せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

鵯越を歩いて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、鵯越を歩いてみたいと思います。

元西神戸有料道路

坂道を上ると、急に開けた道に出ました。神戸市道の夢野白川線で、かつての西神戸有料道路です。多くの車やバスが行き交い、山間にひっそりと佇んでいた鵯越駅とは別世界のようで一瞬戸惑ってしまいます。

大阪湾を見下ろす

道沿いからは神戸の街並みと大阪湾を見下ろす景色を眺めることができました。ちょうど、神戸電鉄の電車が住宅地を縫うように坂道を下りていきました。

鵯越墓園

市道を少し上ると、大きく開けた空間がありました。こちらは神戸市の鵯越墓園です。

逆落としで知られる鵯越ですが、現在神戸市にお住まいの方なら、鵯越といえば墓園のイメージもあるのではないでしょうか。かつては「奥山新田」という山奥の新田に大規模な墓園が整備されたのは実は最近で、和田岬にあった墓地を移転し、昭和7(1932)年に鵯越公園墓地として開設されました。当時は湊西区(のちの兵庫区)の墓地だった鵯越は戦後に市の直営となり、市営の公園墓地として整備されていくこととなります。

鵯越の碑

墓園の入り口には鵯越の碑がありました。

鵯越大仏

墓園の中を歩くと、大仏がありました。こちらは「鵯越大仏」と呼ばれ、昭和7(1932)年にこの墓地が開設された当初に建立されたものです。今では墓園の中にある大仏ですが、当時は墓園の頂上に設けられたのだそうです。

大仏からの眺め

鵯越大仏からは神戸の街を見下ろすことができました。

お盆には鵯越を訪れたという方も、改めて歴史と神戸を見下ろす景色を楽しめる鵯越を歩いてみると、新しい発見があるかもしれません。

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鵯越を歩いて(前編)

投稿日:



夏の日差しの照りつける中に時折涼しさを感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

鵯越駅

新開地から神戸電鉄の電車で六甲山の山の中に分け入り、到着したのは鵯越駅

鵯越の街並み

鵯越駅の周辺には複雑な地形の斜面に住宅が建ち並んでいます。
神戸といえば異人館や港が思い浮かぶのかもしれませんが、こういった立体的な住宅地が広がる景色こそ神戸らしい景色ではないかと個人的には思います。

鵯越といえば、「鵯越の逆落とし」が思い浮かぶのではないでしょうか。
所謂「源平の合戦」と呼ばれる治承・寿永の乱の最中の寿永3(1184)年、一の谷の合戦の中で行われたといわれ、源義経率いる軍勢が平家の陣を奇襲した戦いです。物語では、須磨・一の谷の平家の陣の裏手の山を義経の軍勢が駆け下りて奇襲を仕掛けたと言われていますが、ここ鵯越から一の谷までは直線距離でも7kmは離れています。一応、山並みは須磨へ繋がっていますが…。この辺りから、義経の逆落としが行われた場所には諸説があるようで、今もはっきりはしていません。

石仏の道

住宅地の奥に入ってみると、菊水山のほうへとつながる山道がありました。道沿いには石仏が並んでいて、どこか神聖な雰囲気ですが、この道の由来についてはよくわかりませんでした。

氷室神社

山道には氷室神社という神社がありました。
氷室神社といえば、麓の神鉄長田駅近くの神社がこの辺りでは知られていますが、ここ鵯越にも同じ名前の神社がありました。ここにも氷室があったのでしょうか。境内は草木が茂り、鳥居も倒れていて、小さな神社は自然に還ろうとしていました。

鵯越の山の中に佇む歴史の道、次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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御影・平野城を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、御影を歩いてみたいと思います。

城ノ前バス停

御影駅の南側へ歩いてみました。大通りにあったのは「城ノ前」なる名前のバス停です。この辺りの地名は今では「御影」ですが、以前は「城ノ前」「大手筋」といった城を思わせる地名がありました。城の痕跡はすっかり姿を消してしまったのですが、こうして地名にはかつての城の姿が残されているのですね。

中勝寺

山手幹線沿いに歩いていくと、中勝寺なる寺院がありました。戦国時代の永正(1505)年に創建された寺院で、平野城を築いた平野忠勝の菩提を弔うために子孫が建立したと言われていて、以前は「忠勝寺」という名前だったそうです。

六甲山麓に強固な守りをもった平野城でしたが、城が築かれた直後に起こった観応の擾乱であっさりと破られてしまいます。近代に入り、平野村と呼ばれていたこの辺りは御影町へ編入され、さらに戦後には神戸市に編入されていきます。急速な市街化と住宅開発により、中世にわずかな期間存在した城の痕跡は消えていきました。

弓弦羽神社

中勝寺の隣には弓弦羽神社への参道がありました。
御影に城があった頃、この神社の辺りには弓場があったとも言われています。

平野城が破られた後、平野忠勝はどうなったのか…? 実は、農業へ戻り、郡家と呼ばれるこの地の庄屋を務めるようになりました。忠勝の子孫は江戸時代にはこの周辺の大庄屋を務めるようになります。中世の戦乱で多くの武家が滅んでいったことを考えると、この平野忠勝の選択は正しかったということなのでしょうか。

弓弦羽神社の境内

弓弦羽神社の境内からは、神社の名前の由来となった六甲山地(諸説あります)の山並みをわずかに眺めることができます。

弓弦羽の杜からの蝉しぐれを聞きながら、平野氏の治めたこの地を後にすることとしました。

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御影・平野城を訪ねて(前編)

投稿日:



真夏の太陽が照りつけると思うと、台風がやってくるこの頃、いかがおすごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

阪急御影駅

阪急電車で到着したのは御影駅です。

御影の街並み

駅の山手には住宅地が広がります。御影といえば、言わずと知れた関西屈指の高級住宅地で、六甲山を背景にゆったりと住宅が建ち並ぶ景色を眺めていると、確かに住みたくなる街だと思います。

平野城跡

駅前に「御影城址」と書かれた石碑がありました。こちらは御影城とも呼ばれた平野城の跡です。

平野城が築かれたのは南北朝時代の正平元(南朝)/貞和2(北朝)(1346)年のことで、平野忠勝なる赤松氏の家臣によって築かれたと言われています。北側の六甲山地、西を流れる石屋川の支流の新田川に囲まれた強固な守りをもつ城であったと言われているのですが、今では何の痕跡もなく、この地に城があったことも信じられません。

深田池

御影駅のすぐ北側には畔の松の木が美しい池がありました。こちらは深田池です。
もともとは農業用のため池でしたが、この地に城があった頃は城の防衛設備の一つとしても機能していたとされています。
今では池の周囲は公園として整備されていて、釣りをしている方もちらほら見かけました。

次回はもう少し、高級住宅地の中に眠る城跡を巡ってみたいと思います。

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海峡の街・舞子を歩いて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、舞子を歩いてみたいと思います。

舞子延命地蔵

交通量の多い国道沿いを歩いていくと、お堂がありました。
こちらは舞子延命地蔵です。お堂の中を覗いてみると、思ったよりも大きなお地蔵さんが優しげな表情で佇んでいました。このお地蔵さんは幕末に建立されたものと伝わっていて、木槌で台座を叩くと願いがかなうという言い伝えがあることから「たたき地蔵」とも呼ばれています。

川の跡

国道を渡り、さらに西に向かうと、橋の欄干の跡がありました。川は暗渠になっているのか、水面を眺めることはできないのですが、道路の形状にうっすらとかつての川の流れを偲ぶことができます。それにしても、舞子を流れる山田川はもう少し西にあるので、この川は…? というところですが、古い地形図を見てみますと、北側にある舞子小学校前バス停の辺りにあった平池という池からこのあたりへ流れている川を見つけることができました。今は交通量の多いバス道になっている道路の下にはかつての川が眠っているのかもしれません。

舞子六神社

住宅地の中を歩いていくと、神社がありました。こちらは舞子六神社です。

舞子六神社の境内

神社の境内は意外と広く、交通量の多い国道や鉄道各線に隣接しているにも関わらず静かな雰囲気です。

舞子六神社の創建時期は分かっていないのですが、記録では江戸時代の元禄2(1689)年まで遡ることができると言われています。創建よりこの地・山田の鎮守とされていて、海峡を望む村を見守ってきました。前述の延命地蔵とともに、幕末から近代へ移り変わり、現代には世界最長の吊り橋が架けられるという舞子の変化を眺めてきたのでしょうか。

舞子漁港

神社の正面の道を歩くと港に着きました。
堤防に上がると、青々とした明石海峡の海が広がります。

夏本番となり海の季節ですね。この夏は海峡の街を歩いてみてはいかがでしょうか。

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