せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

初夏の錦ヶ浦を訪ねて(前編)

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梅雨の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽魚住駅

山陽電車で着いたのは山陽魚住駅です。

住吉神社

駅から浜国道を渡り、住宅街を歩いた先にあるのが住吉神社です。

住吉神社の境内

訪ねたのが休日ということもあって、住吉神社の境内は多くの人で賑わっていました。

播磨灘沿岸に住吉という名の神社は数多くありますが、こちらの住吉神社は特に歴史があり、起源ははるか古代に遡るとされています。神功皇后の三韓征伐の際、播磨灘で暴風雨に遭ったために神功皇后の船はここ魚住へ避難しました。その際に住吉大神を祀ったところ、暴風雨がおさまり、船は進軍を続けることができました。その後、神功皇后は摂津へ住吉大神を祀る神社を築きますが、雄略天皇8(464)年に住吉大神の神託で播磨の地に勧請されたのがこの住吉神社です。

藤の花

境内は藤の名所として知られています。訪れた時は藤の花は終わりかけで、現在は紫陽花の花が見ごろを迎えている頃でしょうか。雄略天皇8(464)年の住吉大神の勧請の際、大藤を切って海に浮かべて神意を伺ったところ「この藤の枝の流れ着く処に、我を鎮祀れ」とお告げがあったとされています。その大藤が流れ着いたのが魚次浜(魚住浜)だったことがこの場所へ社を築いた由来だそうです。藤は住吉神社と縁の深い花なのでしょう。境内の藤は例年4月中旬~5月初めに見ごろを迎えるそうです。

能舞台

境内で目を引くのが松の絵が鮮やかなこちらの能舞台です。江戸時代の寛永4(1627)年に初代明石藩主の小笠原忠政が建立したもので、明石市の文化財に指定されています。訪れた時はちょうど琴の演奏会が開かれていました。こちらの能舞台では毎年5月に能楽の奉納がおこなわれていますが、使われている機会はそれほど多くありません。こうして舞台が使われているのを見られたのは貴重な光景でした。

新緑の眩しい住吉神社から、もう少し初夏の魚住を歩いてみたいと思います。