せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

南畝丘と皿屋敷の伝説・姫路を歩いて(後編)

投稿日:


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて姫路を歩いてみたいと思います。

モノレール跡

十二所神社を後にして、姫路の市街を歩くことにしました。飾磨駅から北上してきた山陽電車の高架橋が山陽姫路駅へ向かってカーブを描くあたりに、巨大な橋脚が佇んでいます。こちらは昭和41(1966)年に開業した姫路市営モノレールの橋脚の跡です。姫路駅と手柄山の間を結んでいましたが、利用が伸び悩み、わずか8年で休止となってそのまま廃止されてしまいました。

街中に残る橋脚

市街にはモノレールの橋脚をいくつも見ることができます。再開発などでモノレールの廃線跡の橋脚は徐々に撤去が進んでいますが、今も市街地では一部の橋脚が残されています。

大将軍駅跡

橋脚沿いに歩いていくと、弧を描くような形の空き地がありました。こちらは姫路市営モノレールの大将軍駅の跡です。大将軍駅はマンションの中をモノレールが通り、3階と4階に駅が設けられているといなんとも未来的な構造の駅でした。モノレールの廃止後も長らく残されていましたが、平成28(2016)年に解体されてしまいました。跡地は再開発される予定でしたが、地中に残された杭の撤去が困難なため、今も空き地で残されています。

大将軍神社

ところで、大将軍駅「大将軍」は城下町に由来するようにも思える不思議な名前ですね。駅名の由来となったのが船場川沿いにあるこちらの神社、大将軍神社です。

大将軍神社は今では新幹線や姫新線の高架橋に囲まれてひっそりとたたずむ神社ですが、前回訪ねた十二所神社の御旅所とされています。元々の十二所神社はこの地にあったとされていて、この辺りの地名は「南畝町」、十二本のヨモギが生えたという伝説のある南畝丘があった場所とも言われています。現在では市街化や鉄道の建設などで地形も変わってしまい、丘の痕跡すらわからなくなってしまいました。今では地名に名残を感じるのみです。

姫路城を眺めて

大将軍神社から姫新線の高架沿いに歩いて姫路駅前へ戻ってきました。大手前の向こうには姫路の象徴・姫路城が城壁を輝かせています。

姫路は間もなく花の季節。お城の桜とともに、伝説に彩られた市街を歩いてみてはいかがでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。