せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

衝原と丹生の里を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
これまで北神は山田を歩いてきましたが、最後となる今回は衝原を訪ねてみたいと思います。

衝原バス停留所

神戸市バスに乗って到着したのは終点の衝原(つくはら)です。
志染川はこの先、加古川へと流れていきますが、この先は湖に山が迫る険しい地形が続き、その先は三木市になります。

箱木家住宅

衝原の集落にあったのが箱木家住宅です。別名「箱木千年家」と呼ばれ、日本で現存最古の民家と言われています。箱木家住宅の母屋は室町時代の建築とされていて、実際に千年経っているわけではありませんが、戦後まで民家として使われていたそうです。中を見学したいところですが、残念ながら訪れたときは5月まで閉館とされていました。残念です。

衝原地区

箱木家住宅のある衝原地区は整然とした町割りで、新興住宅地のような雰囲気です。それもそのはずで、元々の衝原地区は今の場所の西側…今は湖になっている場所にあり、今の街は移転して作られました。

衝原地区の西側にある「つくはら湖」は呑吐(どんど)ダムで志染川を堰き止めて作られた灌漑用・上水道用の貯水池で、蓄えられた水は東播磨地域を潤しています。竣工は平成元(1989)年で、変わったダムの名前は、この地にあった「呑吐の滝」という滝に由来しているそうです。住宅や箱木家住宅は高台に移転しましたが、山里や呑吐の滝は今は水の底です。

衝原大歳神社

バス停の近くに神社がありました。こちらは衝原大歳神社です。この神社も移転したもので、新しい社殿が建っていました。

つくはら湖を見下ろす

神社の横からつくはら湖を見下ろしてみました。写真ではまだまだ冬の景色ですが、もう間もなく湖畔には桜が咲くことでしょう。不安に覆いつくされたような世の中ですが、北神の里には確かに春が来ています。世の中が落ち着いたころ、京都とのつながりを感じる山里を歩いてみてはいかがでしょうか。

世の中がいち早く元に戻ることを祈りながら、衝原を後にすることにしました。

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衝原と丹生の里を歩いて(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に続いて、北神は山田を歩いてみたいと思います。

福田寺

田んぼの中ののどかな道を歩き、集落の中に入ると寺院がありました。こちらは福田寺です。

丹生神社鳥居

福田寺のある集落を抜けて歩いていくと、田んぼの中に鳥居がありました。
こちらは丹生神社の鳥居です。

丹生神社の創建時期はわかっていませんが、はるか古代に遡ると言われています。元々はこの地にあった明要寺という寺院の鎮守社だったとのことで、この明要寺も百済の聖王の王子の童男行者なる人物が伽藍を建立したのが始まりと言われていますが、これも詳しい時期はわかっていません。平安時代は平清盛が山王権現を勧請し、神社としての姿が整えられました。

丹生山への道

鳥居の向こうにはのどかな道が続き、その向こうに丹生神社のある丹生山がそびえています。丹生神社に祀られている丹生都比売(にうつひめ)は渡来系の丹生氏の氏神で、丹生氏が水銀鉱山に深くかかわっていたことから、鉱山の神とされています。実際に、丹生山の隣の帝釈山では銅を始めとする金属が採掘されていました。北神地域では有馬温泉の泉源を守るために採掘は厳しく制限されていて、この帝釈山は数少ない鉱山でしたが、太平洋戦争後に衰退し、今ではほとんど面影もありません。

丹生宝庫

丹生山への道の途中にあったのが丹生宝庫です。こちらは丹生神社の宝物殿で、中には丹生神社を鎮守としていた明要寺の遺物などが収められているそうです。興味深いところですが、公開は毎年5月5日の年に一日だけだそうです。

丹生神社参道

集落を通り抜ける丹生神社の参道には、参道を見守るようにお地蔵さんがありました。神社はこの先、3キロ弱の山道を登った先にあるようですが、山登りの装備をしていなかったのでまたの機会ということに。お地蔵さんに挨拶をして、引き返すことにしました。

のどかな里に史跡が点在する北神・山田。次回はさらに歩いてみたいと思います。

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北神・山田の里を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、北神は山田を歩いてみたいと思います。

志染川を眺める

無動寺の山を下りて、のどかな里道を歩くことに。
谷を刻むのは志染川で、この川は三木で美嚢川と合流し、さらに加古川に合流することになります。

六條八幡宮

山沿いにあったのが六條八幡宮です。

六條八幡宮の歴史は非常に古く、はるか古代に神功皇后がこの地に行宮を設けたのが由来とされています。平安時代の長徳元(995)年には基灯なる周防国の僧が八幡三神を祀る社を建立し、神社としての姿が整えられていくこととなります。

六條八幡宮の境内

六條八幡宮の境内は開けていて明るい雰囲気ですが、どこか厳かな雰囲気が漂っています。
創建から時代が下り、中世の保安4(1123)年にこの地を治めていた源為義が京都六條の自邸に祀っていた左女牛八幡を勧請し、この神社に合祀したことから「六條」と呼ばれるようになったと言われています。

三重塔

境内には立派な三重塔がありました。こちらは室町時代の文正元(1466)年に地元の鷲尾綱貞なる人物らによって建立されたものです。神社に仏教的な塔があるのは何とも不思議ですが、かつての神仏習合の名残のようです。

北神の住宅開発の範囲からも外れ、のどかな景色が残されている山田の地はどこか京都の香りのする山里でした。すでに十分に興味深いところを訪れたように思いますが、志染川を下るとさらに見どころが広がっています。次回はもう少し山田の地を歩いてみたいと思います。

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北神・山田の里を歩いて(前編)

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春の気配を感じながらも、どこか落ち着かないこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

箕谷駅

今回のスタートは神戸電鉄の箕谷駅
駅近くのバスターミナルから神戸市バスに乗ります。

山田の里

福地バス停
で市バスを降り、歩いていくと広がるのは志染川沿いに広がる里の景色です。
ここは神戸市内ですが、こんなにのどかな景色が広がるとは。近世にはこの辺りは下総古河藩の所領だったそうで、畦道に佇む「新兵衛石」なる石には藩主に年貢の軽減を訴えた青年の話が残されているそうです。

山道を行く

山中に分け入ると、石仏の並ぶ山道が続きます。

無動寺

山道の先にあったのは無動寺という真言宗の寺院です。

無動寺はかつては「福寺」と呼ばれていたそうですが、創建時期ははっきりとわかっていないようです。現在の姿になったのは江戸時代の宝暦2(1752)年のこと。この地にあった荒廃した寺院を高野山の高僧・真源和尚なる人物が再興したと伝えられています。高野山の影響か、真言宗の寺院となったため、密教寺院らしい雰囲気ですね。

無動寺の境内

山中にあるだけあり、境内はしんと静まり返っていました。ここは仏教寺院ですが、境内の隅には鳥居が…。

若王子神社

境内の鳥居の先には神社がありました。こちらは若王子神社です。福寺と呼ばれていた無動寺の鎮守として建立されたそうで、室町時代の応永5(1408)年の創建と伝わっています。この神社の棟札には永仁5(1297)年と書かれたものもあるそうで、福寺の創建はその頃までさかのぼることができるのではないかと言われています。

のどかな里に中世からの社寺が佇む山田の里。もう少し歩いてみたいと思います。

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浪速の今宮を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪は今宮を歩いてみたいと思います。

廣田神社

今宮戎神社の裏手には、廣田神社がありました。

廣田神社の境内

境内はひっそりとした雰囲気です。

この廣田神社は創建時期は不明ですが、非常に長い歴史を持っていると言われています。今宮戎神社と同様に四天王寺の鎮守として建てられたとされていますので、同時期の古代の建立と考えられるのでしょうか。ちなみに、えびす神社の総本社とされる西宮市の西宮神社の北側にも「廣田神社」があり、西宮神社自体も廣田神社の摂社が由来とされているようです。今宮戎神社とこの廣田神社の位置関係にも似たものを感じますね。

新世界

廣田神社からにぎやかなミナミの街中を歩いていくと、通天閣が見えてきました。塔の下に広がるのは新世界です。

通天閣

足元から通天閣を見上げてみました。現在の塔は二代目で、パリの凱旋門の上にエッフェル塔を載せたデザインという初代通天閣が戦時中に解体されたのを戦後の昭和31(1951)年に再建したものです。今では登録有形文化財に指定されています。

天井画

通天閣の下にはクジャクを描いた天井画がありました。この天井画は初代通天閣に描かれていたものを再現したものだそうで、現代の大阪のシンボルにもどこか歴史のつながりを感じることができますね。

再び通天閣を眺める

再び通天閣を眺めてみました。

太古の史跡と近代現代の繁華街が同居する大阪・今宮。関西に住んでいると逆にあまり行かない場所なのかもしれません。感染症が落ち着いたころ、改めて歩いてみてはいかがでしょうか。

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