せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

花屋敷を歩く(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて花屋敷に日本最初のトロリーバスの跡を求めて歩いてみたいと思います。

万年坂

つつじガ丘を過ぎて待ち受けるのはさらに急な坂。この坂は万年坂と呼ばれているそうです。坂の途中のお地蔵さんはトロリーバスが運行している当時からあったそうで、トロリーバスとほぼ同じルートを走るバスを見守っています。

長尾台

万年坂を登りつめて到着したのが長尾台バス停。日本無軌道電車の終点・新花屋敷はこの付近にあったと言われています。

新花屋敷温泉

電車と違い、トロリーバスは一方向にしか進むことができないため、ここ新花屋敷には方向転換のためのループ線が設けられていました。「峠」と書かれた文字通り峠の茶屋のある場所には日本無軌道電車を運行していた新花屋敷温泉土地の本社があったと言われています。この周辺には温泉施設を中心に娯楽施設が建ち並び、周辺でも有数の観光地として賑わっていたそうです。

日本最初のトロリーバスとして生まれ、新花屋敷の温泉への足となった日本無軌道電車ですが、かなり乗り心地が悪かったそうで故障も多く、さらに花屋敷駅から歩いても知れている距離であったために利用は少なかったと言われています。そんな中、昭和恐慌によって観光客の足が遠のいたことでもともと少なかった利用者が激減、さらに運営会社の新花屋敷温泉土地の資金繰りが悪化したため、開業からわずか4年の昭和7(1932)年、日本無軌道電車は運行を休止しそのまま廃止となってしまいました。新花屋敷温泉土地も倒産し、今ではここに温泉施設があったのが信じされないような山間の集落と新興住宅地が広がっています。

待合室跡?

バス停前の空き地にはレンガ作りの建物のものらしき基礎の跡がありました。こちらが日本無軌道電車の待合室の跡と言われています。廃止後、トロリーバスの車両は公衆便所に転用され、さらに架線柱などの設備も戦後まで残されていたそうですが、今では何も残っていません。

あっさりと歴史のかなたに消えていった日本無軌道電車ですが、登場当初はさらなる夢がありました。次回はさらに日本無軌道電車の夢の跡を辿ってみたいと思います。

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