せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

離宮道を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、須磨の離宮道を歩いてみたいと思います。

松風村雨堂

離宮道
に面したお堂の松風村雨堂は平安時代に松風村雨姉妹の庵があった場所と伝わっています。

平安時代の公卿だった在原行平が須磨へ蟄居を命じられたのは文徳天皇の御代(850年~858年)とされています。須磨の海岸で過ごしていたところ、汐汲みに来た多井畑の村長の娘の「もしほ」「こふじ」姉妹に出会い、「松風」「村雨」と名付けて親しんだそうです。やがて、行平は京へ戻ることとなり、烏帽子と狩衣を形見として松の枝にかけて旅立っていきました。姉妹は行平を慕って、行平の居所の傍に庵を編んで観世音菩薩をまつったと言われています。その庵の跡がこの松風村雨堂とされています。

離宮道を進む

松風村雨堂から、さらに離宮道を進みます。青々とした松並木が山へ向かっていきます。

須磨離宮公園

離宮道の先にあったのが須磨離宮公園です。もとは武庫離宮(須磨離宮)と呼ばれ、大正天皇の離宮として宮内庁が買い取り整備したものです。ただし、大正天皇がこの離宮を利用したのはわずか3回だけと言われ、整備された御殿は昭和20(1945)年3月の神戸大空襲の際に焼失してしまいました。戦後の昭和42(1967)年に、今の上皇陛下のご成婚記念に神戸市へ下賜され、須磨離宮公園として整備されています。

千森川筋

離宮公園から千森川筋を歩いていきます。その名の通り、暗渠になった千森川が流れている道で、緩やかなカーブに川の名残を感じます。

堂谷池

途中に須磨寺の裏手の堂谷池に差し掛かりました。
鏡のように静かな池の水面には、須磨の街並みと山々が写りこんでいます。

まだまだ油断ができない状況が続きますが、少しお出かけの気分も盛り上がってきました。歴史に彩られた秋の須磨を歩いてみてはいかがでしょうか。

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離宮道を歩いて(前編)

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山の木々も染まりゆく頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

月見山駅

山陽電車で着いたのは月見山駅。秋が深まり、影が長くなってきましたね。

須磨浦の山々

駅から西へ向かうと、須磨浦の山々を遠くに眺めることができました。
西日本豪雨で崩れた山肌が今も痛々しいですね。

離宮道

南北に通る松並木の美しい道に行き当たりました。こちらは離宮道です。

浄土真宗本願寺派第22世法主をつとめた大谷光瑞の別邸を宮内庁が買い取り、武庫離宮(須磨離宮)として整備したのは大正3(1914)年のことで、この離宮道は天皇の離宮への行幸のために整備された道でした。並行する道は数多くありますが、この離宮道の沿道にはクロマツが植えられていて、他の道とは違った趣です。

松風村雨堂

離宮道に面して、小さなお堂がありました。こちらは村雨松風堂です。平安時代、在原行平を慕っていた松風・村雨姉妹が建てた庵があった場所だと伝わっています。

街中に須磨の深い歴史を感じさせるスポットの離宮道界隈。次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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下山手・中山手を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回と前回に続いて、元町から山手へと歩いてみたいと思います。

旧小寺家厩舎

蘇鉄林を通り抜けるとレンガ造りの建物がありました。こちらは旧小寺家の厩舎です。

前回も見て来たように、この相楽園は三田藩士だった小寺泰次郎の邸宅でした。小寺は明治維新後の神戸で元三田藩主の九鬼隆義、同じく三田藩士だった白洲退蔵とともに「志摩三商会」を設立しました。この会社で神戸港の後背地の土地を買収し、不動産業や金融といった事業を営むようになり、大きな利益を得た小寺はこの地に私邸を建てました。これが現在の相楽園です。

旧ハッサム邸

厩舎と並んで、異人館がありました。こちらは旧ハッサム邸で、インド系イギリス人貿易商J.K.ハッサムの邸宅として北野に建てられたものが戦後にこの場所へ移築されたものです。

日本庭園

さらに園内を進んでいくと、日本庭園に行き当たりました。こちらの庭園はもともと小寺邸の庭園で、多くの建物がこの庭園を囲んでいたそうです。

船屋形

池のほとりに美しい建物がありました。こちらは船屋形で、姫路藩で藩主が河川の遊覧用に使っていた「川御座船」の屋形の部分でした。明治に入り飾磨港に放置されていた船の屋形部分だけが建物として使用されるようになり、舞子にあった実業家の牛尾健治氏の自宅に移築されていたものを神戸市が寄贈を受けてこの場所に復元移築しました。移築に当たって船の屋形として使われていた華麗な姿が復元され、もう少しすれば紅葉に囲まれた景色を楽しむことができるでしょうね。

小寺は明治13(1880)年に県会議員に選出され、市街整備に携わるようになり、明治38(1905)年に亡くなります。この私邸が完成したのは明治44(1911)年で、小寺自身は私邸の完成を見ることなくこの世を去ったことになります。昭和16(1941)年に神戸市がこの私邸を譲り受けて公園として整備しました。なお、建物の大半は昭和20(1945)年の神戸大空襲で焼失しています。ちなみに、小寺泰次郎の息子の小寺謙吉氏は衆議院議員を務めた後、昭和22(1947)年には戦後初の神戸市長を務めました。

菊花展

園内では菊花展の準備中で、現在はちょうど開催中です。これからの季節は紅葉も楽しむことができるでしょう。

今も昔も神戸、兵庫県の行政の中心だった下山手・中山手には明治以来の風情ある雰囲気が残されています。状況が落ち着き、まだまだ油断はできませんが、お出かけの気分が盛り上がってきたこの頃。ゆっくりとお散歩に訪ねてみてはいかがでしょうか。

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下山手・中山手を歩いて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、元町駅から山手へと歩いてみたいと思います。

兵庫県公館の庭園

兵庫県公館
の庭園越しには神戸の中心のビルやマンションが眺められます。
都心の緑あふれる空間はまるでオアシスのようですね。

兵庫県公館の内部

公館の内部は県政資料館になっています。その他にも通常なら内部の見学ができましたが、現在は感染症対策のために見学の受付は中止されています。

兵庫県庁

公館の山側には現在の兵庫県庁のビルが建ち並んでいました。5代目になる現在の庁舎は昭和39(1964)年から使用されていますが、老朽化のために建て替えが計画されています。山手の景色はまた少し変化することになりそうですね。

相楽園

県庁舎の間を通り抜けた先に和風の門がありました。
こちらは相楽園です。

三田藩士だった小寺泰次郎が明治時代の明治44(1911)年に完成させた邸宅だった相楽園は西洋風の庭園の影響を受けた池泉回遊式の和風の庭園です。先ほどの兵庫県公館とは門からして違った趣を感じますね。

蘇鉄園

門をくぐると完成当時の別名「蘇鉄園」の名前の通り、蘇鉄林が迎えます。

次回は相楽園を歩いてみたいと思います。

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下山手・中山手を歩いて(前編)

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朝晩が冷え込み、秋が深まってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

元町駅

直通特急で着いたのは阪神電車の元町駅です。

市街地の高低差

元町駅の周辺は市街地になっているのであまり目立ちませんが、ここも坂の街・神戸です。山側に向かって高低差があり、駅を出ると目の前には壁が立ちはだかります。

兵庫県公館

駅から山手へ歩くと、木々に囲まれた洋館がありました。こちらは兵庫県公館です。

兵庫県庁が初めて設置されたのは江戸時代の最後の慶応4(1868)年のことで、兵庫運河沿いの旧兵庫城跡地に設けられました。のちに現在の神戸地方裁判所の位置に移転しましたが手狭になったために、下山手にあったオランダ総領事コルト・ハウスの邸宅を
購入し、県庁舎としました。このコルト・ハウス邸も手狭になったために、明治35(1902)年に隣接地に建てられた4代目の県庁舎が現在の兵庫県公館です。現在の庁舎が完成するまで、昭和58(1983)年までここで兵庫県の業務をおこなわれていました。

公館を眺める

木々に囲まれたルネサンス調の建物はビルに囲まれてしまった今でも迫力がありますね。建物は文部技官の山口半六なる人物の設計で、当時は日本最大の県庁舎だったそうです。

明治の昔から今も、兵庫県の行政の中心だった下山手と中山手、次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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