こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて舞子を歩いてみたいと思います。
舞子公園から海沿いを西へ歩くと、石畳の一角がありました。こちらは明石藩舞子台場跡です。「台場」と言えば東京のお台場がよく知られていますが、こちらは幕末の文久3(1863)年に明石藩が勝海舟の指導を受けて築いた台場です。対岸の淡路島の松帆にも阿波藩の松帆台場が設けられ、二つの台場が対となって明石海峡の防衛を担っていました。現在では小公園のように整備されているほか、発掘調査で出土した石垣を見学できるようになっています。
舞子台場跡から国道沿いに歩くと、大きな地蔵がありました。こちらは舞子延命地蔵で、木槌でお地蔵さんの台座をたたくとご利益があるという伝説があることから、「たたき地蔵」とも呼ばれています。
国道から分かれる細い道はかつての西国街道で、街道沿いには西舞子地区の街並みが続いています。地区の真ん中にあったのが舞子六神社です。
松の木が美しい境内は夕日に染まりつつありました。
舞子六神社の創建時期は分かっていませんが、元禄2(1689)年に遡ることができるとも言われています。現在は舞子公園駅の周辺が舞子の中心となっていますが、山田村と呼ばれたかつては山陽電車の西舞子駅周辺のこの辺りが地域の中心でした。江戸時代の中頃に山田村の鎮守として神社を建立したのが舞子六神社の始まりではないかと言われています。
戎社・大黒社
境内の隅にあった小さな祠は戎社と大黒社です。祠よりも目立つのが巨大な大黒神と恵比寿神の石像で、日本一の石像と言われています。もとは舞子の東の歌敷山にあり、現在は愛徳学園の敷地となっている辺りにあった邸宅の石像をこの地に移したものだそうです。年明けには初詣だけでなく境内の隅にあった小さな祠は戎社と大黒社です。
西舞子から舞子公園へと戻りました。
冬至に近い冬の日はちょうど海に沈もうとしていて、公園にある「夢レンズ」と夕日がちょうど重なりました。
明石海峡の美しい夕日を眺めて、舞子を後にすることにしました。
2023年の更新は今回までです。
今年も「せっつ・はりま歴史さんぽ」をご覧いただきありがとうございました。今年2023年はブログを開始して10年という節目の年でした。ここまで続けられたのも皆様のおかげで、心より感謝申し上げますとともに、今後もよろしくお願いいたします。
どうぞよいお年をお迎えください。