せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

西神丘陵の大寺院・太山寺を訪ねて(中編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、西神の古刹・太山寺を訪ねてみたいと思います。

安養院

太山寺に向かって石畳の道を歩いていくと、安養院という塔頭寺院がありました。
こちらの庭園は紅葉の名所として知られていますが、訪問した際はシーズンオフのせいか境内は非公開でした。

石段の先

石段を上ると太山寺です。

太山寺の境内

大寺院だった太山寺ですが、今も境内は広大です。奥に佇む本堂も大きく、迫力がありますね。昭和39(1964)年に解体修理されたせいか新しく見えますが、建物自体は鎌倉時代に一度焼失したものが1300年頃に再建されたものとされています。

本堂を眺める

太山寺の本堂を眺めてみます。正面の朱塗りの柱の間の格子は蔀戸で、古来の様式ですね。

奈良時代に建立されたと伝わる太山寺ですが、実は詳しい創建時期はわかっていません。霊亀2(716)年に藤原鎌足の孫の宇合の発願いで伽藍が建てられ、鎌足の長男の定恵の開山とされていますが、定恵に関する記録は少なく、当の太山寺についても本堂を始めとする創建時の建物は中世に焼けてしまいました。ただ、千年以上の長い歴史を持つ古刹であることには違いありません。

三重塔

境内の三重塔は特に印象的ですね。こちらは江戸時代の貞享5(1688)年の建立と伝わっています。先ほど訪ねた安養院だけでなく、太山寺も紅葉の名所で、秋には紅葉をバックに朱塗りの三重塔が佇む景色を楽しむことができます。

歴史ある寺院だけあって、太山寺の広大な境内には見どころが数多くあります。次回ももう少し歩いてみたいと思います。

本日12月31日は大晦日。山陽沿線ブログ「せっつ・はりま歴史散歩」の今年の更新は今回までです。
今年も一年間、お付き合いいただきましてありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。

どうぞよいお年をお迎えください。

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西神丘陵の大寺院・太山寺を訪ねて(前編)

投稿日:



冬至を過ぎ、寒さの厳しくなってきた頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

太山寺バス停

山陽明石駅前からバスに乗って着いたのは太山寺バス停
反対の明石方面へのバス停の傍らには「西国廿五番」と記された石碑が佇んでいます。

太山寺仁王門

バス停の前には立派な門がそびえています。こちらは太山寺の仁王門です。

石畳の道

仁王門をくぐると、石畳の道が続き、民家や太山寺の塔頭寺院が建ち並んでいます。

太山寺は奈良時代の創建と伝わる古刹です。かつては現在以上の伽藍を持ち、多数の塔頭寺院を抱える大寺院で、近隣にとどまらず広く信仰を集めていました。前回まで訪ねた板宿からの道は三木への街道筋であると同時に、この太山寺への参詣道を兼ねていたともされています。

龍象院

太山寺にはかつて41もの塔頭寺院があったとされていますが、現在残されているのはわずか5か所のみです。この龍象院もその一つで、本堂の茅葺屋根が印象的ですね。

西神に佇む古刹・太山寺、次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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紅葉の三木街道を歩いて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回、前回に続いて、板宿から妙法寺川に沿って三木街道を歩いてみたいと思います。

那須与一宗高公御墓所

萩の寺や北向八幡宮、那須神社から道路を渡った向かいに赤いのぼりが建ち並ぶお堂がありました。こちらは那須与一宗高公御墓所那須与一の墓所とされています。

墓所の境内

石段の先にはお堂があり、中には五輪塔があります。那須与一の墓は京都にあったものが栃木県に再建されていて、こちらが正式な墓とされています。一方、こちらの墓所には源平合戦の後、那須与一は出家して合戦で亡くなった武士たちを弔う旅に出ましたが、この地で病に伏し、亡くなったという伝説が残されています。

毘沙門天の碑

那須与一宗高公御墓所からさらに街道を進むと「國寶 毘沙門天妙法寺」の碑が道路の傍らに建っていました。

妙法寺

新道から集落の中にはいると、紅葉に彩られた寺院がありました。こちらが先ほどの石碑にあった妙法寺です。

地下鉄の駅名にもなっている妙法寺ですが、歴史は非常に古く、奈良時代の天平10(738)年の建立とされています。当時は広大な伽藍をもつ大寺院だったそうです。平安時代の治承4(1180)年には平清盛が福原の乾を守る「新鞍馬山」として寺領の寄進をし、大いに発展したそうです。

妙法寺の境内

妙法寺も紅葉の名所となっていて、訪れたとき境内は鮮やかな紅葉に彩られていました。これから冬が訪れますが、年が明けると伝統行事の「追儺式」が執り行われます。

清盛の庇護を受けて発展した妙法寺ですが、南北朝時代の正平5・観応元(1350)年の観応の擾乱の際に高師直の軍勢によって焼き払われてしまいます。江戸時代に再建されますが、多くの寺領は失われ、今は妙法寺川に静かに佇んでいます。

妙法寺の里を眺める

妙法寺から少し歩いたところから集落を見下ろすことができました。地下鉄西神山手線の妙法寺駅は実はこのすぐ近くなのですが、地下鉄駅とは別世界のような静かな山里の景色が広がっていました。

紅葉の名残を求めて、三木街道を歩いてみました。
これからの季節、厳しい冬が訪れますが、源平の頃からの歴史に彩られた山間の社寺には冬らしい趣を感じることができるのではないでしょうか。

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紅葉の三木街道を歩いて(中編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、板宿から三木街道を歩いてみたいと思います。

那須神社

禅昌寺から三木街道の川沿いの谷をのんびり歩き、那須神社前バス停に着きました。バス停の傍にはこんな看板が立っています。

萩の寺

バス停から坂道を上ると、黄色が鮮やかなイチョウの木が出迎えてくれました。
こちらは「萩の寺」です。

萩の寺の境内

萩の寺は元は「明光寺」と呼ばれていて、江戸時代の初めの元禄5(1692)年に伽藍が建立されたと伝わり、大正時代に当時の住職が境内に萩を植えたことから「萩の寺」と呼ばれるようになったそうです。初秋の萩の花は見事ですが、晩秋の紅葉も素晴らしく、色鮮やかな木々に境内は彩られていました。

北向八幡神社

萩の寺の境内を回り込むと神社がありました。こちらは北向八幡神社です。

北向八幡神社の創建時期ははっきりとわかっていませんが、非常に長い歴史を持つとされています。源平の合戦の折には、義経の命を受けた武将・那須与一が戦勝祈願に訪れたとされていて、そのことから那須与一ゆかりの神社としても知られています。ちなみに、変わった神社の名前は大黒様こと大国主命を祀っているため、出雲の方を向いていることにちなんでいるそうです。

那須神社

北向八幡神社の境内には那須神社があります。北向八幡宮が那須与一ゆかりの神社であるため、大正時代にこの地へ勧請して社を建てたとのこと。バス停名になっているので大きい神社かと思いますが、小さな社があるのみです。

家並みを見下ろす

北向八幡神社からは神社のある集落の家並みを見下ろすことができました。晩秋の山間の集落はとても静かな雰囲気で、賑やかな板宿とは別世界のようですね。

山間に歴史ある社寺が点在する妙法寺川沿いの三木街道、次回ももう少し歩いてみたいと思います。

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紅葉の三木街道を歩いて(前編)

投稿日:



師走の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

板宿駅

山陽電車で着いたのは板宿駅
地下のホームから地上へ上がると賑やかな街並みが迎えてくれます。これから年末に向けて、多くのお買い物の方で賑わうことでしょう。

神戸市バスへ

今回はここ板宿から神戸市バスに乗ることにしました。

禅昌寺

板宿を出たバスは三木街道を走り、街並みを抜け出すと妙法寺川の谷へと分け入っていきます。着いたのは禅昌寺バス停です。

禅昌寺

バス停からすぐの場所にはバス停名の通り禅昌寺があります。

禅昌寺の歴史は古く、はるか南北朝時代へ遡るとも言われています。延文(1356~1360)年間に月庵宗光なる僧が後光厳天皇の勅令を受けて建立したと伝わっています。歴史ある寺院だけあって、境内には松尾芭蕉や伊藤博文などの文学碑が残されています。

禅昌寺の山門

竹藪の中に山門がありました。こちらは江戸時代の彫刻職人・左甚五郎の作品ともいわれています。

境内の紅葉

禅昌寺は「紅葉寺」と呼ばれ、紅葉の名所です。訪れたとき、境内は紅葉の盛りでした。12月の今でもまだもう少し名残の紅葉を楽しめるでしょうか。

紅葉の妙法寺川に沿って、もう少し歩いてみたいと思います。

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