こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪の上本町を歩いてみたいと思います。
大阪は淀川水系の河川の運ぶ土砂によって作られた平野に市街地が広がっています。そのため、坂はほとんどありませんが、上本町のある上町台地は例外的で、起伏のある景色が広がっています。千日前通に交わるこちらの道には真言坂という名前が付けられていました。
千日前通を下りおりた先は松屋町筋で、坂道の続く横道には石造りの鳥居が佇んでいました。こちらは生國魂神社の西之鳥居です。
鳥居の向こうには坂道が続いています。こちらは生玉北門坂で、緩やかにカーブした坂道は大阪らしくない光景です。
坂道を上った先は広々とした神社の境内でした。こちらは生國魂神社です。
生國魂神社は大阪最古の神社と言われ、非常に長い歴史があります。創建時期は詳しくわかっていませんが、はるか古代に遡るといわれています。伝説では神武天皇が日本を統一した際に摂津国難波碕に八十島神ともいわれる生島大神と足島大神を祀ったのが始まりと言われています。この「摂津国難波碕」は当時は海に囲まれた岬になっていた上町台地の先端部とされていて、現在は大阪城があります。中世には神社に隣接して大阪御坊こと石山本願寺が築かれますが、天正8(1580)年、織田信長と石山本願寺が戦った石山合戦の際に石山本願寺とともに生國魂神社の社殿も焼失。神社や石山本願寺の跡地には豊臣秀吉が大坂城を築くことになったので、現在の場所に遷されています。
歴史ある神社らしく、市街地の真ん中にありながら広々とした境内です。かつては隣接する生玉公園も境内で、さらに近世には豊臣家や徳川家の寄進を受けていて、広大な社領を持っていたとされています。現在の場所に移ってからも社殿は何度も焼失していて、現在の社殿は昭和20(1945)年の大阪大空襲で焼失したものを再建した鉄筋コンクリート造りのものです。
生國魂神社の境内から谷町筋へ向かって、馬場道と呼ばれる表参道が続いています。広い参道からも歴史ある神社の風格を感じるようですが、この参道も谷町筋が拡幅されるまではさらに長く続いていたそうです。ちなみに、生國魂神社の祭神の生島大神と足島大神の別名の八十島神とは日本列島の神を意味します。はるか古代より、上町台地の高台から大阪の街、そして、日本列島を見守ってきたのでしょう。
藤次寺から生國魂神社へと歩く道は都心とは思えないようなゆったりとした雰囲気でしたが、馬場道を歩いていくと賑やかな谷町筋に戻りました。急に大都会の真ん中に戻ったような気分で戸惑ってしまいましたが、大阪上本町駅へ戻ることにしました。