せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

垂水をゆく~山田川のみち(後編)

投稿日:



こんにちは、内膳正です。
垂水ウィークももうすぐ終わりですね。
歴史部は変わらず、垂水の史跡をストイックに巡っていきます。

舞子坂1丁目停留所

舞子駅から山陽バス51・52・53・54・191・直行系統で4分、舞子坂1丁目停留所に到着しました。アナウンスで「大歳山遺跡」との案内も流れます。
前回の多聞寺や多聞六神社は旧多聞村にありましたが、この辺りはかつて山田村と呼ばれていました。

大歳山遺跡

バス停から住宅街の中を歩いていくと、現れたのは小学校の社会科の教科書で出てきたような竪穴式住居。 ここが大歳山遺跡です。 大歳山遺跡は古代の遺跡で、よほど住み心地がいいところだったのでしょうか、旧石器時代から弥生時代にかけての様々な年代の遺物が出土しているそうです。ちなみに、この遺跡を発見したのは明石原人の発見で知られる直良信夫だそうです。

明石海峡を望む

大歳山遺跡のいいところは、何といっても遺跡から眺める景色です。
敷地内にある小さな古墳に上がってみると、明石海峡大橋や淡路島を望むことができました。
こんないい景色を眺めながら暮らしたとは、古代人がちょっとうらやましくなってしまいますね。

舞子六神社

大歳山遺跡から海に向かって下って行くと、舞子六神社に到着しました。「六神社」との名称からわかるように、六柱の神様を祭っている神社で、旧山田村の鎮守とされました。前回紹介した多聞六神社はかつて「多聞十二所大明神」と呼ばれていたようで、そこで祭られていた十二柱の神様のうち六柱をここ山田に移したために、それぞれが「六神社」と呼ばれるようになったとも言われています。

日本一大きな大黒・戎像

境内には多くの摂社があるのですが、中でも目を引くのが大黒宮戎宮。社の両脇には大きな大黒様と戎様の石像があります。この石像は日本一の大きさと言われていて、もともと愛徳学園の敷地にあったのがこの神社に寄贈されたものとのことです。

山田川の終わり

舞子六神社から西に向かうと、山田川の河口に着きました。
古代から現代へと人々の暮らしを育んだ山田川の流れはここで明石海峡へと注いでいきます。
この山田川流域は、垂水区の中でも大きく変わった地域であると言えるかもしれません。古い地図を見てみると、この川の流域には小さな村が点在し、丘陵地帯に住宅地が広がる今の景色からは想像がつきませんが、上流部は大半が深い山でした。
変化の過程で、古い寺社などは多くが消えてしまったようなのですが、それはそれで、この地域が刻んできた歴史なのです…。と、福田川流域に比べてあっさり終わってしまった言い訳をしたところで、山田川流域の史跡を巡る旅を終わらせていただきます。

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A:舞子公園駅
B:舞子駅バスターミナル
C:舞子坂1丁目停留所(山陽バス51・52・53・54・191・直行系統で4分)
D:大歳山遺跡
E:舞子六神社
F:山田川河口
G:西舞子駅


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垂水をゆく~山田川のみち(前編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
垂水ウィーク四回目の更新ですね。
前回までは垂水区の東を流れる福田川を河口まで辿りましたので、今回は西側を流れる山田川の流れを辿って行きたいと思います。

多聞寺前停留所

舞子駅から山陽バス54系統で10分、多聞寺前停留所に到着しました。
その名の通り、吉祥山多聞寺の前にあるバス停です。

仁王門

バス停から横道に入ると現れたのは立派な仁王門。
転法輪寺とは少し違った雰囲気ですが、なんとも立派な寺院ですね。

かきつばた多聞寺

門をくぐりぬけると、広大な杜若園が広がります。
多聞寺前停留所に隣接してある山陽高速バス多聞団地・三宮線の停留所名「かきつばた多聞寺」はこの杜若園が由来です。ただし、今は9月…。杜若の季節からは完全に外れているので、このような少々寂しい景色でした。是非とも初夏に再訪したいですね。

本堂へ

石段を上ると本堂がそびえます。
多聞寺は入唐八家の一人で最澄の弟子の円仁が創建したとされる古刹です。創建年代は不明だそうですが、平安時代の創建になるとも言われる非常に歴史のある寺院です。ちなみに、先ほどの杜若は円仁が中国より持ち帰ったものを植えたのが始まりと伝えられています。

百足紋

多聞寺の名の通り、本尊は毘沙門天(多聞天)で、そのせいか、お堂の前には百足紋が刻まれた台がありました。百足(ムカデ)というと、流しやトイレ等の水回りに現れて、噛まれたりしたら大変なことになる厄介な虫ですが、毘沙門天の使いと言われています。その理由ははっきりとしていないようですが、毘沙門天を信仰する人が多かった鉱山師が、本坑から多数の坑道が枝分かれする鉱山の採掘坑の様を百足に例えて毘沙門天の使いとしたという説があります。この辺りに鉱山があったという記録はないようですが、もしかすると、何かしらの関係があるのかもしれません。

長い石段

多聞寺から川沿いを行くと、こんもりと茂った森が見えてきました。
多聞六神社の森です。
鳥居の前に立つと、ひたすら長い石段が続いていました。どうやら神社はこの上にあるようですが、見ただけでくじけそうになるような高さです。 転法輪寺の時にも身をもって感じましたが、垂水は予想以上に起伏に富んでいるようです。

多聞六神社

何とか石段を上り、本殿前に辿り着きました。
この多聞六神社は貞観5(863)年の創建と伝えられる古社です。現在の垂水区の北西部を占めた旧多聞村の鎮守とされ、小さいながらも非常に風格のある神社です。
ちなみに、「六神社」という変わった名前は六柱の神様を祭っていることを意味しています。

変わりゆく多聞を見つめて

かつては山のお宮さんだったのであろう多聞六神社ですが、開発が進む現在では神社の周囲はすっかり住宅地となり、この神社と多聞寺の敷地がぽつりと島のように住宅の中に浮かんでいるような格好になっています。どことなく昔の雰囲気が残っていた福田川沿いに対し、多聞から学が丘にかけての一帯は戦後、地形が変わるくらい大規模に開発され、今の街が作られました。千二百年近くこの地を見つめてきた神々は、今をどのように眺めているのでしょうか。

次回は山田川に沿って史跡を巡って行きたいと思います。ということで、続きます。

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A:舞子公園駅
B:舞子駅バスターミナル
C:多聞寺前停留所(舞子駅より山陽バス54系統で10分)
D:吉祥山多聞寺
E:多聞六神社


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垂水をゆく~福田川のみち(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
垂水ウィーク三回目の更新ですね。
引き続き、垂水を流れる福田川に沿って下っていきます。

数々の史跡を巡ってきた名谷町から垂水の街中に入ります。

八幡裏停留所

これまで垂水東口バスターミナルから福田川に沿って名谷駅へ向かう山陽バス12・ 13系統沿線の史跡を巡ってきましたが、今回は10系統に入ってみます。この10系統は垂水東口ターミナルから上千鳥を結ぶ路線で、1系統と同じく小型バスで運行されています。路線図の上では何だか支線のようですが、古い歴史を持つ路線で、多くの人が乗っています。
その10系統に乗って垂水東口から程なく、八幡裏という停留所に到着しました。「裏」というからにはどこかに八幡宮があるのでしょうが、周囲には見当たりません。

瑞ヶ丘の松

バス停から道を歩いていると、道路にはみ出すように松の大木がそびえていました。
こちらは「瑞ヶ丘の松」と呼ばれる松の古木です。詳しいいわれはわかりませんが、道路が拡幅されてもこうして大切に残されています。

瑞丘八幡神社

「瑞ヶ丘の松」から程なく、瑞丘八幡神社に到着しました。こちらは旧西垂水村の鎮守で、「垂水厄除八幡宮」とも呼ばれています。創建年代は不明だそうですが、1800年前頃からこの地に祭られていたとも言われ、非常に長い歴史を持っているようです。かつては「矢羽田(ヤハタ)の神」と呼ばれて農耕の神として祭られていたそうなのですが、昭和6(1931)年に今の天の下町にあった瑞丘社を合祀して今の「瑞丘八幡神社」という名前になりました。ちなみに、この瑞丘社は天満宮に荒神社、御霊社を合祀したもので、天神川(現在は商大筋の拡幅で暗渠化)の由来となっています。

八幡前

八幡神社の前の道路には、かつて山陽バスが通っていて、「八幡前」という停留所がありました。八幡前停留所を過ぎたバスは垂水東口へと下って行っていたのですが、当時の垂水東口は現在の垂水東口バスターミナルではありません。

旧垂水東口バスターミナル降り場

かつての垂水東口バスターミナルはここ垂水小学校の裏手にありました。バスターミナルがあったとは思えないような狭い道路ですが、切れ目の入ったガードレールが当時の面影を残しています。ここには降り場がありました。

旧垂水東口ターミナル乗り場

乗り場はこちらにありました。今は店舗や住宅になっていますが、ここから福田川沿いを行く各路線が発車していました。

旧垂水鈴木橋ターミナル

垂水駅
(西口)、垂水東口のほかに、垂水にはもう一つバスターミナルがありました。それがこちら、垂水鈴木橋ターミナルです。 福田川に面した三角形の土地で、今はコンビニになっていますが、桃山台・つつじが丘方面へのバスはこのターミナルから発車していました。垂水東口と垂水鈴木橋のターミナルは平成12(2000)年の現・垂水東口ターミナル完成まで使われていました。現代に入っても、垂水の町は少しずつ変化しているというわけですね。

福田橋

垂水鈴木橋ターミナル跡から福田川に沿って歩いて行くと、レトロな二連の石造りの橋が見えてきました。福田橋です。この橋は大正13(1924)年に架けられた橋で、今でも国道2号線が通る垂水の街の東の要というべき橋です。石造りの橋が今も重要な交通路として生きているというのは何だかいいですね。架橋から80年以上、垂水の街の発展を見つめてきたのでしょう。

ミニチュア福田橋

歩道橋から福田橋を俯瞰した写真がちょっと面白かったので、ミニチュア風に加工してみました。

福田川の終わり

福田橋のすぐそこは福田川の河口。
人々の暮らしを育み、歴史の舞台となってきた福田川はここで終わり、大阪湾へと注いでいきます。

垂水区を流れる福田川沿いには古代の史跡から現代の遺産まで、見どころは数多くあります。ブログをご覧のみなさんも是非歩いてみて、垂水の違った面を探してみてください!
そういえば、今日から月曜日までは山陽バス全線(高速バス、二見線、Tacoバスは除く)が乗り放題の『Sun!Sun!サンヨーパス』の利用期間ですね。

垂水の史跡巡りに便利な『Sun!Sun!サンヨーパス』

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A:山陽垂水駅
B:八幡裏停留所
C:瑞丘の松
D:瑞丘八幡神社
E:旧垂水東口ターミナル(降り場)
F:旧垂水東口ターミナル(乗り場)
G:旧垂水鈴木橋ターミナル
H:山陽垂水駅


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垂水をゆく~福田川のみち(中編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

垂水ウィーク二回目の更新ですね。
歴史部は引き続き、川から垂水の歴史を辿ってみたいと思います。
というわけで、前回に引き続き、垂水区の東部を流れる福田川に沿って垂水の史跡を見ていきます。

福田川沿いの地域は、現在は北半分が垂水区名谷町となっています。
この名谷町はかつて明石郡名谷村と呼ばれていて、さらに明治以前にはに西名東名滑(なめら)中山奥畑の5カ村に分かれていました。前回は、このうちの奥畑、中山の上流部2カ村を巡ってきましたので、続いて、滑、西名、東名の各村を巡っていきましょう。

あみだ堂停留所

垂水東口行きのバスに乗っていると気になる停留所を発見。その名もあみだ堂。降りてみるとその名の通り、バス停の前にお堂がありました。

阿弥陀堂

このお堂の名前はやはり阿弥陀堂。 江戸時代に作られたものだそうで、五穀豊穣などを祈願して旧滑村に設けられたと言われていますが、詳しいことはわかっていないようです。お堂の前は大きな道路になり、お堂自体も自動車販売店などに囲まれてあまり目立たない存在になっていますが、今もこの地を見守っているようです。

古い地形図を見ていると、この辺りから福田川の谷は大阪湾に向かって開けてきていて、一面の田んぼが広がっていたようです。周辺の景色を眺めると、開発の進んだ今でも何となく当時の雰囲気が伝わってくるような気がしますね。

明王寺

阿弥陀堂から少し北上すると、名谷小学校の裏手に大きな寺院がありました。こちらは明王寺という真言宗の寺院です。

不動明王像

この寺院は不動明王を本尊としているため、境内にはこんな石像も。
また、このお寺でも転法輪寺と同じく追儺式が登録有形文化財に指定されています。

西名谷停留所

明王寺で旧滑村を後にし、バスでさらに福田川沿いを下っていきます。
到着したのは西名谷停留所。 このあたりはかつて、東西で西名村東名村に分かれていました。まずは西名村の方へ向かってみましょう。

五輪塔

西名谷停留所から住宅街の中に入ると姿を現したのが、こちらの五輪塔
鎌倉時代に作られたものだそうで、地元では「ドロクサハン」と呼ばれているそうです。道祖神の別の呼び方の「道録神(どうろくしん)」がなまったものでしょうか。
平家の武将の墓だという説がありますが、誰の墓なのかはわかっていないようです。

西名春日神社

五輪塔からさらに住宅や畑の中を歩いていくと、西名春日神社に着きました。小さな神社ですが、旧西名村の鎮守だそうで、今も大切に祭られています。

東名奥津神社

福田川を渡って対岸の旧東名村に入ると、東名奥津神社に着きました。
こちらは旧東名村の鎮守で、公民館が併設されています。

先ほどから登場している西名東名という地名は、それぞれ西名谷東名谷の略だと言われています。では、「名谷」の地名の由来はというと、一説では、野菜のミョウガ(茗荷)が取れる田園地帯であったことから「茗荷谷」と呼ばれたのが縮まって名谷になったと言われています。しかし、他にも説があるようで、詳しくはわかっていないそうです。余談ですが、東京の茗荷谷もミョウガの産地であったことから名付けられたとのことで…、地名って難しいようで意外と単純なものなのかもしれません。

福田川の流れに沿って史跡を巡っていくと、転法輪寺のような大きな寺院だけでなく、村々の寺社にも非常に古い歴史をもったものが数多く見られます。これらは、この地域が古くから開け、豊かな土地であったということを示しているのでしょうか。
この先、さらに福田川に沿って垂水の街中へと下っていくことにします。
ということで、次回に続きます。

垂水の史跡巡りに便利な『Sun!Sun!サンヨーパス』

知られざる史跡を求める垂水の旅には、 9/14(土)~16(月・祝)9/21(土)~23(月・祝)のそれぞれ3日間、山陽バス全線(高速バス、二見線、Tacoバスは除く)が乗り放題『Sun!Sun!サンヨーパス』が便利です。

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A:あみだ堂停留所(垂水東口から山陽バス11・12系統で12分)
B:阿弥陀堂
C:明王寺
D:西名谷停留所(垂水東口から山陽バス11・12・13系統で10分)
E:西名春日神社
F:東名奥津神社


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垂水をゆく~福田川のみち(前編)

投稿日:



秋めいてきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

前回、 玄蕃允から案内があった通り、今日から9月23日までは垂水ウィークです。
ということで、垂水を巡ってきました。

垂水の町というと、他の地域の方からは地形が複雑でわかりにくい~とよく言われることがあります。しかし、古い地形図を眺めていると、東から塩屋谷川福田川天神川商大筋の拡幅で暗渠化)、山田川の三本の川が作った谷に集落ができていき、戦後になって谷筋から尾根や台地の上へと住宅開発が広がっていった…という姿が何となく見えてきます。どうやら、垂水の町を知るには「」がキーワードになりそうですね。というわけで、しばらく、川から垂水の歴史を辿っていきたいと思います。まずは、東を流れる福田川から巡っていきましょう。

奥畑停留所

垂水東口停留所から12・13系統のバスで到着したのが奥畑停留所。今では開発が進んだためによくわからなくなっていますが、その名の通り、福田川の谷はここが最奥部にあたります。山陽バスの各系統も地下鉄名谷駅ができるまではここが終点でした。

石水寺

停留所から細道を辿ると立派な門が見えてきました。
こちらは石水寺という臨済宗の寺院です。

平師盛公史跡

門前にはこんな石碑が。
こちらには平師盛の塚があるようです。平師盛と言われてもあまりイメージが湧かないのですが、平清盛の孫で、一ノ谷の合戦で海に逃れようとした際に船が転覆したために追っ手につかまり、討死したそうです。このほかに、境内には神戸市内で最古と言われる石板仏があったそうですが、震災で破損してしまったそうです。

石板仏

内部に入れなかったので師盛塚は見学できなかったのですが、石板仏は門の横にありました。こちらは震災後に復元されたものとのことです。

中山停留所

奥畑停留所に戻ってバスで福田川沿いを下り、転法輪寺のアナウンスを聞いて中山停留所で降りました。

立ちはだかる山道

停留所から道しるべに従って歩いていくのですが、現れたのは垂水のイメージに合わないハードな山道…。この道で合っているのか不安になってきますが、体育会系歴史部の名にかけて、先へ進むことにしました。

転法輪寺

山道を歩いていると、急に木々が開け、立派な伽藍が姿を現しました。転法輪寺です。
高速道路やマンションが隣接しているはずなのですが、境内は静まり返っていて、何とも厳かな雰囲気が漂っています。「垂水の高野山」とでもいえるでしょうか。

垂水の高野山

転法輪寺は真言宗(高野山金剛峰寺の宗派!)の寺院で、大同元(806)年創建という長い歴史を持っています。多くの文化財を収蔵し、一月に行われる追儺式は登録無形文化財になっているそうで、まさに垂水の名刹ですね。今でも十分に立派なのですが、かつては三重塔や僧坊もあったそうで、大規模な寺院だったと言われています。

僧坊跡か

そんなことを考えながら境内を歩いていると、阿弥陀堂の横にやけに広い空き地を見つけました。ここが僧坊の跡なのでしょうか。転法輪寺は過去に幾度となく火災に遭っているようで、失われた建物について、今ではよくわかりません。しかし、この広い敷地を見ると、相当大きな建物があったのだろうということがうかがえます。

転法輪寺の大きさに圧倒され、垂水の奥深さを垣間見たところで先へ進むことに。
次回に続きます。

垂水の史跡巡りに便利な『Sun!Sun!サンヨーパス』

ハードでマニアックな垂水の史跡巡りの旅には、 9/14(土)~16(月・祝)9/21(土)~23(月・祝)のそれぞれ3日間、山陽バス全線(高速バス、二見線、Tacoバスは除く)が乗り放題『Sun!Sun!サンヨーパス』が便利です。

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A:山陽垂水駅
B:奥畑停留所(垂水東口から山陽バス12・13系統名谷駅行きで18分)
C:石水寺
D:中山停留所(垂水東口から山陽バス12系統名谷駅行きで15分 ※13系統は経由しません) 
E:転法輪寺

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舞子公園の移情閣をたずねて

投稿日:



こんにちは。玄蕃允です。

突然ですが、山陽電車公認3ブログ「たいたいの太鼓判」「スマホ片手にまちぶらり」そして「せっつ・はりま歴史さんぽ」が協力して、9月9日~23日まで「垂水ウィーク」を開催したいと思います。

垂水のグルメ・歴史・街並みをこれでもかと押していきたいと思っていますので、ぜひブログを見て、垂水に足を運んでくださいね。

 

山陽沿線歴史部ではすでにフライング気味ですが、垂水の歴史を追っていきます。

ということで、明石海峡大橋の袂、舞子公園に重要文化財の建物があり、行ってきました。

移情閣(孫文記念館)です。



8角3階建ての美しい建物です。1915年に建築され、コンクリートブロックを用いた建造物では最初期の建物でもあり、当時の構造や技術を伝える遺構としても重要です。

神戸で活躍した中国人実業家・呉錦堂の別荘「松海荘」を前身としています。

明石海峡大橋と移情閣


明石海峡大橋がバックに映えますね。

内部は中国の革命家・孫文を顕彰する日本唯一の博物館となっています。

民主主義を掲げ、清王朝を倒し、中華民国を建国した孫文ですが、神戸と深い関わりがあります。

中華民国を建国したものの、実権は袁世凱に移り、袁世凱に対する第2革命を起こした孫文でしたが、革命は失敗に終わり、日本に亡命します。その際、川崎重工業の松方幸次郎に神戸にかくまわれる等、何度も神戸を訪れました。

そんな孫文に関する資料が所せましと並んでいます。

また内装の美しさにも目を奪われます。

 

移情閣のすぐそばには「旧武藤山治邸」もあります。



武藤山治ですが、鐘紡の中興の祖と呼ばれた人物で、衆議院議員としても活躍します。

この建物は明治40年に建築されましたが、国会議事堂や首相官邸などを手掛けた大熊喜邦の設計によるものだそうです。

「移情閣」も「旧武藤山治邸」も舞子の浜に上手く調和していますね。

美しい舞子公園を拠点に垂水の街並みをぜひ散策してください。

サンヨーパス


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A 山陽電車舞子公園駅
B 移情閣(孫文記念館)
C 旧武藤山治邸(旧舞子鐘紡倶楽部)


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明石海峡を見守る海の神様~海神社を訪ねて

投稿日:



9月に入ってもまだまだ暑い日が続きますね。いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

今回は垂水を少しだけ歩いてみたいと思います。

垂水西口

電車で垂水を訪れると、多くの方は、こちら側、黄色い山陽バスが発着する西口ターミナルに出るのではないでしょうか。
では、この反対側の南側はというと…。

そびえる大鳥居

海に向かって大きな鳥居がそびえています。
こちらは海神社わたつみじんじゃ、通称「かいじんじゃ」)の大鳥居です。

海の幸供養塔

大鳥居に傍らにはこんな石碑が。
熊や蛸、鯨など特定の生き物ではなく、海産物全般に対する供養塔です。ある意味、古来より好漁場だったとされる明石海峡の豊かさを象徴する石碑ですね。

拝殿

交通量の多い国道2号線を渡って境内に入ると、賑やかな垂水駅前とは別世界のように静かです。
正面には意外と小さな拝殿がそびえています。

海神社は三韓征伐の帰途に暴風雨に巻き込まれた神功皇后綿津見三神を祭ったことが由緒とされ、実に千二百年もの歴史をもつ非常に古い神社です。
かつては「垂水神」「日向大明神」等と呼ばれ、一定した呼び名がなかったようですが、古代には「海神社」と書いて「あまじんじゃ」「たるみじんじゃ」と読んでいたとする国学者・本居宣長の説を採用し、明治4(1871)年に「海神社」に定められました。ただ、今も「わたつみじんじゃ」と読んだり「かいじんじゃ」と読んだりと一定していないような気がしますが…。それだけ垂水の人々にとって身近な神様だということでしょうか。

海に向かって伸びる参道

再び、参道へ。
参道は陸ではなく海に向かっています。その名の通り、海の神社という雰囲気ですね。以前紹介した魚住の住吉神社にも似た雰囲気です。明石海峡を行き交う船はこの大鳥居を目印にしていたようですが、今は鳥居と海の間に漁協の建物が建っています。

神功皇后が…という由緒はありますが、実際のところ、この神社がいつ作られたかはわかっていないようです。ただ、古代、この地で海とともに生きた人々が、豊富な漁場への感謝する気持ちや、海の難所・明石海峡を通過する際の安全を祈願する気持ちを考えると、自然発生的に神様を祭るようになったのかなぁと思えてきます。
このブログの繁栄も祈願し、海神社を後にすることにしました。

垂水の史跡巡りに便利な『Sun!Sun!サンヨーパス』

海神社から始まる垂水の史跡巡りの旅には、 9/14(土)~16(月・祝)9/21(土)~23(月・祝)のそれぞれ3日間、山陽バス全線(高速バス、二見線、Tacoバスは除く)が乗り放題『Sun!Sun!サンヨーパス』が便利です。

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A:山陽電車垂水駅
B:海神社


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