せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

淡路を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、大阪の淡路地区を歩いてみたいと思います。

崇禅寺

淡路天満宮跡地の愛宕神社から歩いて程なく、崇禅寺という寺院がありました。
こちらは阪急電鉄の駅名にもなっているお寺です。

豊崎県・摂津県!?

寺の門の脇には、古めかしい石碑がありました。
石碑には「豊崎県 摂津県 県庁所在地跡」とあります。この石碑の所在地は大阪市東淀川区ですので、豊崎県・摂津県とは…?

明治初めの地方制度の変更により、この地には大阪府が設置されました。しかし、当時の都道府県域は各地でめまぐるしく変えられていて、ここ兵庫県から大阪府にかけての地域でも例外ではありません。明治2(1869)年に大阪府から豊島郡や川辺郡など広大な範囲が「摂津県」として分割、同じ年に「豊崎県」に改称されたのちに、年内に川辺郡地域を除いて兵庫県に編入されました。県庁の仮庁舎がここ崇禅寺に置かれたようです。摂津県・豊崎県とも数カ月しか存在しなかった幻の県と言えましょう。このような県は日本各地で生まれては消えていきました。

崇禅寺境内へ

崇禅寺の境内へは県庁所在地の石碑の東側から入ります。意外なことに本堂は鉄筋コンクリート造りの現代的な建物でした。これは大阪大空襲で焼失したものが平成に入って再建されたものとのこと。寺の歴史は非常に古く、奈良時代の創建と言われています。また、明智光秀の娘の細川ガラシャの菩提寺としても知られています。

中島惣社

崇禅寺の裏手には、大きめの神社がありました。
こちらは中島惣社。 惣社の名の通り、周辺にあった神社を合祀して生まれた神社で、前回訪れた淡路天満宮もこの神社に合祀されています。

中島惣社の周辺

中島惣社の周辺は下町風の住宅街が広がっています。実はこの辺りは新大阪駅に近く、伊丹空港を発着している航空機の飛行ルートにもなっているため、新幹線や飛行機の姿をよく見かけます。しかし、街はそういったものとは別世界のように穏やかに佇んでいました。

淡路島と淡路、関係がないようで関係がある二つの「淡路」、それぞれに思いをはせながら歩いてみてはいかがでしょうか。

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