こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路を歩いてみたいと思います。
姫路市立美術館の裏手は姫路城天守閣のちょうど東側にあたります。石垣の向こうには天守閣がそびえているのが見えました。
石垣の合間にあったのは喜斎門跡です。喜斎門は姫路城の搦手門ですが、今は石垣しか残されていません。この門の傍には馬で登城した藩士が馬をつないでおく「駒寄」と呼ばれる支柱があり、こちらの石垣の修理工事の際に支柱を立てた穴の跡が発見されました。同様の駒寄は大手門にもあったとされています。
現在の姫路城は安土桃山時代の終わりから江戸時代の初めにかけて、当時の城主の池田輝政が整備したものです。もともとこの場所には天然の山の姫山があり、城は山の地形を利用して作られた「平山城」です。大手前側から眺めると平野に城がそびえているように見えますが、城の東西に回り込んでみると急な地形が残されていて「山」を感じることができます。城の搦手、つまり、裏口にあたる喜斎門からは急な地形を生かしてあえて歩きにくい道を設けることで敵の侵入を防いだとされています。
喜斎門跡の奥には天守閣の石垣がそびえていました。姫路城といえば大手前から眺めた姿のイメージが強いのですが、こちらの喜斎門跡から眺めた真横の姿も最近は「映える」として注目を集めています。
搦手から三の丸広場へ出て姫路城の天守閣を眺めてみました。
三の丸広場では桜のつぼみが膨らみかけていました。訪問時は見ごろまでまだ時間がかかりそうでしたが、ちょうど今頃は満開になってるそうです。
この春は桜の海に包まれた姫路城だけでなく、城がたどってきた歴史を訪ねてみながら、お花見を楽しんでみてはいかがでしょうか。