せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

赤石伝説の町・松江を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて明石の松江を歩いてみたいと思います。

松江公園

雨の松江を歩いていると、大きな公園がありました。
こちらは松江公園です。タコの形の遊具が知られていますが、雨の中人影はありませんでした。

赤い石
海側の入り口の傍には公園の表示がありました。表示に使われているのは珍しい赤い石です。

「明石」の地名は、諸説はありますがここ松江にあった赤石が由来とされています。伝説では、今の神戸市西区にある雄岡山・雌岡山の辺りに住んでいた男が鹿の瀬に乗って小豆島の恋人のもとへと海を渡っていると、猟師が打った矢が当たったために鹿が死に、男もおぼれて死んでしまいました。その後、鹿は石となり、石の赤い色は鹿の血の色だとされています。この伝説には諸説があり、いずれも鹿の血の色で石が赤くなったとされています。

赤石の碑

公園から海沿いに歩いていくと、赤石の碑がありました。石碑には鹿のレリーフが埋め込まれています。現在、赤石は海中に沈んでいますが、かつてはこの松江の沖合の海面に顔を出していたそうです。古い地形図にもこの沖合に「赤石」が描かれたものがありました。

赤石の沈む海

松江の海を眺めてみました。あいにくの天気ですが、この先の海に明石の由来となった赤石が眠っていると思うとどこかロマンを感じますね。

今は静かな住宅地ですが、明石の地名の由来とも言われる伝説に彩られた松江、このようなご時世ですが、ご近所のお散歩に訪れてみてはいかがでしょうか。

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赤石伝説の町・松江を訪ねて(前編)

投稿日:



いつもより早い梅雨の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

林崎松江海岸駅

雨の降る中着いたのは林崎松江海岸駅
バリアフリー化のために以前の面影を残しながら装い新たにリニューアルされています。

東松江の町

雨の降る東松江の町を歩いていると、畑の中にこんもりとした森がありました。

大歳神社

森の中にあったのは大歳神社です。

山陽電車の駅名では「林崎松江海岸」と呼ばれているこの辺りは林崎村と呼ばれていました。今では町が一続きになっていますが、かつては海沿いにいくつかの集落が並んでいました。この辺りには東松江川を挟んで「東松江」「西松江」といった集落があり、合わせて「松江」と呼ばれていました。今は住宅地となっていますが、かつては播磨灘を望む漁村が広がっていたのでしょうか。

東松江の町

相変わらず梅雨の雨の降る東松江

今は静かな住宅地ですが、ここにはちょっとした見どころがあります。
次回はもう少し東松江を歩いてみたいと思います。

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初夏の魚住を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、魚住を歩いてみたいと思います。

西岡の街並み

瀬戸川を渡った先に広がるのは西岡地区です。
古くからの趣ある街並みが続いています。

薬師院

西岡の集落の中にあったのが薬師院です。

薬師院は奈良時代の天平2(730)年に建立されたという古刹です。のどかな集落の中に1300年近い歴史を持つ寺院が佇んでいるのには驚きますが、この地域の歴史の深さを感じますね。なお、建立したのは僧・行基と伝わっています。

薬師院の境内

薬師院の境内は広々としています。通称「ぼたん寺」と言われるだけあって、初夏にはぼたん園が開かれて、多くの参拝者を楽しませていますが、今年は新型コロナウィルス感染拡大の影響で開園は中止となっています。事態が落ち着いたころに、鮮やかな花を楽しみに訪れたいですね。

臥龍松碑

境内には「臥龍松」と刻まれた石碑がありました。かつてこの場所には「播州松めぐり」の一つに数えられた臥龍松がありました。今は古株が残されているのみですが、こうして石碑に名を遺す名松でした。なお、播州松めぐりの松は高砂や曽根、尾上などにあり、今も松をめぐって楽しむことができます。事態が落ち着きましたら、のんびりと松めぐりを楽しんでもいいかもしれませんね。

天王神社

薬師院に隣接してあったのが天王神社です。小さな神社ですが、一説には神亀3(726)年に聖武天皇が印南野にあったとされる邑美頓宮(おみのかりみや)へ御幸した跡とも伝わっています。

薬師院の亀

薬師院の前の池では亀が日差しを浴びて日向ぼっこしていました。

大変な状況が続きますが、のどかな景色が広がる魚住で、心をいやすお散歩はいかがでしょうか。
なお、お出かけの際は十分な感染症対策をお願いいたします。

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初夏の魚住を訪ねて(前編)

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風薫る頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽魚住駅

山陽電車で着いたのは明石市の西部に位置する山陽魚住駅です。

茨木酒造

山陽魚住駅から西へ歩くと、立派な酒蔵が現れました。こちらは「來楽」というお酒を造っている茨木酒造という酒蔵です。

明石市の大久保から魚住にかけての地域には多数の酒蔵があり、「西灘」と呼ばれていました。その始まりは江戸時代の初めと言われています。延宝7(1679)年には、江井島の卜部八兵衛なる人物が酒造を行った記録が残されていて、少なくともそのころには酒造りが行われていたのではないでしょうか。水と米に恵まれたこの地域では多くの酒蔵が生まれ、最盛期には60軒もの酒蔵があったと言われていて、今も6軒の酒蔵が酒造りを続けています。

來楽

こちらではオンラインショップでお酒の販売をされています。
外でお酒を楽しむのが難しい状況が続きますが、自宅でも西灘のお酒を楽しむことができるのは嬉しいですね。

魚住の景色

茨木酒造を出ると、田んぼの景色が広がります。
田植えを前に田おこしが行われた田んぼからは土のにおいがします。

瀬戸川

程なく、瀬戸川に差し掛かりました。河口の向こうには、初夏の日差しを浴びて輝く播磨灘が広がっています。

播磨灘沿いに穏やかな街並みが広がる魚住、次回はもう少し歩いてみたいと思います。
なお、お出かけの際は感染症対策にご協力をお願いいたします。

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新駅舎工事中・大塩を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大塩を歩いてみたいと思います。

大歳神社

大きな明泉寺を出て、街中を歩くと大歳神社に着きました。小さな神社ですが江戸時代の初めには存在していたといわれ、長い歴史を持っているようです。

西光寺

大歳神社の隣にあったのは西光寺です。室町時代の創建と伝わり、明泉寺と並ぶ大塩地区の古刹です。

大塩の街並み

さらに大塩の町を歩きます。狭い通りの両側には大きな家が建ち並び、製塩業で栄えた頃を今に伝えています。

もともとこの地域で製塩が盛んだったのは荒井や的形でした。しかし、近世にかけて、大塩や赤穂といった地域での製塩が発展していくことになります。かつては「塩崎」や「汐咲」などとも呼ばれた大塩は姫路藩の保護も受け、赤穂と並んで、その名の通り播磨の製塩業の中核地として大いに発展しました。

大乗神社

町の中にあったのは大乗神社です。小さな神社で、創建時期は分かっていないようですが、古くからの神社と言われています。かつてこの神社の付近には「大養寺」という寺院があり、のちに移転して寺号も改めたものが今の明泉寺です。

江戸時代の初めから、大塩では入浜式塩田という遠浅の砂地で太陽光や風の力で海水を乾かし塩を作る入浜式の製塩が行われていましたが、近代に入ると効率の良い流下式に移り変わっていきます。一時は高砂市の梅井付近から的形、そして白浜へと、山陽電車の線路の浜側一帯に塩田が広がっていました。しかし、昭和46(1971)年からイオン交換膜製塩法が始まり、塩田は廃止されていきました。大塩の塩田跡地は再開発が進み、今は大学のキャンパスやメガソーラー発電所などになっています。

大乗神社の境内

かつて製塩で栄えた街中に佇む神社の境内には春の日差しが差し込んでいました。

駅の改良工事の進む大塩駅。駅の周りには製塩で栄えた時代を今に伝える街並みが広がっています。また大変な状況となりましたが、密を避けたお散歩に訪ねてみてはいかがでしょうか。

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