夏の始まりの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
姫路に夏の訪れを告げるのは毎年6月に開催される「姫路ゆかたまつり」です。長らく感染症の影響で開催がありませんでしたが、今年2023年は4年ぶりに開催が決まりました。そんな久しぶりの祭りに盛り上がる姫路の街を歩いてみます。
山陽姫路駅前から姫路城へと伸びる大手前通りには長壁神社の案内看板が並んでいました。「姫路ゆかたまつり」は長壁神社の祭礼にちなんだ夏祭りです。
市街地の中に小さな神社が佇んでいました。こちらが「姫路ゆかたまつり」の由来となった長壁神社です。祭りの開催が迫り、賑やかに飾られています。
長壁神社に祀られているのは奈良時代の光仁天皇の皇子の刑部親王とその王女・富姫とされています。もともとは市内の姫山に社があったそうです。しかし、この姫山には姫路城が築かれ、秀吉の姫路城改築の際にこの社は城下へ移されてしまいました。江戸時代に入り、姫路城主となった池田輝政が病に倒れます。これが長壁神社を移した祟りであるとされ、神社は城内にも再建されました。その後、再び城下に移され、城内に再建されと移転を繰り返し、ここ立町に社が築かれたのは寛保2(1742)年のこと。城主をつとめていた榊原政岑が越後高田へ転封される際、城内の長壁神社をこの場所にあった長彦寺(ちょうげんじ)に移して建立されました。遷座がおこなわれたのは夏至の6月22日で、この時の遷座祭が「姫路ゆかたまつり」の始まりとされています。
長壁神社の前の交差点には回り灯篭が吊るされていました。
長壁神社の遷座祭は急に決まった祭礼だったため城下の町人の準備が整っていなかったところ、榊原政岑は裃の代わりに浴衣での参加を認め、走り馬の代わりに回り灯篭(走馬灯)を使ったとされています。ただ、長壁神社の遷座と祭礼が実際に行われたのは榊原氏の転封後だったそうで、祭りの期限には諸説あるようです。遷座によって城下で行われるようになった祭りに、榊原政岑を偲ぶ思いが結びついて、こうした伝説を生んだのかもしれません。
立町長壁神社の近くには長源寺が佇んでいました。読みは長彦寺と同じ「ちょうげんじ」で、明治時代に無住になっていたものが大正時代に再建され、寺号を改めたものです。もともと立町長壁神社はこの長源寺の境内にありましたが、大正時代に再建された際に寺と神社で境内を折半して分かれたそうです。
4年ぶりに開催される「姫路ゆかたまつり」、歴史ある城下町の夏祭りの久々の開催で盛り上がる姫路の街をもう少し歩いてみたいと思います。