せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

赤松家の居城 ~置塩城をたずねて(その2)

投稿日:



こんにちは、玄蕃允です。

前回の姫路夢前町にある置塩城の続きです。

山陽姫路駅より神姫バスの「塩田・前之庄」行きに乗車し、30~40分。「宮置」という停留所が最寄となります。

置塩城前を流れる夢前川


水がきれいで、とても気持ちいいです。桜の時期にまた来たいですね。

置塩城のふもとには、櫃蔵神社(ひつくらじんじゃ)という神社が建っています。

櫃蔵神社随神門


櫃蔵神社は暦応3年(1340年)の創建とされています。置塩城の5代目城主である赤松則房が羽柴秀吉に降伏して開城した際に、城の守護神を当櫃蔵神社と糸田の柏森神社、恒屋の櫃蔵神社に分祀されたそうです。

櫃蔵神社本殿


ちなみに現在の本殿は昭和3年に旧様式通りに改築されたということですが、非常に趣があります。

大イチョウ


境内には大銀杏の木があります。姫路市の天然記念物に指定され、高さ30メートル、幹回り6.6メートル。非常に雄大です。

固寧倉発祥の地碑


また、「宮置」の停留所から置塩城までの道中に「固寧倉(こねいそう)発祥の地」という碑がありました。

固寧倉とは姫路藩が江戸時代後期に整備した非常用の備蓄倉庫になります。文化6年(1809年)に大庄屋らが河合寸翁に創設を建議し取り上げられ、1~2村に一か所設置されていきます。1848年には288か所に設置されますが、明治以降時代とともに廃れていきます。大飢饉時には非常に効果的で、姫路藩では餓死者が少なかったとされています。

かつて播磨を治めた赤松家が本拠とした置塩。ぜひ訪ねてみてください。

 

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A:置塩城・櫃蔵神社
B:山陽姫路駅

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赤松家の居城 ~置塩城をたずねて

投稿日:



こんにちは、玄蕃允です。

黒田官兵衛ゆかりの地、置塩(おきしお)城へ行ってきました。

姫路中心部より北へ約10km。夢前町にある播磨最大の山城跡になります。
山陽姫路駅より神姫バスの「塩田・前之庄」行きに乗車すること30~40分。「宮置」という停留所で降ります。

停留所から案内板に従って15分ほど歩くと、置塩城のふもとである登山口に到着。登山口前には駐車場もあるようです。



置塩城(置塩山)の全貌


標高は370m。これはもうがっつり登山です。心してかからないといけません。
道中は親切にも道標があります。



ちなみに城跡にたどり着くには18丁も歩かなければなりません。30分ほどでなんとか城跡にたどり着きます。さらに本丸跡までは15分かかります。

置塩城ですが、文明元年(1469年)に赤松政則が築城したとされます。以後約100年にわたり播磨の守護職である赤松家の居城になります。ただし最近はそうではなく、16世紀の初めごろに置塩が守護所となり、実際に山城として整備されるのは16世紀の中ごろ、赤松政村以降とも考えられています。

赤松家は嘉吉の乱(1441年)を起こし、時の将軍・足利義教を暗殺したため断絶されますが、赤松政則が応仁の乱に乗じ、播磨・美作・備前の三国の守護に返り咲きます。
赤松家はこの置塩城を本拠にしますが、内紛が相次ぎ、次第に衰えていきます。

置塩城案内図


黒田官兵衛に関連するところで言えば、青山・土器山の戦いで官兵衛は姫路にて龍野の赤松政秀を一手に引き受けますが、主君の小寺氏は敵の別所氏などに備えてこの置塩城に籠ったとされます。

本丸跡


三の丸跡


南曲輪群跡


播磨を平定した秀吉は中国攻めの拠点として姫路城を改築しますが、天正8年に置塩城は廃城となり、解体された資材が使われたそうです。

本丸からの眺め


姫路の街並み、そして美しい播磨灘が一望できます。
ぜひすばらしい景色も見ることができる置塩城に足を運んでみてください!!

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A:置塩城
B:山陽姫路駅

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黒田官兵衛周遊のすすめ(肆・結) 御着再訪

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
引き続き、「ひめじの官兵衛1dayパス」こちら)を使って旅をしていきたいと思います。
(前回までの記事はこちら(壱)(弐) (参)

御着へ

姫路城から姫路駅に戻り、JRで御着へ。
JRは「ひめじの官兵衛1dayパス」の対象外ですが、姫路と御着はわずか一駅。うまく組み合わせると、官兵衛ゆかりの史跡をお得に効率的に周遊することができます。

御着城跡公園

御着駅から徒歩10分ほどで御着城跡公園に到着しました。
御着城については以前の記事(こちら)で玄蕃允が紹介済みですが、大河ドラマ効果なのか、訪問者がかなり多い様子です。

旧山陽道

御着城跡公園
からは南西へ歩いて行くことに。
古い街並みの中を真っすぐに道が伸びていくので、これは怪しいと思ったら、こんな案内がありました。思った通り、この道は旧山陽道のようです。 流石に街道が現役だった頃と風景は様変わりしていると思うのですが、古い民家と緩やかな曲線を描く道とがいかにも街道といった風情を醸し出しています。

姫路市埋蔵文化財センター

旧山陽道
を外れて南に向かうと姫路市埋蔵文化財センターの巨大な建物が姿を現わしました。駅からは遠く、バスの本数も少ないという、なかなか不便なところにありますが、センターの周辺には見野古墳群を始めとする古代の史跡が多数あり、ある意味で好立地といえましょう。

「御着城跡 黒田官兵衛起つ」

姫路市埋蔵文化財センターでは4月13日まで冬季企画展「御着城跡 黒田官兵衛起つ」を開催中です。この企画展では、御着城跡の発掘調査で出土したものが展示されています。
個人的に特に興味深かったのが、土製の動物型玩具(埋蔵文化財センターのウェブサイトにも写真が掲載されています)です。中世のこうした玩具の実物をあまり見たことがなかったので、その繊細な造形に目を奪われてしまいました。なお、この玩具はまじない用で、お守りに使われていたようです。
こうした日用品からは人々の息遣いまで感じられるようで、文献などから読み取れるものとは違った当時の生活の側面が見えてきそうです。

ちなみに、姫路市埋蔵文化財センターの入館料は無料
御着城跡公園で当時に思いを馳せた後には、少し足を延ばしてリアルな御着城に迫ってみてはいかがでしょうか。

再び御着駅

妻鹿から始まった「ひめじの官兵衛1dayパス」の旅はひとまずここ御着で終了です。
ここからは姫路に戻って姫路おでんを味わってもよし。体力があれば英賀(詳しくはこちら)へと足を延ばしてみてもいいかもしれません。
次は、ブログをご覧のみなさんそれぞれで「ひめじの官兵衛1dayパス」を使った旅を描いてみてください。

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A:御着駅
B:御着城跡公園
C:姫路市埋蔵文化財センター


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黒田官兵衛周遊のすすめ(参) 姫路城と歴史館

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
引き続き、「ひめじの官兵衛1dayパス」こちら)を使って旅をしていきたいと思います。
(前回までの記事はこちら(壱)(弐)

姫路城内へ

大河ドラマ館から改めて姫路城内へ。
「ひめじの官兵衛1dayパス」に入城券はついていませんが、大河ドラマ館の出口で半額割引券をもらえます。大河ドラマ館→姫路城という順番で巡るのがお勧めです。

官兵衛の歴史館

城内の「リの一渡櫓」には「官兵衛の歴史館」が設けられていました。
館内では黒田二十四騎の紹介や鎧の展示などがされています。
大河ドラマ館と比べると地味な印象ですが、本物の櫓の中で歴史に触れることができるのは考えてみればなかなかすごいことですね。

姫路城の歴史は古く、中世にこの地にあった姫山に陣が敷かれたのが始まりとされています。城として整えられたのは赤松貞範が貞和2(1333)年に「姫山城」を築いてからのこと。ただし、当時の城は砦のようなものだったと言われています。造営当初は播磨の拠点とされていた城ですが、赤松氏が置塩城に、のちに城主となった小寺氏御着城に移ると御着の支城となりました。このときに城主となったのが小寺(黒田)職隆で、のちに、息子の官兵衛が城主となります。ただし、黒田親子の時代の姫路城も砦のようなものだったようで(大河ドラマ館に当時の模型が展示されています)、この地域の政治の中心は御着にありました。

西の丸長局(百間廊下)

歴史館を見学してから、城内を歩いてみます。
天守閣とその周辺は工事中で立ち入りができませんが、西側にある「西の丸長局」は見学することができました。こちらは「百間廊下」としても有名な建物です。

姫路城が現在のような城郭になったのは、天正8(1580)年に官兵衛が秀吉に城を献上し、その際に三層の天守閣が設けられてから。関ヶ原の合戦の後の慶長6(1601)年には城主の池田輝政が大改修に着手し、現在のような大規模な城郭として整備されていきました。
平成5(1993)年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、現在はご存知のように平成の大修理の真っ最中です。

十文字紋の鬼瓦

城内の「にの門櫓」でこんな鬼瓦を見つけました。
キリスト教の十字架があしらわれた鬼瓦です。
官兵衛がキリシタン大名であったことから、官兵衛が設けたものという説があるのですが、先述のように姫路城が今のような城郭に整備されたのは官兵衛が姫路城主だった時代のずっと後のこと。もしかすると、秀吉が造った三層の天守閣に官兵衛が瓦を提供していて、それが後の姫路城でもリユースされたという可能性もありますが、詳しいことは謎です。
ただ、官兵衛の生きた頃からすっかり様変わりした姫路城の中に現代でも当時の名残を見ることができるという風に考えると、急に官兵衛が身近に感じられ、ちょっと楽しくなってきます。

姫路城を巡り、満足してきたところですが、「ひめじの官兵衛1dayパス」の旅はまだ続きます。もう少々お付き合いください。
ということで、次回に続きます。

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A:山陽姫路駅
B:黒田屋官兵衛商店
C:大河ドラマ館
D:姫路城


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黒田官兵衛周遊のすすめ(弐) 姫路城と大河ドラマ館

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回(こちら)に引き続き、「ひめじの官兵衛1dayパス」(詳しくはこちら)を使って姫路周辺の黒田官兵衛ゆかりの地を巡っていきたいと思います。

山陽姫路駅

妻鹿から山陽電車に乗って山陽姫路駅に到着しました。
目指すは姫路城家老屋敷跡公園に設けられた「大河ドラマ館」です。
駅構内には「大河ドラマ館」の待ち時間の表示があって便利!
混雑を心配していたのですが、タイミングのいいことに待ち時間なしなので、急いで姫路城に向かうことにしましょう。

黒田屋官兵衛商店

姫路の繁華街・みゆき通をお城に向かって歩いていると、「黒田屋官兵衛商店」なるお店を発見しました。こちらはひめじ官兵衛プロジェクト公認ショップで、店内は黒田官兵衛にまつわるグッズがたくさん並んでいます。お土産の購入はここで決まりです!

足場に覆われた姫路城

姫路の市街地を抜けて姫路城に到着しました。
盛況だった大天守修理見学施設「天空の白鷺」が1月15日で閉館し、足場の解体が始まっています。一日ごとに足場が取り外されて変化していく姿は、これはこれで今しか見ることのできない貴重な光景…ですが、やはり、お城の姿が見たくなってきます。
姫路城大天守の公開再開は来年の三月とのこと。あと一年先が待ち遠しいですね。

大河ドラマ館

目指す「大河ドラマ館」はというと、ちょっと行きすぎてしまいましたので、家老屋敷跡公園へと戻ります。

大河ドラマ館は大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送に合わせてオープンした施設で、館内にはドラマの衣装やセットが展示されています。なお、「ひめじの官兵衛1dayパス」にはこの大河ドラマ館のチケットがセットになっています!

さて、この大河ドラマ館で私の個人的に興味深いのが外壁に施された模様。一体何の模様かと言うと、官兵衛の家臣「黒田二十四騎」の 兜の形と家紋をあしらっているのです。最近放送のドラマで活躍している栗山善助井上九郎右衛門母里太兵衛の兜と家紋はどれかわかりますか??

官兵衛の居室(※撮影可能エリア)

姫路駅の案内の通りに待ち時間なしで入ることができましたが、館内はかなりの混雑でした。ドラマの盛り上がりを感じます。
館内には撮影セットの再現があったり、官兵衛にまつわる史跡の紹介があったりと、小さい施設ながらも見ごたえがあります。官兵衛が城主だった頃の姫路城の再現模型など、私の好物の上に細かいところまで作りこまれていたので、しばし見入ってしまいました。

妻鹿、姫路を歩き、何だか既に官兵衛ゆかりの地を満喫したような気になってきましたが、「ひめじの官兵衛1dayパス」の旅はまだ半ば。先を急ぐこととして次回に続きます。

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A:山陽姫路駅
B:黒田屋官兵衛商店
C:姫路城を望む
D:大河ドラマ館


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