せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

垂水をゆく~福田川のみち(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

垂水ウィーク二回目の更新ですね。
歴史部は引き続き、川から垂水の歴史を辿ってみたいと思います。
というわけで、前回に引き続き、垂水区の東部を流れる福田川に沿って垂水の史跡を見ていきます。

福田川沿いの地域は、現在は北半分が垂水区名谷町となっています。
この名谷町はかつて明石郡名谷村と呼ばれていて、さらに明治以前にはに西名東名滑(なめら)中山奥畑の5カ村に分かれていました。前回は、このうちの奥畑、中山の上流部2カ村を巡ってきましたので、続いて、滑、西名、東名の各村を巡っていきましょう。

あみだ堂停留所

垂水東口行きのバスに乗っていると気になる停留所を発見。その名もあみだ堂。降りてみるとその名の通り、バス停の前にお堂がありました。

阿弥陀堂

このお堂の名前はやはり阿弥陀堂。 江戸時代に作られたものだそうで、五穀豊穣などを祈願して旧滑村に設けられたと言われていますが、詳しいことはわかっていないようです。お堂の前は大きな道路になり、お堂自体も自動車販売店などに囲まれてあまり目立たない存在になっていますが、今もこの地を見守っているようです。

古い地形図を見ていると、この辺りから福田川の谷は大阪湾に向かって開けてきていて、一面の田んぼが広がっていたようです。周辺の景色を眺めると、開発の進んだ今でも何となく当時の雰囲気が伝わってくるような気がしますね。

明王寺

阿弥陀堂から少し北上すると、名谷小学校の裏手に大きな寺院がありました。こちらは明王寺という真言宗の寺院です。

不動明王像

この寺院は不動明王を本尊としているため、境内にはこんな石像も。
また、このお寺でも転法輪寺と同じく追儺式が登録有形文化財に指定されています。

西名谷停留所

明王寺で旧滑村を後にし、バスでさらに福田川沿いを下っていきます。
到着したのは西名谷停留所。 このあたりはかつて、東西で西名村東名村に分かれていました。まずは西名村の方へ向かってみましょう。

五輪塔

西名谷停留所から住宅街の中に入ると姿を現したのが、こちらの五輪塔
鎌倉時代に作られたものだそうで、地元では「ドロクサハン」と呼ばれているそうです。道祖神の別の呼び方の「道録神(どうろくしん)」がなまったものでしょうか。
平家の武将の墓だという説がありますが、誰の墓なのかはわかっていないようです。

西名春日神社

五輪塔からさらに住宅や畑の中を歩いていくと、西名春日神社に着きました。小さな神社ですが、旧西名村の鎮守だそうで、今も大切に祭られています。

東名奥津神社

福田川を渡って対岸の旧東名村に入ると、東名奥津神社に着きました。
こちらは旧東名村の鎮守で、公民館が併設されています。

先ほどから登場している西名東名という地名は、それぞれ西名谷東名谷の略だと言われています。では、「名谷」の地名の由来はというと、一説では、野菜のミョウガ(茗荷)が取れる田園地帯であったことから「茗荷谷」と呼ばれたのが縮まって名谷になったと言われています。しかし、他にも説があるようで、詳しくはわかっていないそうです。余談ですが、東京の茗荷谷もミョウガの産地であったことから名付けられたとのことで…、地名って難しいようで意外と単純なものなのかもしれません。

福田川の流れに沿って史跡を巡っていくと、転法輪寺のような大きな寺院だけでなく、村々の寺社にも非常に古い歴史をもったものが数多く見られます。これらは、この地域が古くから開け、豊かな土地であったということを示しているのでしょうか。
この先、さらに福田川に沿って垂水の街中へと下っていくことにします。
ということで、次回に続きます。

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A:あみだ堂停留所(垂水東口から山陽バス11・12系統で12分)
B:阿弥陀堂
C:明王寺
D:西名谷停留所(垂水東口から山陽バス11・12・13系統で10分)
E:西名春日神社
F:東名奥津神社


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