこと。近世には格式ある神社とされ「摂津国八幡神社」とも呼ばれていたそうです。

摂津国八幡神社の碑

神社の北側には古めかしい書体で「摂津国八幡神社」と記された碑がありました。周辺は開発が進み、石碑に注目する人はほとんどありませんが、こうした街角に歴史的なものが隠れているのもこの辺りの魅力とでもいえるでしょう。

この辺りは学生街で、休日でも多くの学生が行きかっています。次回は学生にまぎれて山手の方を散策してみたいと思います。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村