せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・長壁神社を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、「姫路ゆかたまつり」の開催間近の姫路の街を歩いてみました。

西二階町

立町長壁神社からお城の方へ歩くと、アーケードのある商店街と交わりました。こちらは西二階町商店街で、道路は姫路城下を貫く旧西国街道です。江戸時代、城下の建物は平屋に限られていましたが、この辺りは旧西国街道の本陣が設けられ、立町の長壁神社と播磨国総社を結ぶ道でもあったことから城下の中心的な街であったため、二階建ての建物を建てることが許されていました。そのことが地名の由来になったとされています。

西二階町の入口

西二階町商店街の入口も「姫路ゆかたまつり」の開催に向けて装飾が施されていました。この通りは東二階町、西二階町の他に「中二階町」という一角もありましたが、こちらは戦後に大手前通りが造られた際に道路になりました。

播磨国総社

東二階町を歩き、西国街道をはなれて北へ向かうと播磨国総社こと射楯兵主神社に着きました。

長壁神社

総社の境内にも長壁神社があります。

前回も見てきたように、長壁神社は姫路城内と城下の間を何度も遷っています。秀吉の姫路城の改築の際に最初に遷されたのがここ総社でした。池田輝政によって総社の長壁神社は城内に戻されますが、寛永16(1639)年に松平忠明が城主となると再び総社へ遷され、さらに慶安2(1649)年に榊原忠次が城主になると城内の社が再建され、城内と総社の二つの社が併存することとなりました。さらに、その後、「姫路ゆかたまつり」の由来となったとされる遷座祭で立町へ長壁神社が建立されることになりました。一方、こちらの総社の長壁神社は明治時代に姫路城内の社を遷したのが国道の建設工事で昭和2(1927)年にこの場所へ遷されたものです。

姫路城を眺めて

二つの長壁神社を訪ねて歩いてきましたが、姫路城の大天守の最上階にはもう一つ長壁神社があります。さらに、江戸時代中期に当時の城主の松平朝矩が前橋藩へ転封となった際、前橋にも長壁神社の分社が建立されました。この神社は今もあり、日本に4つもの長壁神社があることとなります。姫山に鎮座していた神社が歴史の流れの中で4つに分かれていったのはなんだか不思議な気がしますが、この神社が城主にも城下の人々にも大切に信仰されてきたことを表しているのでしょうか。

「姫路ゆかたまつり」に因んで姫路市内に複数ある長壁神社を巡ってみました。今日6月22日は立町長壁神社の例祭日で、間もなく姫路へ夏の訪れを告げる「姫路ゆかたまつり」が始まります。長壁神社の歴史に思いをはせながら、今年2023年に4年ぶりに開催される夏祭りを訪ねてみてはいかがでしょうか。

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