せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

淡路を歩いて(前編)

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春めいてきた頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

淡路駅

今日から淡路島では「淡路花博2015 花みどりフェア」が開催されています。
だから…というわけではないのですが、今回訪れたのは淡路
といっても、淡路島ではなく、大阪の淡路です。

淡路駅界隈

降り立った阪急電車の淡路駅周辺は連続立体交差化事業の工事中。駅の周辺には建設中の高架橋がそびえています。
踏切を阪急電車が行き交うのも間もなく過去の景色となりそうですね。
今回はこの淡路駅から西へ歩いてみることにしました。

大阪市営バスが

淡路駅の西側を歩いていると横道から突然、大阪市営バスが飛び出してきました。
バスが走っているのは、とてもバス道とは言い難い細い路地。何だか私の知っている世界とは違う世界が広がっているような気さえしてしまいます。

永春寺

市営バスが走ってきた路地を歩いて行くと現れたのは永春寺なる、きれいな名前の寺院です。ちょうど、春のお彼岸ということもあり、多くの墓参客で賑わっていました。

この記事の冒頭に淡路島に言及しましたが、ここ淡路は、実は淡路島と無縁ではありません。
淡路の地名の由来は平安時代にまでさかのぼります。延喜元(901)年、都で左遷され太宰府に向かっていた菅原道真一行は淀川の中流にあった淡路にたどり着きました。当時、中洲になっていたこの地を見た道真がここは淡路島かと勘違いしたことから「淡路」と呼ばれるようになったとのことです。道真が上陸した場所には後に淡路天満宮が建立されました。後に天満宮は周辺の神社と合祀され移転してしまいましたが、もともとはこの永春寺のある場所にあったとされています。

愛宕神社

永春寺の裏手に小さな祠がありました。
こちらは愛宕神社と呼ばれる神社です。小さい境内には、淡路天満宮の跡地を示す石碑が立っていました。もともとは永春寺の境内にあったそうですが、昭和に入って現在の場所へ移されたそうです。

淡路島から遠く離れた大阪にある淡路
もう少し、歩いてみたいと思います。

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