せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

南畝丘と皿屋敷の伝説・姫路を歩いて(前編)

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そろそろ桜の季節と思ったら急に冷え込みが戻ってきた頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽姫路駅へ

山陽電車の直通特急に乗って着いたのは山陽姫路駅です。

十二所前線

姫路駅前から山陽姫路駅や山陽百貨店の少し北側の道を歩いてみることにしました。こちらの道路は十二所前線で、さらに北側を通る国道2号線が姫路市街で東行き一方通行に規制されていて、西行き一方通行のこちらは国道の西行き車線としての機能を担っているため、交通量が多く賑やかな道です。

十二所神社

十二所前線の「十二所」の由来となるのがこの道路沿いに鎮座する十二所神社です。

十二所神社の歴史は非常に古く、はるか平安時代に遡るといわれています。延長6(928)年、村人が疫病で苦しんでいた時にこの地にあった南畝丘という丘に一夜にして十二本のヨモギが生え、そのヨモギで体をさすれば病が癒えるとの神託がありました。のちに村人たちがヨモギの生えた南畝丘に社を建立したのがこの神社の始まりとされています。江戸時代に南畝丘から今の場所へ神社は遷されますが、今も医薬の神とされる少彦名神が祀られています。また、社殿に掲げられている幕に描かれた紋章も創建の伝説に因んだヨモギの葉ですね。

お菊神社

十二所神社の境内にはもう一つ社殿が佇んでいます。こちらはお菊神社です。「お菊」とは播州皿屋敷の伝説の女性です。室町時代後期の永正年間にここ姫路城下であった横領未遂事件にちなみ、井戸に投げ込まれた女性を祀る神社として創建されたとされています。

烈女碑

境内にはお菊にちなんだ「烈女」と刻まれた石碑がありました。

お菊神社の創建に関する記録は太平洋戦争中の姫路空襲で社殿とともに焼けてしまったそうで、詳しいことは分かっていません。また、江戸の番町皿屋敷のように同様の話が各地に伝わっているため、ここ姫路の伝説もあくまで伝説なのかもしれませんが、のちの時代にお菊は罪を着せられ、井戸に投げ込まれて幽霊になっても主君に報いようとしたとして、深く信仰されるようになったといわれています。

間もなく桜の季節だというのに姫路は雪がちらつきはじめました。
静かに春を待つ姫路の街をもう少し歩いてみたいと思います。

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