せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

鹿児の浜松が見守る浜の宮を歩いて(前編)

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夏の盛りの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

浜の宮駅

今回、山陽電車で降りたのは浜の宮駅です。
小さな駅に蝉時雨が降り注いでいます。

浜宮天神社

駅から住宅地を歩くと、神社がありました。
こちらは浜宮天神社です。

浜宮天神社の境内

住宅地の中の神社ですが、浜宮天神社の境内は広く歴史と由緒がある神社であること感じさせます。

浜宮天神社はその名の通り、菅原道真を祀る神社です。
伝説では、道真が大宰府へ左遷される延喜元(901)年にこの場所で休息した際に海上の平穏と万民の幸福を祈願して松を植えたことが由来とされています。中世には多くの社領を持つ神社として大いに栄えたとのこと。

鹿児の浜松

境内には道真が植えた「鹿児の浜松」が生い茂っています。こちらの松は近世には「播州松めぐり」の一つに数えられるほどの名松でしたが、明治時代に枯れてしまい、現在の松は二代目です。

加古の松原
天神社の参道沿いに続くのは「加古の松原」と呼ばれる松林です。立派な松の木が隙間なく生い茂る光景には圧倒されてしまいそうですね。

はるか古代からの神社と松林が見守る浜の宮ですが、ここには別の歴史もあります。
次回ももう少し浜の宮を歩いてみたいと思います。

姫路・阿保を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路の阿保を歩いてみたいと思います。

光徳寺

阿保神社の近くに立派な瓦屋根を見つけました。こちらは光徳寺です。創建は明応元(1492)年とされ、もとは英賀にありました。それが飾磨津、そして、姫路城下へと移り、昭和20(1945)年の姫路大空襲で焼失した際にここ阿保へ移転して再建されたとされています。

市川の渡し

東姫路駅の北側へと歩き、市川のほとりに出てみました。ちょうどこの辺りには渡し船の「市川の渡し」があったそうですが、夏草に覆われて痕跡は見当たりません。

「阿保」(英保)の名前は「播磨風土記」にも記されていて、もともとこの地域の住民は伊予国にあった英保という地域から移り住んだものとも言われています。市川沿いに開けた地域は古くから開発が進み、川の両岸に史跡が点在しています。

市川橋

現代では渡し船の代わりに、市川の上には市川橋が架かり、国道2号線が通る幹線道路となっています。

溺死者菩提碑

市川を渡った先は「東阿保」と呼ばれる地区です。市川沿いにそびえる丘は「城山」とも呼ばれていて、阿保構居に関係があるとされています。
山の中に佇んでいたのは「溺死者菩提碑」で、江戸時代の寛延2(1749)年に発生した洪水により姫路城下の船場川沿いで犠牲になった人たちの菩提を弔うために建てられたそうです。

市川を眺めて

東阿保から市川を眺めてみました。
下流に架かるJRの鉄橋を列車が渡っていく音が響きます。

新しい住宅地が広がる地域ながら、市川に育まれた歴史の眠る阿保地区
市川を渡る風に誘われて、歩いてみてはいかがでしょうか。

姫路・阿保を訪ねて(前編)

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強い日差しが照り付け、夏本番となったこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

東姫路駅

今回、山陽姫路駅で乗り換えて着いたのは姫路駅の隣の東姫路駅
平成28(2016)年に開業したばかりの新しい駅です。

乙阿保地蔵

東姫路駅の周辺には真新しい住宅地が広がっています。そんな住宅地の中を歩いていると、お地蔵さんを見つけました。こちらは「乙阿保地蔵」と呼ばれているようです。駅名は「東姫路」ですが、この辺りは古くから阿保という地名で、このお地蔵さんがあるのは「阿保乙」という地区です。

宇賀神社

やはり真新しい住宅地の中にあったのが宇賀神社。その名の通りお稲荷さんです。

宇賀神社の境内

住宅開発とともに整備されたのでしょうか、宇賀神社の社殿や境内の砂利は真新しいですね。
この神社の創建時期は詳しくわかっていないようですが、古い歴史を持つとされています。

ここ阿保は古くは「英保」とも呼ばれていました。中世には「阿保構居」という城郭もあったそうで、赤松氏配下の英保氏が治めていたとされています。姫路の近郊で古くから開発されていた地域で、最近は姫路や京阪神のベッドタウンとして開発が進んでいる地域でもあります。

阿保神社

阿保地区の南にあったのが阿保神社です。今は小さな神社で、創建時期などの由緒はわかっていないようですが、こちらも古い歴史を持っているとされています。

阿保神社の鳥居

南側に向かって社殿が建つ阿保神社ですが、鳥居はなぜか西側に向いて立っていました。
阿保神社の周辺は「阿保構居」の跡と言われていますが、今では空地のような空間が広がっていて、痕跡はありません。

次回も、市川のほとりに広がる阿保地区をもう少し歩いてみたいと思います。

韓泊の入り江・的形を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、的形を歩いてみたいと思います。

圓光寺

湊神社から山陽電車の線路を渡った先に小高い丘がありました。丘の上に佇むのは圓光寺です。

圓光寺の境内

境内には大きな本堂が佇んでいました。大きな堂宇は的形の町の中でも目立ちますね。現在は国道が掘割状に貫通していますが、もともとこの丘は尾根筋のような地形になっていて、中世には的形構居という城郭があったそうです。

児島屋台倉

圓光寺から住宅の中を歩いていくともう一つの丘に突き当りました。「八幡山」と呼ばれる丘のふもとには児島地区の屋台倉が佇んでいます。集落にこうした屋台倉があるのは播州ならではの光景ですね。

八幡神社

丘の上にあったのは八幡神社です。この神社は湊神社の御旅所になっています。境内は夏草に覆われていましたが、祭りの時には大いに賑わうことでしょう。

現在は町中の丘になっている八幡山ですが、ここ的形が入り江だったころは海に浮かぶ小島のようだったと言われています。はるか古代、この地を訪れた神功皇后が海を挟んだ湊神社からこの小島を的に見立てて矢で射る神事を行った伝説から、この地が「的形」と呼ばれるようになったと言われています。この八幡山が不思議な地名の「的形」のルーツと言えますね。

八幡山からの眺め

小高い八幡山からは的形の町と圓光寺を見下ろすことができました。
摂播五泊のひとつの韓泊ともいわれた入り江は姿を消した的形ですが、眩しいくらいの緑が、まるで海のように歴史と伝説の町を彩っていました。

的形の海へお出かけの際は、少し立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

韓泊の入り江・的形を歩いて(前編)

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梅雨が明けたというのに蒸し暑い日が続くこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

的形駅

山陽電車で着いたのは的形駅です。
ひっそりと静かな雰囲気ですが、潮干狩りや海水浴といった初夏から夏にかけてのレジャーの出発点になる駅で、この季節は的形へという方も多いのではないでしょうか。

的形の祭り

もう一つ、ここ的形を彩るのが秋の湊神社の祭りです。
駅の山側には祭りの写真パネルが立っていました。

湊神社

駅の山側の住宅地を抜けた先に佇んでいたのが湊神社です。

的形の氏神となっている湊神社ですが、詳しい創建時期はわかっていません。古代の的形は入り江のように海が入り込んだ地形になっていて、その様子が万葉集にも歌われてます。神社はその頃から祀られていたともいわれています。ちなみに、現在の「湊」の名前で呼ばれるようになったのは平安時代の末とされています。

湊神社の境内

湊神社の境内は広々としていて、歴史ある神社であることを感じさせます。

的形を眺める

湊神社から的形の街並みを眺めてみました。現在は住宅が建ち並ぶ一帯ですが、かつては海だったといわれていて、奈良時代に僧・行基が開いたといわれている摂播五泊のひとつの韓泊はこの辺りだったという説もあります。

レジャーだけでなく歴史にも彩られた的形をもう少し歩いてみたいと思います。