せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

えびす祭と兵庫津・柳原を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、兵庫の柳原を歩いてみたいと思います。

福海寺

大黒祭が執り行われていたのは福海寺です。

福海寺は南北朝時代の康永3(1344)年の建立と伝わる古刹です。柳原蛭子神社と並ぶように佇んでいますが、実はこちらの方が長い歴史を持っています。建立は足利尊氏とされ、建立以来足利将軍家の信仰を深く集めていました。元々この場所には針ヶ崎観音堂というお堂がありました。新田義貞に追われた足利尊氏がこの観音堂で匿われて九州へ逃れ、再び兵庫の港に戻って京都へ上り幕府を開いたことから、ここ兵庫の海が尊氏にとって「福の海」であるとして、観音堂を今のような寺院として、この寺号に定めたとも言われています。

西惣門跡

柳原蛭子神社のある角には「西惣門跡」と刻まれた石碑がありました。この辺りはかつては兵庫津の街で、柳原蛭子神社や福海寺のある辺りには西国街道の兵庫への入り口となる西惣門がありました。明治時代初めころまで福海寺は堀と塀で囲まれた砦のような姿で、街を防御するための拠点としての性格も持っていたそうです。

兵庫大仏

福海寺から西国街道を歩き、能福寺を訪ねました。こちらも平安時代の延暦24(805)年に最澄が建立したとされる古刹で、明治時代に建立された兵庫大仏は兵庫のシンボルのような存在ですね。

兵庫運河

能福寺から少し歩くと兵庫運河に差し掛かりました。商業施設の向こうには兵庫津ミュージアムが開館しています。ちょうどこの辺りには兵庫の街の代官所としての機能を持つ兵庫城がありました。近代以降、港の中心は徐々に東へと移っていくこととなりますが、この街の持つ歴史と繁栄が今の柳原えびすの賑わいを支えたのですね。

兵庫運河の穏やかな水面を眺めてから、畔にある中央市場前駅から地下鉄に乗って帰途に就くことにしました。

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