せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

新緑の明石城を訪ねて(前編)

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新緑の眩しいころ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

明石公園

今回のスタートは山陽電車の山陽明石駅
山陽電車を降りて駅の北口へ出ると、目の前に広がるのは兵庫県立明石公園です。
曇り空が少し残念ですが、青々とした新緑がまぶしいくらいです。

明石公園の園内

もはや説明は不要かもしれませんが、明石公園は江戸時代に明石や東播地域を広く治めた明石藩の城である明石城の跡に整備された公園です。明治16(1883)年に公園が開設された当初は、明石郡内の有志が民営の公園として開きましたが、明治31(1898)年に当時は皇太子だった大正天皇の離宮の候補となったために御料地に編入されていったん廃園となりました。大正天皇の即位でこの「明石離宮」の計画は廃止され、大正7(1918)年に改めて兵庫県立の公園として開かれたのが現在の公園です。明石駅のすぐ北側、市街地に隣接してこうした緑地が広がっているのは貴重ですね。

樹木屋敷(復元)

そびえ建つような明石城の石垣の下に日本庭園が広がっています。こちらは「樹木屋敷」と呼ばれている城の庭園です。本来の樹木屋敷はここから北西の城内にありましたが、戦後の昭和23(1948)年に陸上競技場が建設され、痕跡は残っていません。こちらの樹木屋敷は平成16(2004)年に再現されたものです。

「ひぐらしの池」からの眺め

庭園の中の「ひぐらしの池」越しに明石城を眺めてみました。池の水面には巽櫓が写っています。

この樹木屋敷の設営には剣豪・宮本武蔵が関わったとされています。初代明石城主の小笠原忠政に招かれた武蔵は城下の町割りの設計に携わったなかで作庭の才能を発揮し、この樹木屋敷や城下の本松寺雲晴寺の庭園を造ったとされています。初夏の花々に彩られた庭園を眺めていると、物語に描かれた剣豪の姿とはまた違った姿の武蔵に出会えたような気がしますね。

明石城の櫓

石垣の下から明石城の櫓を眺めてみました。
次回は明石城址の中を歩いてみたいと思います。

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