秋から冬へと季節が移ろいゆくこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
山陽沿線歴史部の内膳正です。
少々間が空いてしまいましたが、前回、明石を訪ねた後は駅前から山陽バスに乗りました。
バスに乗って程なく、「太寺(たいでら)」というちょっと気になる名前の停留所に到着。
太寺停留所

そういう名前の寺院があるのかというところですが、地図を見ても見当たりません。
高家寺

周辺を歩いていて見つけたのがこちらの高家寺(こうけじ)という天台宗の寺院です。
芝生育成中とのことで正面から入ることができないようなので、勝手口より境内へ。
保育園が隣接しているためにお寺らしからぬ雰囲気ですが、本堂はなかなか立派です。
太寺とは…?

この高家寺、実は太寺の跡地に建てられた寺院なのです。
まず、太寺の方から説明すると…
太寺は今から1300年ほど前、奈良時代の霊亀年間(715~717年)に作られた寺院であると言われています。かなり大きな寺院であったとされているようですが、早くから廃寺となり、「太寺」という地名だけが残りました。
一方の高家寺はと言うと、元和年間(1615~1624年)に明石城主の小笠原忠政が太寺の跡地に設けた寺院です。現在の本堂は創建当時のものとされていますが、阪神淡路大震災で破損し、大がかりな修復をなされたとのこと。その際、境内から瓦や窯の跡が出土したそうです。
太寺廃寺塔跡

境内には太寺廃寺の塔跡があるのですが、育成中の芝生に阻まれて離れ小島状態…。ちょっと興味があるのですが、 近づくのは無理そうなのであきらめることにしました。
菅公旅次遺跡

高家寺の近くにはこんな石碑が。
こちらは菅公旅次遺跡とのこと。
菅原道真が京都から九州・大宰府へ流される途中、この地で逗留したことを記念して建てられた石碑だそうです。
京都から淀川を経て海路で大宰府を目指していた道真一行ですが、和田岬で時化に遭ったために須磨から陸路を辿りました。この旅次遺跡だけでなく、綱敷天満宮や板宿八幡神社など、須磨から明石にかけての地域に残された道真にまつわる史跡を辿っていくと、古代の道が見えてくるような気がしますね。ゆっくりと巡ってみたいところですが、釣瓶落としの秋の日が暮れてきてしまったので、明石を後にすることとしました。
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A:山陽明石駅
B:太寺停留所(明石駅より山陽バス60・61系統)
C:高家寺
D:菅公旅次遺跡
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