せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

お堀の始まり・姫路城の東を歩いて(前編)

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梅雨明け間近の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

姫路城

山陽姫路駅から大手前通りを歩いて着いたのは姫路城です。雲の合間からは夏の日差しが降り注いでいました。

姫路城を見上げる

三ノ丸広場から姫路城を見上げてみました。

姫路城が現在のような姿になったのは戦国時代の後半からです。築城された初めの頃は播磨平野に佇む姫山に築かれた砦のような城だったそうですが、黒田官兵衛羽柴秀吉と言った武将たちが城代をつとめ、城郭は拡張されていきました。特に、江戸時代初めの池田輝政の改築によってほぼ現在の姿となったようです。今では整備された城郭となり、ここが山であることは分かりにくくなっていますが、時折、こうした高低差のある山らしい景色を見ることができます。

内船場蔵南石垣と内堀

大天守の東側へ歩くと堀の傍に差し掛かりました。この堀は内堀から分岐して大天守へ伸びた行き止まりの堀です。深く切り込んだ堀はまるで渓谷のようですね。池田輝政によって現在の姿に近い城郭となった姫路城ですが、近世から近代にかけても幾度となく修復されています。この堀に面した内船場蔵南石垣は池田輝政の頃に積まれたものだそうで、現在の姫路城の初期の頃の面影を今に伝えています。

喜斎門跡

堀の向こうは喜斎門跡です。この門は姫路城の搦手口(裏門・勝手口)でした。わざわざ内堀から分岐していた先ほどの堀は城の正面の三ノ丸とこの搦手を分断する役割を担っていたのでしょうか。

これまで何度も訪ねてきた姫路城ですが、新しい視点で眺めると違った姿が見えてくるようです。次回ももう少し姫路城を歩いてみたいと思います。

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