せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

年の瀬の舞子を歩いて(前編)

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年末も迫る頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

舞子公園駅

山陽電車で着いたのは舞子公園駅です。

明石海峡大橋

舞子公園で特に目立つのが明石海峡大橋ではないでしょうか。訪れたときは冬至も間近。早くも暮れかけた空の下に巨大な橋がそびえていました。

舞子の松

舞子公園への一角に松の木がモニュメント的に植えられていました。今では山手に広がる住宅地のイメージが強い舞子ですが、古くは「白砂青松」の景勝地として知られていました。特に近代には大阪や神戸に近い立地ながら風光明媚な景色を楽しめる場所として別荘が建ち並んでいました。開発によって松林も砂浜もほとんどが姿を消してしまいましたが、今も舞子公園の一部、山陽電車の浜側に松林の一部が残され、かつての風情を今に伝えています。

孫文記念館(移情閣)

海辺へと歩くと、夕日に染まりゆく空をバックに洋館が佇んでいました。こちらは「移情閣」こと孫文記念館です。

孫文記念館はもともと華僑の貿易商・呉錦堂が大正4(1915)年に建てた別荘の「松海別荘」の一部で、かつては現在の場所の山手の舞子の浜沿いにありました。別荘の主の呉が亡くなったのち、昭和3(1928)年には国道の拡幅工事に伴なって別荘の母屋は取り壊されてしまいましたが、明石海峡を行く船の目印になるとしてこの建物は残されることになりました。戦後には神戸にもゆかりのある孫文を記念する資料館として使われるようになり、明石海峡大橋の架橋に合わせてかつての場所から少し浜側に埋め立てられた現在の場所に移築されています。船の目印にもなったというだけあってとても目立つ建物で、かつて別荘地だった頃の舞子を象徴するだけでなく、今では明石海峡大橋とともに舞子のシンボルのような存在ですね。

年末の日が傾く中、もう少し舞子を歩いてみることにしました。

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