せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

手苅丘の麓・手柄を歩いて(前編)

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初夏の気配を感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

手柄駅

山陽電車で着いたのは手柄駅です。抜けるような青空が広がっていました。

旧姫路市中央卸売市場

駅の西側に広がるのは旧姫路市中央卸売市場です。3月に妻鹿駅の浜側の妻鹿漁港近くに新市場が開場したばかりで、こちらの旧市場はひっそりと佇んでいました。

船場川

手柄駅からしばらく歩いていると船場川に差し掛かりました。姫路城下を流れてここ手柄を通って飾磨へと流れる川です。眩しい日差しに水面が輝いているようでした。

船場川と桜

船場川沿いには桜が残っていて、川の上を白鷺が飛んでいきました。

姫路市街の南側、手柄山の麓に広がる手柄地区は古い歴史を持っているとされています。奈良時代の「播磨国風土記」には手柄山が「手苅丘」と記され、麓のこの辺りは「手苅村」と呼ばれていたそうです。不思議な地名の由来には、近隣の国々の神がこの辺りで手で草を刈り食物を置く敷物としたという伝説や、この辺りの住民は鎌を知らず手で草を刈っていたという伝説があります。「手苅」が今の「手柄」となった時期は詳しくわかっていませんが、一説では永享12(1440)年の結城合戦の際に英賀三木氏の配下の武将がこの辺りで手柄を挙げたことに因んでいるともされています。その後、近世にかけて「手苅」という地名は消えてしまいますが、明治時代に手柄山に因んで手柄村が設置され、この辺りが再び手柄と呼ばれるようになりました。

鯉の釜

船場川が手柄山にぶつかり大きく曲がっているこの辺りは淵になっていて、「鯉の釜」と呼ばれています。「姫が淵」「蛍沢」という別名もあるそうで、古くは蛍の名所として知られていたそうです。

姫路市街に近接しながら、豊かな自然を感じられる手柄をもう少し歩いてみたいと思います。