せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

大阪の「垂水」を訪ねて

投稿日:



桜も咲き始め、すっかり春になってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

今回、訪れたのは「垂水」
といっても、神戸の垂水ではありません。

豊津駅

降り立ったのは阪急千里線豊津駅
この辺りの住所は大阪府吹田市です。

垂水町!?

駅の周辺にはのどかな雰囲気の商店街が続いていますが、電柱の住所表記を見て驚き
なんと、「垂水町」と書いてありました。
神戸の垂水にはそのものずばりの「垂水町」はない(「東垂水町」はありますが)のに、遠く離れた大阪に「垂水町」があるとは。

阪急バス

商店街を歩いているとバスがやってきました。
走るバスは阪急バスですが、狭い商店街の中をバスが走る光景は神戸の垂水にちょっと似た雰囲気があります。

大阪の「垂水」の由来は飛鳥時代この地に滝があったことを由来としているそうです。一方、神戸の「垂水」も山陽電車の滝の茶屋駅付近にあった滝を由来としていて、万葉集でもその滝に関する歌が詠まれていることから、飛鳥時代頃には地名が生まれていたようです。ということで、由来・成立時期がかなり似ているのですが、大阪と神戸の間に直接のつながりはないようです。

垂水神社

町はずれの高台に「垂水神社」なる神社がありました。
この神社は飛鳥時代の創建とされ、非常に古い歴史を持っています。神社の由緒では、この地の領主が一時都が置かれた難波長柄豊碕宮まで懸樋を通して滝の水を送ったことから、その功績をたたえられて「垂水公」の名を賜り垂水神社を創建したと言われています。
この神社の境内には今も「垂水」の地名の由来となった滝が残っています。

「垂水」を見下ろす

神社の木々の間からは、垂水の町を見下ろすことができました。
山陽沿線の「垂水」 とは違う「垂水」
何だか、ちょっと不思議な気分になりながら「垂水」 を後にすることにしました。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

間もなくオープン! 姫路城へ

投稿日:



暖かくなってきたと思ったら雪がちらつくこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

明日はいよいよ姫路城大天守のグランドオープンです。
それに先立って、今日は完成記念式典等が行われ、航空自衛隊のブルーインパルス祝賀飛行もあるとのことです。5年にも及ぶ修理がついに完了したわけですから、何だか感慨深いものがありますね。そんなお祭りムードの姫路を一足先に訪れてみました。

みゆき通

山陽姫路駅
から姫路城へ続くみゆき通を歩いてみると、もともと賑やかな商店街は姫路城のPR一色でした。アーケードには大きな幕が掲げられています。
大河ドラマ「軍師官兵衛」が終わってしまったところですが、こうして間を置くことなく大きなイベントを続けられたのは見事の一言です。

大手門と姫路城

商店街を歩いてたどり着いたのがもはやお馴染みの姫路城大手門。お堀の向こうにそびえる姫路城大天守は工事施設もすっかり撤去され、眩しいくらいの白色に輝いていました。

ありし日の「天空の白鷺」

こちらは工事見学施設「天空の白鷺」があった頃に撮った写真です。
大天守の屋根を間近に見たことが、今となっては幻のようです。

姫路城大天守保存修理工事は平成21(2009)年から始まりました。翌年から大天守を完全に覆う素屋根が設けられ、さらに翌年の平成23(2011)年から平成26(2014)年まで、工事見学施設「天空の白鷺」が設けられました。今考えてみれば、この「天空の白鷺」から眺めた光景こそ、姫路城の歴史の中で貴重な瞬間だったのかもしれません。

撮影ポイント

姫路城大天守を美しく撮影できるポイントとして知られているのが、 三の丸広場の西側、茶店と迎賓館の間にある石段です。大天守を斜めから見上げることになるので、より白さがひき立って見えます。また、もう間もなくの桜のシーズンには満開の桜と真っ白な大天守とを写真に収めることもできそうです。姫路城の写真でよく見る構図と言ってしまえばそれまでですが、グランドオープンのこの機会に、是非ご自分のカメラで撮影してみてはいかがでしょうか。

姫路城に行ったことがない方はもちろん、姫路城なら行ったことあるよという方も、新しくなった姫路城を楽しんでみませんか?

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

淡路を歩いて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、大阪の淡路地区を歩いてみたいと思います。

崇禅寺

淡路天満宮跡地の愛宕神社から歩いて程なく、崇禅寺という寺院がありました。
こちらは阪急電鉄の駅名にもなっているお寺です。

豊崎県・摂津県!?

寺の門の脇には、古めかしい石碑がありました。
石碑には「豊崎県 摂津県 県庁所在地跡」とあります。この石碑の所在地は大阪市東淀川区ですので、豊崎県・摂津県とは…?

明治初めの地方制度の変更により、この地には大阪府が設置されました。しかし、当時の都道府県域は各地でめまぐるしく変えられていて、ここ兵庫県から大阪府にかけての地域でも例外ではありません。明治2(1869)年に大阪府から豊島郡や川辺郡など広大な範囲が「摂津県」として分割、同じ年に「豊崎県」に改称されたのちに、年内に川辺郡地域を除いて兵庫県に編入されました。県庁の仮庁舎がここ崇禅寺に置かれたようです。摂津県・豊崎県とも数カ月しか存在しなかった幻の県と言えましょう。このような県は日本各地で生まれては消えていきました。

崇禅寺境内へ

崇禅寺の境内へは県庁所在地の石碑の東側から入ります。意外なことに本堂は鉄筋コンクリート造りの現代的な建物でした。これは大阪大空襲で焼失したものが平成に入って再建されたものとのこと。寺の歴史は非常に古く、奈良時代の創建と言われています。また、明智光秀の娘の細川ガラシャの菩提寺としても知られています。

中島惣社

崇禅寺の裏手には、大きめの神社がありました。
こちらは中島惣社。 惣社の名の通り、周辺にあった神社を合祀して生まれた神社で、前回訪れた淡路天満宮もこの神社に合祀されています。

中島惣社の周辺

中島惣社の周辺は下町風の住宅街が広がっています。実はこの辺りは新大阪駅に近く、伊丹空港を発着している航空機の飛行ルートにもなっているため、新幹線や飛行機の姿をよく見かけます。しかし、街はそういったものとは別世界のように穏やかに佇んでいました。

淡路島と淡路、関係がないようで関係がある二つの「淡路」、それぞれに思いをはせながら歩いてみてはいかがでしょうか。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

淡路を歩いて(前編)

投稿日:



春めいてきた頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

淡路駅

今日から淡路島では「淡路花博2015 花みどりフェア」が開催されています。
だから…というわけではないのですが、今回訪れたのは淡路
といっても、淡路島ではなく、大阪の淡路です。

淡路駅界隈

降り立った阪急電車の淡路駅周辺は連続立体交差化事業の工事中。駅の周辺には建設中の高架橋がそびえています。
踏切を阪急電車が行き交うのも間もなく過去の景色となりそうですね。
今回はこの淡路駅から西へ歩いてみることにしました。

大阪市営バスが

淡路駅の西側を歩いていると横道から突然、大阪市営バスが飛び出してきました。
バスが走っているのは、とてもバス道とは言い難い細い路地。何だか私の知っている世界とは違う世界が広がっているような気さえしてしまいます。

永春寺

市営バスが走ってきた路地を歩いて行くと現れたのは永春寺なる、きれいな名前の寺院です。ちょうど、春のお彼岸ということもあり、多くの墓参客で賑わっていました。

この記事の冒頭に淡路島に言及しましたが、ここ淡路は、実は淡路島と無縁ではありません。
淡路の地名の由来は平安時代にまでさかのぼります。延喜元(901)年、都で左遷され太宰府に向かっていた菅原道真一行は淀川の中流にあった淡路にたどり着きました。当時、中洲になっていたこの地を見た道真がここは淡路島かと勘違いしたことから「淡路」と呼ばれるようになったとのことです。道真が上陸した場所には後に淡路天満宮が建立されました。後に天満宮は周辺の神社と合祀され移転してしまいましたが、もともとはこの永春寺のある場所にあったとされています。

愛宕神社

永春寺の裏手に小さな祠がありました。
こちらは愛宕神社と呼ばれる神社です。小さい境内には、淡路天満宮の跡地を示す石碑が立っていました。もともとは永春寺の境内にあったそうですが、昭和に入って現在の場所へ移されたそうです。

淡路島から遠く離れた大阪にある淡路
もう少し、歩いてみたいと思います。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

やきもち地蔵を訪ねて

投稿日:



三寒四温のこのごろ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山の街駅

今回、訪れたのは神戸電鉄の沿線。
新開地で山陽電車から神戸電鉄の三田行きの列車に乗り換え、15分ほどで到着したのは山の街駅です。
その名の通り、住宅地の中にある駅ですが、ホームに何やら気になる看板が掲げられていました。

「やきもち地蔵」?

提灯を描いた看板に書かれていたのは「やきもち地蔵」の文字。
美味しそうなのか、はたまた嫉妬深いのか、いずれにせよ気になります。
案内に従って、駅から続く坂道を下っていくことにしました。

橋を渡って

坂道を下って道路から外れ、川を渡ることに。
すぐそばを幹線道路が走っているのですが、この付近は喧騒から離れて静かな雰囲気が漂ってきます。 赤い欄干の橋が何だかいい雰囲気ですね。

やきもち地蔵

橋の先に佇んでいたのは小さなお堂。
こちらが「やきもち地蔵」です。

「やきもち地蔵」はこの地から少し離れた箕谷にある医王山寿福寺という寺院の管理するお地蔵さんで、境内の看板によるとおよそ130年前からこの地にあったと言われています。いつを基準とするのか不明ですが、今から130年前というと、明治時代の初め頃。意外と歴史が浅いようですね。
このお地蔵さんを有名にしているのが「お百度参り」。境内に設けられたお百度石と神社・お寺との間を100回行き来して願掛けをするという、日本全国で行われている参拝方法ですが、こちらの「やきもち地蔵」は願い事を必ず一つ叶える「一願成就」のお地蔵さんと知られ、多くの参拝客が訪れています。

境内を歩く

川沿いの斜面に設けられた境内は狭いのですが、どこか趣のある雰囲気です。
境内の売店ではお供え用のお餅を売っていました。寺の言い伝えでは、お地蔵さんに焼いた餅を供えたのが「やきもち地蔵」の名前の由来と言われているそうです。嫉妬深いわけではないようですね。

私もお百度参りをしようと思ったのですが、冬の名残の雪が舞い始めたので、北区の山間の小さなお地蔵さんを後にすることにしました。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村