せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

曽根を歩く(前編)

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季節はすっかり冬になってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽曽根駅

今回のスタートは山陽曽根駅
三角屋根の妻のローマ字表記の駅名がやけに目立っていますが、もちろん、ここは日本です。

曽根天満宮の参道

駅前にそびえるのは曽根天満宮の鳥居です。
鳥居の向こうに続く参道は一段高い位置に車道と分けられて設けられています。
鎌倉・鶴岡八幡宮段蔓(だんかずら)のようで面白い光景ですね。車道と分けられたおかげで参道には昔ながらの雰囲気が残されています。

曽根天満宮

参道を歩いて程なく、曽根天満宮に到着しました。

曽根天満宮は延喜元(901)年に菅原道真が九州・太宰府へと左遷される途中伊保港に立寄った際に松を植えたことを始まりといています。その後、道真の子とその家臣がこの地を訪れ、社殿を建立しました。前回の板宿も道真ゆかりの地でしたし、道真の足跡をたどっているようですね。

霊松殿

道真が植えた松は霊松「曽根の松」と呼ばれるようになり、900年近くこの地で大切にされてきましたが、江戸時代の寛政10(1798)年頃に枯れてしまいました。現在は五代目の松が植えられているとのことです。また、枯れた初代の幹は境内にある霊松殿に保存されています。

注連縄作成中

境内では、年末に取り替えるためのものなのか、「畿内一の大注連縄」を作成中でした。
訪問時は藁が積み上げられて何が何やらという状態だったのですが、もうしばらくすれば本殿の軒先にお目見えすることでしょう。

非常に古い歴史のある曽根天満宮ですが、戦国時代、豊臣秀吉の播磨攻めの兵火で社殿は焼失してしまいました。
しかし、その後は大名などの庇護を受けるようになり、また、「曽根の松」が「播州松めぐり」の松の一つとされ、観光スポットとしても注目されるようになり、栄えました。現在では布団屋台の練り合わせなどで知られる秋祭りでも注目されていますね。

曽根天満宮を見て回ったところですが、曽根の街並みは神社の北側に広がっています。
次回は曽根の街並みを訪ねてみたいと思います。

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