秋めいてきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回、 玄蕃允から案内があった通り、今日から9月23日までは垂水ウィークです。
ということで、垂水を巡ってきました。
垂水の町というと、他の地域の方からは地形が複雑でわかりにくい~とよく言われることがあります。しかし、古い地形図を眺めていると、東から塩屋谷川、福田川、天神川(商大筋の拡幅で暗渠化)、山田川の三本の川が作った谷に集落ができていき、戦後になって谷筋から尾根や台地の上へと住宅開発が広がっていった…という姿が何となく見えてきます。どうやら、垂水の町を知るには「川」がキーワードになりそうですね。というわけで、しばらく、川から垂水の歴史を辿っていきたいと思います。まずは、東を流れる福田川から巡っていきましょう。
奥畑停留所

垂水東口停留所から12・13系統のバスで到着したのが奥畑停留所。今では開発が進んだためによくわからなくなっていますが、その名の通り、福田川の谷はここが最奥部にあたります。山陽バスの各系統も地下鉄名谷駅ができるまではここが終点でした。
石水寺

停留所から細道を辿ると立派な門が見えてきました。
こちらは石水寺という臨済宗の寺院です。
平師盛公史跡

門前にはこんな石碑が。
こちらには平師盛の塚があるようです。平師盛と言われてもあまりイメージが湧かないのですが、平清盛の孫で、一ノ谷の合戦で海に逃れようとした際に船が転覆したために追っ手につかまり、討死したそうです。このほかに、境内には神戸市内で最古と言われる石板仏があったそうですが、震災で破損してしまったそうです。
石板仏

内部に入れなかったので師盛塚は見学できなかったのですが、石板仏は門の横にありました。こちらは震災後に復元されたものとのことです。
中山停留所

奥畑停留所に戻ってバスで福田川沿いを下り、転法輪寺のアナウンスを聞いて中山停留所で降りました。
立ちはだかる山道

停留所から道しるべに従って歩いていくのですが、現れたのは垂水のイメージに合わないハードな山道…。この道で合っているのか不安になってきますが、体育会系歴史部の名にかけて、先へ進むことにしました。
転法輪寺

山道を歩いていると、急に木々が開け、立派な伽藍が姿を現しました。転法輪寺です。
高速道路やマンションが隣接しているはずなのですが、境内は静まり返っていて、何とも厳かな雰囲気が漂っています。「垂水の高野山」とでもいえるでしょうか。
垂水の高野山

転法輪寺は真言宗(高野山金剛峰寺の宗派!)の寺院で、大同元(806)年創建という長い歴史を持っています。多くの文化財を収蔵し、一月に行われる追儺式は登録無形文化財になっているそうで、まさに垂水の名刹ですね。今でも十分に立派なのですが、かつては三重塔や僧坊もあったそうで、大規模な寺院だったと言われています。
僧坊跡か

そんなことを考えながら境内を歩いていると、阿弥陀堂の横にやけに広い空き地を見つけました。ここが僧坊の跡なのでしょうか。転法輪寺は過去に幾度となく火災に遭っているようで、失われた建物について、今ではよくわかりません。しかし、この広い敷地を見ると、相当大きな建物があったのだろうということがうかがえます。
転法輪寺の大きさに圧倒され、垂水の奥深さを垣間見たところで先へ進むことに。
次回に続きます。
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A:山陽垂水駅
B:奥畑停留所(垂水東口から山陽バス12・13系統名谷駅行きで18分)
C:石水寺
D:中山停留所(垂水東口から山陽バス12系統名谷駅行きで15分 ※13系統は経由しません)
E:転法輪寺
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