せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

印南野台地の西・野口を歩いて(前編)

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まだまだ暑さが続いていますが秋を感じることが多くなったこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

東加古川駅

明石駅から山陽本線の電車に乗り換えて着いたのは東加古川駅です。
新快速は停まりませんが、駅の周りは商店や飲食店、ビルが建ち並び、少し賑やかな雰囲気です。

旧西国街道

東加古川駅から少し歩くとどこかのどかな雰囲気の住宅街が広がっていました。緩やかに曲がった道はかつての西国街道で、商業施設やマンションで途切れながらも町の中を通り抜けています。

街道の道標

街道沿いに「日岡神社」と刻まれた道標が佇んでいました。日岡神社はここからちょうど北の加古川沿いに鎮座する古社です。風雨でところどころ欠けた道標からは歴史を感じます。

五社宮野口神社

道標の近くに大きな神社が佇んでいました。こちらは五社宮野口神社です。

五社宮野口神社の楼門

鳥居の向こうには立派な楼門がそびえていました。訪れた時には楼門に茅の輪が設けられていました。

五社宮野口神社は江戸時代前半の慶安4(1651)年の創建で、比叡山の麓の日吉神社を分霊したと伝わっています。現在の野口神社という名前になったのは明治からで、それ以前は神仏習合の山王五社宮と呼ばれていました。明治時代に神宮寺が撤去されて、今の姿になったそうです。この地に神社が創建される以前この地には野口廃寺と呼ばれる寺院があり、境内は奈良時代にこの地にあった野口廃寺遺跡であるとされています。

五社宮野口神社の境内

五社宮野口神社の境内へ入ると、江戸時代前半の創建と伝わる本殿がそびえていました。

印南野台地の西端に位置し、段丘に沿って古くからの交通路の通るこの地は古くから開けていたようで、廃寺の遺跡だけでなく、数多くの遺跡が見つかっています。次回はもう少し野口を歩いてみたいと思います。

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