せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

有馬への道・平野を歩く(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、平野を歩いてみたいと思います。

塞神の碑

有馬街道の旧道から東西に交差する道を歩き、新道の有馬街道である国道を渡ると、道路際に「塞神」と書かれた石碑がありました。旧道から通ってきた道は「古道街道」と呼ばれる東西方向の街道で、この塞神の碑はその街道に置かれた道祖神のようなものであったといわれています。この塞神の傍らには松の木があり、沖合を行きかう船が目印としていたようですが、戦時中に枯れてしまったそうです。

六道の辻

古道街道をさらに歩くと、六叉路に出ました。この辺りでは「六道の辻」と呼ばれているそうです。

祇園神社

住宅街の中を歩き、再び新道沿いに出ると石造りの鳥居が見えてきました。祇園神社の鳥居です。

祇園神社の歴史は古く、平安時代にさかのぼります。平安時代の前半の貞観11(869)年、姫路の広峯から京都の八坂牛頭天王を移す際、この地で一泊した縁で社を建立したことが由緒とされています。

祇園神社の境内

急な斜面にある祇園神社ですが、境内は意外と広く、ゆったりとしています。

かつてこの神社の裏手には潮音山上伽寺という寺院があり、隠居して京都から福原へ移った平清盛はそこで大輪田泊の構想を練ったといわれています。

祇園神社から街を見下ろす

祇園神社から神戸の街を見下ろしてみました。有馬へと続く街道の向こうに港町の景色が広がります。港は建物に隠れていて、神社から直接眺めることはできないのですが、ビルの向こうに広がる明るい空に、海の存在を感じることができます。

有馬への道として入口として栄え、平清盛とともに歴史の表舞台にも出た平野の街、現在では静かに神戸の街を見下ろしています。

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有馬への道・平野を歩く(前編)

投稿日:



日ごとに季節が進むのを感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

平野

神戸三宮から神戸市バスで着いたのは平野

平清盛ゆかりの地

バス停の前の交差点には平清盛の像がありました。
ここ平野は平清盛が平安京から遷都した福原京の北側に位置し、清盛の別荘の「雪見御所」があったとされています。大河ドラマ放映時には平清盛ゆかりの地として多くの観光客で賑わったそうです。

有馬街道

交差点から六甲山地に向かって伸びるのは「有馬街道」こと国道428号線です。現代では北神急行電鉄や神戸電鉄、道路では新神戸トンネルや六甲トンネルが六甲山を越えて有馬へ通じていますが、かつて山奥にある有馬への道は限られていて、六甲山を越えるか、ここ平野か宝塚の生瀬を経由して六甲山を迂回するルートのいずれかでした。古い地図を見ると、平野から続く道は曲がりくねりながら深い山を越えて、山田川沿いの箕谷へと続いているのがわかります。

有馬街道旧道

交通量の多い国道にあまり街道の雰囲気はないのですが、街中に残る旧道に入ってみると、街道らしい景色が続きます。色づき始めた山々を目指して坂道を歩いていると、有馬へ向かう旅人になったような気分になりますね。

平清盛が福原を治める拠点となり、有馬への玄関口として栄えた平野、もう少し歩いてみたいと思います。

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福島を歩く(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪の福島を歩いてみたいと思います。

上天神

福島天満宮の前の交差点の名前は「上天神」という名前。天神とは福島天満宮のことでしょうが、「上」とは? 実は、この界隈にはかつて「上」「中」「下」の三つの天満宮が曽根崎川に沿うようにありました。このうち、「上の天神」ことこの福島天満宮と「下の天神」(大阪市立下福島中学校東側)は現存していますが、「中の天神」は大阪大空襲で焼失してしまったそうで、現存していません。

浄正橋跡

福島天満宮から玉江橋に向かって歩くと、交差点がありました。前回見てきた浄正橋はかつてここにありました。東西を通り抜ける道路はかつての曽根崎川(蜆川)です。多くの車が行きかう景色は川がのんびり流れていた頃とはまるで異なるものですが、昔ながらの鮮魚店などにかつての雰囲気を感じることができますね。

逆櫓の松跡

街中に石碑がありました。こちらは「逆櫓の松跡」です。源平の合戦の際、京都から渡辺津(現在の天満橋付近)を経て屋島に進軍する源義経が、参謀役だった梶原景時と軍議を開いた地であるとされています。この地にあった松の木の傍で、船の両端に櫓をつけて前後どちらにも進めるようにしようと提案した景時に対して、義経が退却時のことを考えるべきではないと反論したということから松の木を「逆櫓の松」と呼ぶようになったとのこと。この松は江戸時代までこの地にあったようですが、現在は枯れてしまい、石碑が残るのみです。

豊前国中津藩蔵屋舗之跡

堂島川沿いに出ると川辺に石碑がありました。こちらは豊前国中津藩蔵屋舗之跡の石碑です。近世、堂島川沿いには全国の藩の蔵屋敷が建ち並び、物資の集散地となっていました。こちらはそのうちの中津藩の蔵屋敷の跡です。中津藩の蔵屋敷よりも目立つのが、福沢諭吉の生誕地の碑です。中津藩士の家に生まれた諭吉ですが、生まれたのは中津ではなく父が勤めていたここ大坂の中津藩蔵屋敷でした。

玉江橋

中津藩蔵屋敷跡から玉江橋に戻ります。都心にありながらどこかのんびりした雰囲気のある福島ですが、玉江橋まで来ると、高層ビル群を眺めると、大都市・大阪を感じさせる景色が広がります。

福島から梅田まではわずかひと駅。古代から近世をめぐる福島の旅を終えてから、買い物がてら梅田へ向かうことにしました。

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福島を歩く(前編)

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肌寒くなってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

福島駅

直通特急を乗り継いで降り立ったのは福島駅です。

浄正橋

福島駅とJR東西線の新福島駅が地下で向かい合う交差点の名前は浄正橋交差点

浄正橋交差点の周辺に橋は見当たらないのになぜこのような名前かというところですが、かつてこの交差点の南側の少し離れた位置に「曽根崎川(蜆川)」という川が流れていて、その川に架かる橋の名前が「浄正橋」でした。古い地図を見ると、この曽根崎川は大江橋の東側で堂島川から分かれ、曽根崎の辺りを流れて堂島大橋の西側で再び堂島川に合流していました。この曽根崎川と堂島川の間の堂島地区は二つの川に囲まれて、その名の通り「島」になっていました。大坂の市街地を流れ、親しまれた川だったようですが、明治42(1909)年に発生した大火の後に瓦礫の処分場所として埋め立てられてしまいました。現在では町割りや地名に川の名残を残すのみです。

福島天満宮

街中にあったのが福島天満宮です。平安時代、菅原道真が九州の大宰府に左遷される際、この地でもてなしを受けたことを喜び、この地を「福島」と呼んだことを由来として創建された神社だといわれています。「飢餓島」というひどい名前で呼ばれていたというこの地が福島と呼ばれるようになった発祥の地ですね。

福島天満宮の境内

福島天満宮の境内は鬱蒼とした木々に囲まれて周辺の市街地とは切り離されたような雰囲気です。

福島天満宮の門前

福島天満宮の門前は小さな飲食店が軒を連ね、門前町の雰囲気です。オフィスビルが建ち並ぶ市街地とは違った景色が広がり、風情がありますね。

古代から長い歴史を重ねてきた福島の街をもう少し歩いてみたいと思います。

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摂津水堂を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、水堂を歩いてみたいと思います。

水堂町の街並み

水堂陣屋跡の周辺に広がるのはごく普通の住宅地です。大阪空港までそう遠くないせいか、旅客機が低空で空を横切っていきました。

常春寺

街中にあったのが常春寺という寺院です。この寺の境内には南北朝時代に作られたといわれる水堂宝筐印塔という石塔があります。

水堂須佐男神社

さらに住宅地を歩いていくと、神社がありました。こちらは水堂須佐男神社です。

水堂古墳

立派な神社ですが、境内の奥には気になる建物が…。この建物の中には水堂古墳と呼ばれる古墳があります。

前回見てきたように、水堂と言えば水堂陣屋が知られていますが、水堂自体の歴史は非常に古く、水堂須佐男神社は戦国時代の天正期、水堂古墳はさらに古墳時代前期へさかのぼることができるといわれています。西を南北に流れる武庫川を望むこの地は古来から重要な土地であったことが伺えますね。古墳があるところに城が築かれるあたりは以前訪れた明石の王塚古墳~枝吉城を思わせるものがあります。

水堂古墳は今

水堂古墳は環濠を巡らせた前方後円墳だったと言われていますが、元の姿は失われていて、建物の中に一部が保存されているのみです。また、出土品は阪神尼崎駅近くの、尼崎市立文化財収蔵庫で展示されているとのこと。

水堂を歩く

水堂須佐男神社を出て、水堂の街を歩くことにします。古くから人が暮らし、水堂陣屋が治める街として栄えた街並みはどこか趣があるように感じますね。

街並みをもう少し見てみたいところですが、沈みゆく秋の夕日に背中を押されるように水堂の街を後にすることにしました。

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