せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

花盛りの姫路城を訪ねて

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今年は開花が早かった桜も散り始めた頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

桜の時期は過ぎつつある頃ですが、花の盛りに姫路城を訪ねてきましたのでご紹介します。

姫路城を眺めて

定番の眺めになりますが、山陽姫路駅前の大手前通り越しに姫路城を眺めてみました。明るい春の日差しに、白いお城が一層輝いているように見えますね。

お堀越しの姫路城

大手前を歩き、姫路城の前へ着きました。ちょうどお堀を観光用の和船が進んでいきます。まるで一幅の絵のような光景でした。大手門へと続く桜門橋には多くの観光客が行きかっています。

何度も訪ねていますが、姫路城は播磨平野にそびえる姫山に築かれた平山城です。もともとは中世に築かれた城で、戦国時代から安土桃山時代にかけて、黒田官兵衛や羽柴秀吉が城代をつとめた頃に拡張されていきました。現在のような城郭が整備されたのは江戸時代の初め、池田輝政の手によります。

三ノ丸広場の桜

姫路城の大手門をくぐり、三ノ丸広場に入ると、辺りは桜の海のようでした。三ノ丸広場はお花見の方でいっぱいでした。

城郭として整備された姫路城ですが、築城当時はこのように桜は植えられていなかったとされています。城主や家族の住んでいた居館の庭園の植栽に桜もあったとされていますが、現在のような桜並木ではなかったそうです。

基準木

三ノ丸広場の西側には基準木という看板が立っていました。こちらは姫路城の桜の開花の基準木で、この木の開花状況が姫路城での桜の開花状況として公開されています。現在の標準木は二代目で先代は樹齢90年とも言われる老木でした。

近世を通じて姫路を中心とした播磨を治める拠点だった姫路城ですが、明治に入ると城一帯に陸軍の施設が設けられました。姫路城自体は民間に売却されてしまいましたが、のちに国有に戻され、明治の大修理として大規模な修繕工事が施されました。この修理の完了後に城跡の陸軍の使用していない場所は姫山公園として整備されていきました。姫路城で桜が植えられるようになった時期ははっきりしていませんが、樹齢90年と言われる先代の標準木が植えられたのはちょうどこのころ。姫山公園が都市公園として整備される中で城内に桜の木が植えられていったのでしょうか。

姫路城大天守と桜

桜越しに大天守を眺めてみました。
姫路城が今のような桜の名所となったのは城郭として役目を終えて、都市公園として整備されていったからと言えるのでしょうか。城にとってそれが良いことなのかは私にはわかりませんが、こうして白い大天守と桜の花を楽しめるのは時代が移り変わっていったおかげと言えるのかもしれません。

今年の桜の季節は過ぎてしまいましたが、来年は是非花盛りの姫路城を訪ねてみてください。