せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

「ガリバートンネル」の見守った街並み・神戸三宮を歩いて(前編)

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真夏の日差しの降り注ぐ頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

阪神神戸三宮駅

直通特急で到着したのは阪神神戸三宮駅です。
阪神電車や山陽電車だけでなく、奈良へ向かう近鉄の車両も発車を待っていました。

阪神神戸三宮駅の天井

阪神神戸三宮駅は2013年に完成した美装化工事や近年のホームドアの設置で以前と比べるとかなり雰囲気が変わってしまいましたが、天井を見上げると戦前の昭和8年に現在の地下線が開業し、三宮駅が設けられた際のアーチが残されています。

今では交通の結節点となっている三宮ですが、この場所へ駅が設けられたのは明治38(1905)年で、この阪神電車が最初でした。当時の阪神電車は旧西国街道の路上を路面電車のような姿で走り、新生田川の右岸の旭通付近から東海道本線に沿って三宮へ乗り入れていました。ただし、当時、東海道本線の三ノ宮駅は当時の神戸の中心市街や「三宮」の地名の由来になった三宮神社にも近い現在の元町駅付近にあり、現在の位置に駅はありませんでした。

三ノ宮駅前

阪神神戸三宮駅から地上へ上がってみました。かつてホテルなどが入っていた三宮ターミナルビルは更地となり、ポートライナーの駅がむき出しになっていました。「神戸駅」「神戸雲井通駅」と呼ばれていた地上にあった当時の阪神電車の三宮駅はこのあたりにあったそうですが、都市の中心部で昭和初期に消えた駅の痕跡が残っていることはありませんでした。

三宮を眺めて

近くのフラワーロードに架かる歩道橋から三宮の町並みを眺めてみました。
フラワーロードはかつての生田川の流路で、明治4(1871)年に東側の新生田川へと流路が変更されました。居留地にも近いこの辺りは川の跡を軸に街が作られていくことになります。生田川の流路変更の少し後の明治34(1901)年には西の湊川新湊川へと付け替えられて、川跡には新開地の町が生まれて戦前の神戸の繁華街となったことを思うと、神戸の繁華街は川に縁があるようにも思えますね。

現在も少しずつ変わりゆく神戸の中心・三宮をもう少し歩いてみたいと思います。

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