せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

伊丹郷を訪ねて(前編)

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紅葉の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

阪急伊丹駅

今回訪ねたのは阪急伊丹線の終点の伊丹駅
駅前に停まる緑色の市営バスを眺めながらのスタートです。

伊丹郷

伊丹と言えば空港のイメージですが、阪急伊丹駅から少し歩いたところに広がっているのは空港のイメージとは異なる石畳と趣のある家並みの景色でした。

今の伊丹の市街地は中世の有岡城の城下町が始まりとされています。この街の発展を支えたのは酒造業でした。今、一般的に飲まれている日本酒の清酒が生まれたのは、ここ伊丹市の北の鴻池地区とされています。戦国武将の山中鹿之助幸盛の子と言われている新六幸元なる人物がこれまでの濁酒とは異なる「澄酒」(清酒)の醸造法を確立したのは慶長5(1600)年頃とされ、この清酒は江戸で大人気となりました。

伊丹郷の街並み

街中には酒造会社があり、酒樽が並べられていました。

旧岡田家住宅

市街地を歩いていくと、趣のある建物がありました。こちらは旧岡田家住宅です。江戸時代初めの延宝2(1674)年に松屋与兵衛なる人物によって建てられた酒造家の店舗と酒蔵です。近代にかけて、所有者は何度も変わりましたが、昭和59(1984)年に酒造業者が廃業するまで現役で使用されていました。17世紀の町屋造りを今に残す貴重な建物として、今は重要文化財に指定され、伊丹市の所有となっています。通常は一般にも公開されているようですが、令和4年3月まで改修工事中とのことで今回は見学することはできませんでした。

城下町の跡に生まれた酒造業の街・伊丹。
次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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揖保川のほとりの城下町・龍野を歩いて(肆)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
これまでに続いて、龍野を歩いてみたいと思います。
四回目の今回で、龍野を巡る旅は終わりです。

龍野城隅櫓

本丸を降り、城下に出ると立派な櫓がそびえていました。こちらは隅櫓です。明治以降に龍野城の本丸は失われてしまいましたが、こうして櫓や城門は残されています。

龍野神社

城下町の外れに神社がありました。こちらは龍野神社です。神社の始まりは幕末の文化8(1811)年に祠を築いたことで、後の文久2(1862)年に江戸の脇坂家の藩屋敷の祠を移して神社となりました。余談ですが、この汐留の藩屋敷の跡地は後に開業した日本初の鉄道の新橋駅の用地となりました。

聚遠亭

龍野神社の近くにあったのが聚遠亭です。

聚遠亭は脇坂家の上屋敷跡に設けられた庭園で、紅葉の名所としても知られています。園内にある茶室は池に浮かぶような姿ですが、こちらは幕末の安政期に当時の藩主・脇坂安宅が京都所司代を務めていて、炎上した御所の復興の功績として当時の孝明天皇から賜った茶室を移築したものとされています。もともとはこの茶室が眺めの良さから「聚遠亭」と呼ばれていましたが、今は庭園全体が「聚遠亭」とされています。

再び龍野城へ

再び龍野城に戻り、埋門から城下町を見下ろしてみました。

揖保川のほとりの城下町・龍野。川の水運を活かした物資の集散地であったことが素麺や醤油といった産業を生み出し、龍野藩の政策がそうした産業を育み、今の産業都市へと発展させました。全国に知られる産業の中心で、文化の息づく城下町は一日では足りないくらいの見どころがあります。4回に渡って龍野を歩いてみました。世の中はまた厳しい状況となってきましたが、こんな時期だからこそ、近場の播州で秋を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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揖保川のほとりの城下町・龍野を歩いて(参)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に続いて、龍野を歩いてみたいと思います。

旧龍野醤油同業組合事務所

広場の一角にあったのが旧龍野醤油同業組合事務所です。
大正13(1924)年の建築で、今はたつの市の「醤油の郷 大正ロマン館」として使用されています。また同じ敷地内には醸造工場があったのですが、こちらの建物は土産物店やレストランとして使用されています。

龍野城埋門

街の中を歩くと、立派な城門にたどり着きました。こちらは龍野城埋門です。

龍野城は室町時代の明応8(1488)年に龍野赤松氏とも呼ばれる赤松村秀がこの城門の向こうに聳える鶏籠山に城を築いたのが始まりとされています。この城は江戸時代に入るまで使われていましたが、江戸時代初めの万治元(1658)年に当時の城主だった京極高和が讃岐の丸亀に転封となった際に龍野藩は幕領となり、城は破却されてしまいました。城が再建されたのは寛文12(1672)年に脇坂安政が龍野藩主となった際です。この後、明治まで脇坂氏が代々龍野藩を治めることとなりました。

石段が続く

埋門をくぐると、立派な石段が続いています。

本丸御殿

石段を登りきると、本丸御殿が現れました。こちらは昭和54(1979)年に再建されたものですが、当時の雰囲気を今に伝えています。ちなみに、脇坂氏が再建したのは鶏籠山の山麓の居館のみです。この本丸御殿を見ると、城というよりは陣屋のような雰囲気なのはそのせいでしょうか。

龍野市街を眺める

城からは龍野の街を眺めることができました。
やはり目立つのは醤油メーカーの建物ですね。脇坂安政は龍野の城下町の整備を行い、薄口醤油産業の奨励も始めたとされています。今につながる龍野を作り上げたのは脇坂氏ともいえそうですね。

次回はさらに龍野城と城下町を歩いてみたいと思います。

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揖保川のほとりの城下町・龍野を歩いて(弐)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、龍野を歩いてみたいと思います。

たつの市龍野伝統的建造物群保存地

竜野橋を渡ると龍野の旧市街地に入ります。この辺りは「たつの市龍野伝統的建造物群保存地区」と呼ばれていて、その名の通り趣のある街並みが続いています。

うすくち龍野醤油資料館

日本的な建築物の建ち並ぶ街中に洋風の建築物がありました。こちらは「うすくち龍野醤油資料館」です。元々は昭和7(1932)年に現在のヒガシマル醤油の前身の一つである菊一醤油が本社事務所として建てたものです。現在は資料館となっていて、醤油作りの工程を見学できるようになっています。

龍野では素麺だけでなく、醤油も知られています。龍野の周辺の佐用や宍粟の山間部では「三日月大豆」と呼ばれる良質の大豆が生産され、素麺にも使われた揖保川流域の小麦、播磨灘沿岸で生産される塩と合わさって醤油作りが始まったのは安土桃山時代の天正15(1587)年、円尾孫右衛門長村なる人物が醤油醸造業を始めました。その後、龍野では醤油ではなく酒造業が盛んになりますが、それらはやがて醤油醸造業に転業していきます。現在でも10社が醤油を生産し、西日本有数の醤油の産地として知られています。
この立派な洋風建築は、中世から現代にかけて、この街で醤油産業が非常に栄えていることを伝えています。

如来寺

うすくち龍野醤油資料館の斜向かいには立派な寺院がありました。こちらは天文2(1533)年創建と伝わる如来寺です。寛文2(1672)年に脇坂氏が龍野藩主となってから代々脇坂家の菩提寺とされていました。龍野の醤油の発展には龍野藩の産業奨励もあったとされています。

柳と水路

如来寺の裏手には柳の美しい水路の景色が続いていました。

醤油蔵の景色

水路沿いに歩いていくと、醤油蔵の景色が広がっていました。周辺には飲食店や土産物店もあり、少し観光地の趣です。

素麺と醤油を始めとした産業が息づいた城下町・龍野。次回はもう少し城下町を歩いてみたいと思います。

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揖保川のほとりの城下町・龍野を歩いて(壱)

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木々も色づき始めたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

本竜野駅

姫路から姫新線の列車で着いたのは本竜野駅です。
ローカル線の雰囲気に合わずに立派なガラス張りの駅舎が迎えてくれました。

龍野を歩く

本竜野駅前からは整備された市街地が続いています。
歩道の向こうに見えるのは醤油メーカーの工場ですね。古くから播磨平野の内陸に栄えた龍野は播磨灘沿岸の工業都市と比べると目立たないかもしれませんが、この街で特徴的なのは食品工業です。中でも醤油と素麺は全国的に知られていますね。

兵庫県手延素麺協同組合

駅前を歩いていくと、「揖保乃糸」と書かれた看板が目立つ建物がありました。こちらは兵庫県手延素麺協同組合です。

播州の素麺の歴史は古く、太子町の斑鳩寺に保存されている『鵤庄引付』という書物にははるか中世の応永25(1418)年に「サウメン」という記述があり、これが播州で最も古い素麺に関する記述だとされています。播州の揖保川沿いでは小麦が盛んに生産されていて、播磨灘沿岸では塩も生産され、冬に乾燥した気候もあって近世にかけて、素麺が盛んに生産されるようになり、それは今も続いています。

揖保川の流れ

さらに歩いていくと、大きな橋に差し掛かりました。この橋は竜野橋で、橋の下を流れるのは揖保川です。宍粟の山奥から龍野を経て網干へと流れる揖保川は播州の物流を支え、素麺の原料や商品を運ぶのにも使われてきました。

竜野橋

竜野橋の向こうには鶏籠山的場山といった山々が連なっています。元々の龍野の市街地は揖保川の向こう、山々の麓に広がっていました。

次回は龍野の街を歩いてみたいと思います。

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