せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

西郷から敏馬の浦を訪ねて(前編)

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梅の咲く頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

西郷町道路元標

前回まで歩いたのは灘区の大石です。阪神電車の大石駅の近くには「西郷町道路元標」と刻まれた石碑がありました。大石駅の周辺は灘五郷の「西郷」に当たることは前回まで歩いてきたとおりです。この西郷はかつて「上灘郷」「上郷」などと呼ばれていました。「上」があるのならもちろん「下」もあり、西側は「下灘郷」と呼ばれていました。今回は西郷から西へと歩いてみたいと思います。

船寺八幡宮

大石駅前から西に向かって小さな商店街がありました。商店街の先にあったのが船寺八幡宮です。

船寺八幡宮の境内

大石駅から続く商店街は門前町のような街だったのでしょうか。その奥に佇む神社は広々とした境内を持つ神社です。はるか古代、神功皇后が三韓征伐の帰途にこの地で風雨を避けたという伝説があり、平安時代の永保2(1082)年に京都・石清水八幡宮から分霊を迎えて創建されたそうです。珍しい東向きの社殿は朝日の昇る方向を向いているとのこと。

灘五郷の西は西郷ですが、近世には現在の中央区から東灘区にかけての一帯が「灘目」と呼ばれていて、「上灘郷」「下灘郷」に分かれていました。上灘郷はさらに西郷、御影郷、魚崎郷に分かれ、西宮郷と今津郷と合わせて現在の灘五郷(近代灘五郷)を形成します。一方、上灘郷の中でも西側の岩屋や脇浜といった地域や、神戸、走水といった下灘郷では、酒造は近代までに衰退してしまいました。

西求女塚古墳

住宅地の中に公園がありました。公園の名前は「求女塚西公園」で、公園の中のこんもりとした小さな丘は西求女塚古墳という前方後方墳です。築かれたのは古墳時代前期の3世紀後半とされていて、移り変わっていく街の様子を眺めてきたのでしょうか。

次回も灘を西へ向かって歩いてみたいと思います。