せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

妙法寺川の港を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、妙法寺川を海へと歩いてみたいと思います。

妙法寺川を眺める

木々に囲まれた妙法寺川を眺めながら歩いていきます。川沿いの木々は桜が多く、春には桜の花を、秋には紅葉を楽しむことができます。

鷹取工場跡

妙法寺川沿いに公園がありました。JR鷹取駅にもほど近いこの辺りにはかつて国鉄~JRの鷹取工場がありました。その歴史は非常に古く、現在の山陽本線を開業させた山陽鉄道(山陽電車とは関係がありません)が明治33(1900)年に設けた工場が始まりです。様々な車両の検査・修繕を行う大工場で、私も公開イベントに訪れた記憶もあるのですが、阪神淡路大震災で大きな被害を受けたことや市街地の再開発のために、平成12(2000)年に機能を網干に移転しました。この公園は跡地の一部で、工場があったことを示すモニュメントがありました。

河口へ

JRの築堤を潜ると川の流れは緩やかになりました。係留された船も見かけ、海が近づいてきたことを感じます。

須磨港跡

河口付近に商業施設がありました。こちらにはかつて須磨港があり、淡路島の東浦へのフェリーが発着していました。短距離のフェリーでしたが、利用は多かったようで、当初はこちらの東側の長田港を発着していたのが船舶の大型化により昭和43(1968)年にこの地へ港を移転し、その後、明石海峡大橋が開業する平成10(1998)年まで運航を行っていました。今では面影はありませんが、ほんの20年前まで、ここには今と全く異なる景色が広がっていたのだと考えると、不思議な気分になりますね。

妙法寺川を眺める

季節ごとに花や紅葉を楽しめる妙法寺川ですが、それだけでなく、川沿いにははるか古代から近代、現代へ繋がる歴史の感じる場所が数多くあります。紅葉には少し早いですが、川に沿って歴史の旅に出てみてはいかがでしょうか。

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妙法寺川の港を訪ねて(前編)

投稿日:



秋も深まりゆくこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

板宿駅

今回の訪れたのは板宿駅

妙法寺川

賑やかな板宿の街を抜けると、妙法寺川の畔に出ました。
高取山を望む爽やかな景色が広がります。あとひと月もすれば紅葉が楽しめそうですね。

證誠神社

川沿いを歩いていくと、神社がありました。
こちらは證誠神社です。

證誠神社は「大手の権現さん」とも呼ばれ、その呼び名の通り熊野権現を勧請して創建された神社です。創建されたのは平安時代の永延元(987)年とされ、なんと千年以上もこの地の氏神として信仰されてきました。

證誠神社の境内

證誠神社は非常に長い歴史を持つ古社ですが、そんなことも感じさせないほど自然に、住宅地の中に静かに佇んでいました。

次回はさらに妙法寺川に沿って歩いていきたいと思います。

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平松・吉美を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、網干線の平松駅から歩いてみたいと思います。

路地を行く

脇道に入ってみると、こんな景色が続きます。
住宅地かと思っていたところですが、風情がありますね。

西照寺

街並みの中にあったのは西照寺です。

海の気配

歩いていると、徐々に海の気配を感じるようになりました。

吉美八幡神社

家並の中にあったのは吉美八幡神社です。

吉美八幡神社はここ吉美が林田藩領になった江戸時代の元和3(1617)年、網干の魚吹八幡神社より分霊して創建された神社と伝わっています。長らくこの吉美の鎮守として信仰されてきた神社ですが、明治に入ってから周辺の神社と合祀され、吉美八幡神社と称されるようになりました。

神社の前は

神社の前には工業地帯が広がっています。かつてはこの辺りには新田や塩田が広がっていたようですが、周辺の地域とともに工業地帯となり、のどかな景色が広がっていたであったであろう面影はありません。

趣のある街並みと工業地帯が隣り合わせになっている平松と吉美、網干線の沿線では決して目立つ存在ではありませんが、ゆっくりと歩いてみると新しい発見があります。今、沿線は秋祭りの季節、お祭りの見物と合わせて歩いてみてはいかがでしょうか。

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平松・吉美を訪ねて(前編)

投稿日:



つい最近まで暑かったのがウソのようなこの頃。
いかがお過ごすでしょうか。

こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

平松駅

飾磨から網干線の電車で着いたのは平松駅

大和工業グル―プ最寄駅

平松駅には2018年11月から副駅名が設定されていて、「大和工業グループ最寄駅」の文字がありました。

平松の街並み

駅前にはのどかな街並みが続いています。

現在は住宅が広がる平松駅の周辺ですが、古い地図では大津川沿いに広がる田畑の中に集落が点在していたのを見ることができます。ちょうど平松駅のある辺りにはその名も平松という集落があり、海側には吉美(きび)という集落がありました。

吉美の街並み

現在は一続きの街並みになってしまいましたが、国道の辺りから南側が吉美地区です。
やはり住宅地が広がる…といいたいところですが、寺院の白壁や瓦屋根が見事な民家もあり、どこか周辺の新しい住宅地とは違った雰囲気が漂っています。

平松駅の周辺に広がる平松と吉美、次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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姫路・船場を歩いて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路の船場を歩いてみたいと思います。

船場の街並み

船場川沿いから街中に入ってみます。
姫路の街は城の東から南側に広がり、北西方向は地形の事情もあって近代までそれほど市街化は進んでいなかったようですが、ここ船場では物資の集散地として経済的に発展していたせいか、古くから市街化されていました。

船場御坊

町の中にあったのが「船場御坊」こと本徳寺です。姫路で本徳寺と言えば、山陽電車の亀山駅近くにある亀山御坊が思い浮かびますが、ここ姫路城下にも同じ名前の寺院があります。

船場御坊の境内

山門をくぐると、目の前には巨大な本堂がそびえています。

船場御坊は戦国時代の永正12(1515)年、今の姫路市飾磨区にあった英賀御坊の創建に由来するとされています。この英賀御坊は後の天正8(1580)年に秀吉の英賀城攻めで亀山に移転しました。亀山に作られた亀山御坊は江戸時代の浄土真宗の東西分立で西の本願寺派に入ることとなります。東の大谷派の信徒は姫路における大谷派の拠点の再興を姫路城主となった本多忠政に訴えたところ認められ、江戸時代の元和4(1618)年に組屋敷のあった船場の地に新たな寺院が建立されることとなりました。寺院としては江戸時代からとなりますが、その背景には亀山御坊とともに中世の英賀御坊からの歴史をもつこととなり、大きな本堂には趣を感じますね。

姫路城埋門跡

船場御坊から船場川を渡ると姫路城は間近。かつて中濠だった国道沿いには石垣が残り、埋門の跡がありました。

物流の集散地として姫路藩の経済を支えただけでなく、中世都市・英賀の機能も受け継いだ船場。秋のお出かけに姫路を訪れた際は足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

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