せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

赤松家の居城 ~置塩城をたずねて

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こんにちは、玄蕃允です。

黒田官兵衛ゆかりの地、置塩(おきしお)城へ行ってきました。

姫路中心部より北へ約10km。夢前町にある播磨最大の山城跡になります。
山陽姫路駅より神姫バスの「塩田・前之庄」行きに乗車すること30~40分。「宮置」という停留所で降ります。

停留所から案内板に従って15分ほど歩くと、置塩城のふもとである登山口に到着。登山口前には駐車場もあるようです。



置塩城(置塩山)の全貌


標高は370m。これはもうがっつり登山です。心してかからないといけません。
道中は親切にも道標があります。



ちなみに城跡にたどり着くには18丁も歩かなければなりません。30分ほどでなんとか城跡にたどり着きます。さらに本丸跡までは15分かかります。

置塩城ですが、文明元年(1469年)に赤松政則が築城したとされます。以後約100年にわたり播磨の守護職である赤松家の居城になります。ただし最近はそうではなく、16世紀の初めごろに置塩が守護所となり、実際に山城として整備されるのは16世紀の中ごろ、赤松政村以降とも考えられています。

赤松家は嘉吉の乱(1441年)を起こし、時の将軍・足利義教を暗殺したため断絶されますが、赤松政則が応仁の乱に乗じ、播磨・美作・備前の三国の守護に返り咲きます。
赤松家はこの置塩城を本拠にしますが、内紛が相次ぎ、次第に衰えていきます。

置塩城案内図


黒田官兵衛に関連するところで言えば、青山・土器山の戦いで官兵衛は姫路にて龍野の赤松政秀を一手に引き受けますが、主君の小寺氏は敵の別所氏などに備えてこの置塩城に籠ったとされます。

本丸跡


三の丸跡


南曲輪群跡


播磨を平定した秀吉は中国攻めの拠点として姫路城を改築しますが、天正8年に置塩城は廃城となり、解体された資材が使われたそうです。

本丸からの眺め


姫路の街並み、そして美しい播磨灘が一望できます。
ぜひすばらしい景色も見ることができる置塩城に足を運んでみてください!!

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A:置塩城
B:山陽姫路駅

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