せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

晩春の魚住を歩いて(前編)

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新緑の候、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

連休真っただ中、どこかへ旅行へという方も多いのではないでしょうか。
一方で、連休中はどこも人が多くて…と思っている方、近場でそれほど混雑していないところにも楽しくて勉強になるスポットがまだまだありますよ。
ということで、今回ご紹介するのは、山陽魚住駅からほど近い薬師院というお寺です。

薬師院

この薬師院、正式には「閼伽寺薬師院」(あかでら やくしいん)と言います。
奈良時代に僧・行基が錫杖を突きたてたところ、霊泉が湧きだすとともに薬師如来像が現れたことから、この地に薬師堂を立てて薬師如来像を祀ったのが始まりといわれています。
普段は静かな寺院なのですが、毎年4月中旬から5月上旬には境内にぼたん園が設けられていて、多くの人で賑わっています。
協力金を払って、早速中へ入ってみました。

ぼたん園

境内の奥にあるぼたん園入口から園内に入ると、大輪の花が咲き乱れていました。
時期的には終わりかけかと思っていたのですが、まだまだ十分に花を楽しむことができます。

ぼたんの花

ぼたんといっても様々な品種があるようです。

が、残念ながら私には違いがあまりよくわかりません…。
色だけでなく、花びらの形も品種によってかなり異なっているようですが…。

このぼたん園は、江戸時代の後半に薬の材料にするために植えたのが始まりといわれています。当初はわずかな数だったそうなのですが、今では2千株ものぼたんが植えられているとのこと。ちなみに、ぼたんの根から作られた薬は血行を良くする効果があり、頭痛腰痛などに効くと言われています。

このラムネは…?

真夏のような暑さで喉が乾いてしまったので、売店で買ったラムネを境内の隅のベンチでいただきました。
ラムネに描かれている山陽電車の駅名看板はまさについさっき見てきた景色ですね。その場で飲んでもいいですが、お土産に買って帰ってもいいかもしれません。

今年のぼたん園は5月3日までとのことで、気が付けばあまり時間がありません。
ぜひ見に行きたいという方、とりあえず↓のボタンをクリックしてから魚住へお急ぎください。

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福原京をたずねて

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こんにちは、玄蕃允です。

前回に内膳正が湊川公園についてご紹介しましたが、せっかく福原京の近くまで行ったので少し足をのばして、新開地~高速神戸周辺の平清盛ゆかりの地を訪ねてきました。大河ドラマは去年で終わりましたが、まだまだ引っ張ります。

高速神戸駅から北に歩くと、荒田八幡神社が見えてきます。

荒田八幡神社(あらたはちまんじんじゃ)


美しい神社ですね。
平清盛の異母弟・頼盛(よりもり)の山荘がこの一帯にあったとされています。

治承(じしょう)4年(1180年)に清盛は理想の都を造るためにこの福原へ都を移し、主だった貴族も移り住みますが、清盛の孫にあたる幼い安徳天皇はこの頼盛邸に入り、行在所(仮の皇居)として使われました。

安徳天皇行在所址


福原遷都八百年記念の碑


境内には「安徳天皇行在所址」「福原遷都八百年記念の碑」が建立されています。
わずか8歳で壇ノ浦の海に入水された安徳天皇は神社のご祭神として祀られています。

さらに北に歩くと、雪見御所旧跡(ゆきみのごしょ)があります。

雪見御所旧跡


「平家物語」などには、清盛が福原にいくつか邸宅を持っていたことが書かれていますが、そのひとつがこの「雪見御所」です。発掘調査からも、この近辺に貴族の邸宅があったことが分かっており、まさしく福原の中心であったことが推定されます。 

 ここまで歩くと結構疲れるので、温泉はいかがでしょうか。

湊川上温泉(みなとがわかみおんせん)


ただの温泉ではありません!!
雪見御所近くに湯屋があったと当時の貴族の日記に記されているので、その湯屋がこの温泉だった可能性が・・・
清盛も入った温泉かもしれません・・・ 

まだまだ福原京の史跡はいっぱいあるので、今後もご紹介できればと思います。

 ついでに歴史と関係ありませんが、お腹が空いて寄ったお店が美味しかったのでご紹介を。

うどんとそばの店「たつや」


でも名物はカレーどんぶり


ボリュームたっぷりのカツカレーどんぶりです。歩きつかれた体に染み渡ります。
うつくしい黄身が食欲をそそります!!
史跡めぐりコースにぜひ組入れてください!!

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湊川公園に昭和レトロをもとめて

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春暖の候、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。

突然ですが、みなさん、ここがどこかわかりますか?
公園…?


実は、ここ、このトンネルの上なんです。

その名を湊川公園と言います。

開始二か月目にして早くも山陽沿線から離れてしまいましたが、今日は、神戸名物・湊川公園に昭和レトロをもとめていきたいと思います。

まずは、湊川の歴史を…
六甲山系より流れ出た旧湊川は今の兵庫区の市街地を縦断するように流れて大阪湾に注いでいました。しかし、これがいわゆる天井川で、たびたび洪水を引き起こしていました。(ちなみに、この天井川が運んだ土砂によって形成されたのが兵庫神戸の間を隔てる岬で、湊川こそが「神戸の母」と言っても過言ではありません! ※個人的な感想です
かつての神戸の中心街は今の兵庫区の界隈で、そこがたびたび洪水に遭ってはたまらないということで、明治34(1901)年に会下山の下にトンネルが掘られ、湊川は市街地を避けて長田区から大阪湾へ注ぐ新湊川にルートを変更されました。
この時のルート変更により生まれた空き地に造られたのが、新開地であり、湊川公園なのです。
なお、湊川公園の開園が明治44(1911)年、公園の下をくぐる湊川トンネルが開通したのが大正10(1921)年と湊川公園のほうが先にできているので、トンネルの上に公園があるのではなく、公園の下にトンネルがあるという表現のほうが正解のようです。

神戸電鉄湊川駅


湊川公園の横というか下にあるのが、神戸電鉄湊川駅
昭和3年に神戸電鉄が開業した当初は地上にあったそうなのですが、神戸高速鉄道の開業で線路は地下に潜ってしまいました。しかし、この湊川駅の建物は開業当時のままとのこと。真ん中の半月状の突起部分には大時計があったそうです。当時はなかなかハイカラな駅舎だったのでしょう。

ここがホーム跡?


駅舎の中のだだっ広い空間、今は美容院があったり旅行代理店が入っていたりしますが、ここが地上時代の湊川駅のホーム跡でしょうか。うっすらアーチを描いた天井がモダンな感じです。

再び湊川公園から


再び湊川公園に上がってみて、街を見下ろしてみました。
神戸の中心は三宮に移り、今の湊川はどちらかといえば下町情緒のある街になっています。山手に向かえば平清盛ゆかりの史跡も点在し、春の休日の散策にはちょうどいいかもしれません。あかさたな

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妻鹿に黒田官兵衛を見た~後編~

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こんにちは、左馬頭です。

国府山城からスタートした妻鹿散策ですが、後編は古い町並みを歩きました。
前編はこちら

ここで妻鹿の歴史について少しだけ・・・

妻鹿の地名は、応神天皇の時代に2頭の鹿が現れ、雄鹿は男鹿島へ雌鹿が付近の山中に逃げたことに由来しているとか。その後、明治22年(1889年)市町村制施行により飾東郡(しきとうぐん)妻鹿村となり、昭和2年(1927年)に妻鹿町、そして飾磨町、飾磨市を経て昭和21年(1946年)姫路市の一部となりました。

旧妻鹿町役場

妻鹿駅の南側には昔からの町並みが広がります。見えてきたレトロな建物は旧妻鹿町の役場として使われたもので、今は妻鹿自治会館となっています。

少し歩くと、「固寧倉(こねいそう)」とよばれる建物が・・・

現代でいうところの防災倉庫で、飢饉や災害に備え、非常食を備蓄していたそうです。江戸時代後期、文化6年(1809年)につくられたもので、姫路藩内、288ヶ所に存在したそうですが、現在はここを含めて6ヶ所が残るのみです。固寧倉の建設を進めたのが、姫路藩家老であった河合寸翁(かわいすんのう、1767~1841年)で、新田開発や特産品であった木綿の専売制を導入するなど、火の車だった姫路藩の財政再建を成し遂げた人物です。余談になりますが、姫路のお菓子として有名な「玉椿」を命名したのも河合寸翁だそうです。

固寧倉の近くには、平成23年に建て直された屋台倉が・・・。灘のけんか祭りで有名な松原八幡神社の秋季例祭時に担がれる屋台が納めされているそうです。

さらに南側へ進み、浜国道(国道250号線旧道)を越えると妻鹿漁港魚市場跡の碑がありました。

妻鹿漁港魚市場跡の碑

妻鹿の南部は、今では埋め立てが進み工業地帯となっていますが、昔の海岸線はこの辺りだったのかもしれません。大正5年(1916年)に魚市場が創設され、鮮魚の集積地として賑わったそうです。山陽電車の妻鹿駅は大正12年(1923年)の開業ですが、当時は貨物専用ホームがあり、鮮魚の出荷が行われていたということです。魚市場は昭和32年(1957年)に開業した中央卸売市場へ、漁港は昭和57年(1982年)に埋め立てが完了し、東南の白浜地区に移っています。

最後に妻鹿の風景を一枚。
松原八幡神社御旅所への参道近くから撮影しました。写真右側の山が国府山城、左側が旧妻鹿町の中心部になります。今日歩いてきたところが一望できます。

国府山城から黒田職隆廟所を経て、昔の町並みを巡る旅、ちょっと懐かしさを感じる町“妻鹿”2時間あまりの小旅行でした。

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須磨離宮公園で桜を楽しむ

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こんにちは、玄蕃允(げんばのじょう)です。

山陽電車のキャンペーンで、須磨の桜は「敦盛桜」(あつもりざくら)ということで、須磨離宮公園にお花見に行ってきました。
山陽電車の月見山駅より、「バラの小径」なるなんとも小洒落た道をのんびり歩きます。

バラの 小径                  正門


 ちなみに現在、「さくらめぐりバス」がこの離宮公園や須磨浦公園、須磨寺公園、妙法寺川公園を無料で回っており、とってもお得みたいです。

この離宮公園ですが、西本願寺の別邸を宮内省が買収し、大正3年に完成させた武庫離宮がもとになっています。離宮御殿など建物の大半は戦災により焼失してしまいますが、復元され、天皇のご成婚記念として1967年に神戸市に下賜されました。
さらに併設されている植物園は、山崎豊子の『華麗なる一族』のモデルとなった岡崎財閥の敷地と建物を神戸市が買収したものだそうです。

なんともゴージャス!!


まるで宮殿にいるような感覚です。

そして肝心の桜はというと・・・

アスレチックと桜


須磨の海と桜


つつじと桜


この土曜日の写真です。場所によっては見ごろですが、全体的にもう少しかな・・・
今週がちょうどいいのではと、勝手に予想しています。
ちなみに椿や菜の花もきれいに咲いていました。

離宮公園のあるこの月見山ですが、平安時代の歌人・在原行平(ありはらのゆきひら)が須磨にわび住まいした時、秋月を眺めた山に由来しているそうです。

傘亭  月に映えます


以来、須磨は月見の名所として、江戸時代の観光ガイドにも「行平月見の松」が紹介され、松尾芭蕉などが訪れています。

行平月見の松跡


最後に月見山展望台とその景色


須磨の海が見渡せ、開放感でいっぱいです!!
 山陽電車からはお得な「須磨離宮公園散策きっぷ」が発売されているそうなので、ぜひお花見を楽しみに須磨離宮公園までお出かけ下さい。

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三ツ山大祭に行ってきました(後編)

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こんにちは、玄蕃允です。

いよいよ始まりました三つ山大祭!!


初日でしかも日曜日ということで、かなりの混雑
総社前の置き山はもちろんのこと、姫路の街の至るところで「人形屋台」が置いてあり、街をあげて盛り上がっています。
高校生や大学生もこの作り物に携わっているようです。

怪しさ満点 播州皿屋敷の「お菊井戸」


 ボタンを押すと目が光る、「安倍晴明・蘆屋道満 術比べ」


恐るべし、高校生ですね。
姫路駅から総社・姫路城にかけて10の「人形屋台」があるので、あとは巡って見てください。
ちなみにこの人形屋台、昭和28年までは各町で作って、競い合っていたそうです。

初日の総社での行事は、「千人稚児行列」です。

千人稚児行列


かわいらしいお稚児さんたちが総社に向けて歩きます。
お稚児さんは、神様が幼児や子供の姿をまとい表れるとされ、信仰の対象にもなっていました。

三つ山を見終わったら、すぐそばの姫路城へ。
現在は、姫路城の内堀で和船が運行されています。

復元された姫路藩の和船


さらに姫路城と桜


置き山を見た後は、姫路城でお花見するもよし、和船に揺られるもよし。
今、見所満載の姫路!!ぜひ行ってみてください!!

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三ツ山大祭に行ってきました(前編)

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春風駘蕩の候、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

山陽沿線歴史部の内膳正です。

そろそろ山陽沿線各所で桜が見ごろですが、一方で、姫路では昨日3月31日から播磨国総社三ツ山大祭がついに始まりました。私も昨日早速見に行ってきました。

白浜海岸
始まりは、早朝、山陽電車の白浜の宮駅にほど近い白浜海岸
天気が少々悪く、寒々とした播磨灘が広がっています。水平線にぽつんと上島が見えますが、家島諸島は霞んで見えませんでした。
朝八時、祭の開始にあたって海に入って海に入り身を清める「潮かきの儀」が始まります。

潮かきの儀

国家の安泰を祈願する祝詞をあげ、お祓いをした後、褌姿の神職たちは鉛色の播磨灘へ…。
三月末とはいえ、風は冷たく、なかなかハードですね。
儀式自体はすぐに終わったので、私は白浜の宮駅に戻り、山陽電車で姫路へ向かいました。

人の少ないうちに置山を見学しておこうと思ったのですが、既に姫路の街中は結構な人出でした。流石、街を挙げてのお祭りだけあります。

完成した置山

先日の記事二色山五色山が完成した状態をご紹介しましたが、今日は小袖山まで完成していて、三山がそろっていました。手前から、小袖山五色山二色山です。山の上にはそれぞれ山上殿が設けられていて、毎日、この置山の上で神事が執り行われます。高さ18メートルあるといい、結構な高さで迫力がありました。各山については以前の記事で紹介しています。

門上殿

総社神門
の上には総社の祭神の射楯大神兵主大神が本殿から移って置山の神々を迎える門上殿も設けられていました。置山の方ばかりが目立ってしまっているのですが、この門上殿も祭礼の中では山上殿と同じくらい重要な存在です。

しあわせさん守り

社務所にはこんなお守りが。
三ツ山大祭に会えばそれだけで八難九厄を免れると言われているので、それを記念したお守りとは相当な効果がありそうですね。記念にもなりますので、一つ買ってきました。

二十年に一度の三ツ山大祭、まだまだ見どころはあるのですが、玄蕃允にバトンタッチして後編へ続きます。

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