せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

天満宮と塩の町・曽根を歩いて(前編)

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蒸し暑い日が続くこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽曽根駅

山陽電車で着いたのは山陽曽根駅です。

曽根天満宮の鳥居

曽根といえば曽根天満宮ですね。駅を降りるとすぐに大きな鳥居がそびえ、参道が続いています。

本門

松の美しい参道を歩いていくと、曽根天満宮の本門にたどり着きました。神社というよりは寺院の仁王門のようなスタイルで、江戸時代の享保12(1717)年に建てられたものと伝わっています。

曽根天満宮の創建時期はわかっていませんが、平安時代の延喜元(901)年に菅原道真が大宰府へ流される途中、この地に立ち寄り霊松「曽根の松」を植えたことを由来としています。後に、道真の左遷と同時に播磨へ流された道真の子の菅原淳茂が社殿が建立し、神社としての体裁を整えますが、戦国時代の秀吉の播磨攻めの際に焼失しました。

曽根天満宮の境内

由緒ある神社だけあり、境内は広々としています。奥の本殿は秀吉の播磨攻めの際に焼失したものを天正18(1590)年に再建したもので、幣殿と拝殿はいずれも江戸時代の建築です。

霊松殿

境内の一角にあったのが霊松殿です。道真の植えた霊松「曽根の松」は江戸時代の寛政10(1798)年に枯死してしまいました。この霊松殿には曽根の松の幹が保存されています。

曽根は曽根天満宮が印象的な街ですが、他にも見どころが広がっています。
次回はもう少し曽根の街を歩いてみたいと思います。

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御着・国分寺を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、御着を歩いてみたいと思います。

播磨国分寺跡

町の一角にあったのは公園のような広場です。こちらは播磨国分寺の跡です。

播磨国分寺は天平13(741)年の聖武天皇の詔によって建立された寺院です。
広大な伽藍に門や七重塔等を備えた大寺院だったのですが、平安時代と秀吉の播磨攻めの際に二度焼失。大寺院の姿は失われてしまいました。

国分寺

播磨国分寺跡の一角には先ほど見かけた寺院があります。こちらは国分寺で、播磨国分寺の後継として江戸時代の寛永16(1639)年に創建された寺院です。かつてのような大寺院というわけではありませんが、どこかゆったりとした雰囲気の寺院ですね。

壇場山古墳

古代には国分寺の街として栄えたここ御着ですが、それ以前の姿を偲ばせるのが住宅地の中にある森です。周辺を堀のような窪みに囲まれたこちら。もうお分かりかと思いますがこちらは壇場山古墳という古墳です。

壇場山古墳は古墳時代の5世紀前半に築造されたとされる前方後円墳で、兵庫県内では三番目の大きさがあります。被葬者はわかっていませんが、規模から考えると播磨を治めた有力な豪族の墓ではないかと言われています。

墳丘に上る

この古墳は陵墓に指定されていないため、墳丘に上がることができます。しかし、墳丘には木々が生い茂り、見晴らしはききません。

山之越古墳

壇場山古墳の北西の住宅地の中にもう一つ古墳がありました。こちらは山之越古墳です。やはり古墳時代の5世紀中頃の築造とされ、巨大な壇場山古墳と比べると随分小さな方墳ですが、方墳としては兵庫県内最大とのこと。こちらの古墳の被葬者も明らかになっていませんが、規模や築造時期から壇場山古墳の被葬者の後継者の墓ではないかと言われています。

山之越古墳からの眺め

山之越古墳も墳丘に上ることができます。墳丘の上からは御着の街並みを眺めることができました。

御着城で知られるようになったここ御着ですが、そのはるか以前から、豪族が拠点を構え、国分寺が置かれる等、播磨の中心地として栄えてきた町でした。

梅雨の晴れ間に御着を訪ねてみてはいかがでしょうか。

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御着・国分寺を訪ねて(前編)

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梅雨の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

御着駅

山陽明石駅からJRに乗り換えて着いたのは御着駅です。

小寺大明神

御着といえば、もうお馴染みになってきましたが、小寺氏御着城ですね。播磨の守護大名だった赤松氏の血筋ともされる小寺氏は室町時代から戦国時代にかけて、姫路城とここ御着城を拠点としていました。

御着城跡

小寺大明神
から国道2号線を渡った先には御着城跡公園があります。城郭風の建物は姫路市役所の出張所で、ちょうどこの辺りが本丸跡とされています。

小寺政隆がここ御着に城を築いたのは永正16(1519)年のことで、山陽道が通る交通の要衝に城郭と城下町を築き、中世の播磨では三木城英賀城と並び播磨三大城とも呼ばれました。この頃の播磨の中心はここ御着で、近世以降に播磨の中心となった姫路は御着の支城の扱いでした。この姫路の城代も務めていたのが、後に黒田官兵衛を生んだ黒田家でした。

国分寺

大河ドラマのおかげで御着は御着城のあった町として知られるようになりましたが、御着城が築かれる中世以前はどうだったのか?
御着城跡公園から国道沿いに歩き、街中に入った場所にあったのが国分寺です。次回はここから御着城以前の御着をもう少し歩いてみたいと思います。

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新緑の須磨寺を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、須磨寺を歩いてみたいと思います。

須磨寺

境内に入ると山沿いに大きな本堂が建っていました。
背景の新緑がまぶしいですね。

須磨寺は正式には「福祥寺」といい平安時代の仁和2(886)年の創建と伝わる古刹です。
この本堂は安土桃山時代の末の慶長7(1602)年の建築と伝わり、ゆったりとした雰囲気が印象的ですね。今からの緑が美しい季節はこの寺院を訪れるのにちょうどいい季節なのかもしれません。

三重塔

新緑の中に朱塗りが眩しいのは三重塔です。今の塔が建てられたのは昭和59(1984)年と新しいのですが、もともとの塔は文禄5(1596)年の慶長伏見地震で倒壊していて、400年近く経って再建されたということになりますね。

敦盛塚

三重塔の奥に進むと、五輪塔がありました。こちらは敦盛塚です。寿永3(1184)3年2月の一ノ谷の合戦の際の平敦盛の物語は非常に知られていますが、この塚には敦盛の首が納められていると伝わっています。「敦盛塚」といえば須磨浦の塚が思い浮かんでしまいますが、須磨浦の方に納められているのは敦盛の胴とのこと。

須磨寺公園

須磨寺の境内を出ると、池がありました。こちらは須磨寺公園です。この場所はかつては「新吉野」と呼ばれる桜が美しい行楽地でした。今では静かな公園となっていますが、池の畔には温泉旅館が建ち並び、当時の雰囲気を少し感じることができます。

他の人が少なく、さわやかな風が吹き抜ける公園はまさに密を避けた環境で、息を吸い込むと、緑の香りを含んだ空気が体を満たしていきました。

このような情勢ですが、今後も少しづつ山陽沿線とその周辺を歩いてみたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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新緑の須磨寺を訪ねて(前編)

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梅雨も間近な頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

新型コロナウィルス感染拡大に伴う緊急事態宣言の発出により、しばらくお休みをいただいていましたが、緊急事態宣言が解除されたことから更新を再開させていただきます。現在も不要不急の外出は自粛を求められていて、所謂「三密」も避けるべきとされている状況ですので、ご覧の方につきましても感染対策等されてのお出かけをいただきますようお願いいたします。

須磨寺駅

今回訪れたのは須磨寺駅

平重衡とらわれの松跡

駅前には「平重衡とらわれの松跡」があります。

平重衡は治承・寿永の乱、所謂「源平合戦」の際に活躍した武将で、清盛の五男でした。寿永3・治承8(1184)年の一の谷の戦いの際、重衡は神戸は生田の森の東側を守っていました。しかし、源氏軍の攻撃を受けて敗走し、この地で生け捕りにされます。捕らえられた重衡はこの松の根に腰を掛けて無念の涙を流していると、地元の住民が濁り酒をふるまったという伝説があります。この時に詠んだ歌が

ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて すまでのむこの濁酒なれ

とされています。
ちなみに、ここで生け捕りにされた重衡は、治承4(1181)年の南都焼討で平氏軍を率いていたこともあって、後に南都(奈良)に引き渡され木津川の川原で斬首されました。

須磨寺への道

駅から続く須磨寺への参道はそんな戦いの歴史があったとは思えないほど、明るい日差しが差し込んでいました。

龍華橋

参道の商店街を抜けると、須磨の山が迫ってきました。新緑に映える赤い欄干の橋は「龍華橋」です。この向こうはいよいよ須磨寺の境内ですね。緑の香りを含んだ心地の良い風が吹いています。

次回は新緑の須磨寺を歩いてみたいと思います。

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