せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

網干・魚吹八幡神社を訪ねて(前編)

投稿日:


小正月を過ぎて、正月気分も薄れたころ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽網干駅

飾磨駅から網干線の電車で着いたのは山陽網干駅
山陽電車の西端です。

網干の景色

網干の街は山陽網干駅の浜側一帯に広がっています。一方で山側へ向かうと住宅地と田畑の広がるのどかな景色です。

住宅地の中の楼門

住宅地の向こうに立派な楼門が見えてきました。こちらは魚吹(うすき)八幡神社の楼門です。

魚吹八幡神社の楼門

そびえたつ楼門は圧倒されるような大きさです。こちらの楼門は兵庫県の文化財に指定されています。

魚吹八幡神社は長い歴史を持った神社ですが、その創建には諸説あるそうではっきりとした時期は分かっていません。伝説では、はるか古代の神功皇后3(202)年、三韓征伐の際に神功皇后宇須伎津(うすきつ)と呼ばれたこの場所へ立ち寄り、社を建立したのが始まりとされています。平安時代の末に京都の石清水八幡宮の別宮となって今のように魚吹八幡神社と呼ばれるようになりました。

魚吹八幡神社の境内

境内は広く、鬱蒼とした木々に守られているような空間が広がっていました。もとの社殿は戦国時代の天正4(1576)年に兵火によって焼失し、現在の社殿は江戸時代初めの正保2(1645)年に再建されたものです。趣のある本殿は楼門とともに県の文化財に指定されています。

徳寿院

神社の隣には寺院がありました。こちらは徳寿院という真言宗の寺院です。神社と比べると小ぢんまりとしていますが、もともとは魚吹八幡神社の神宮寺として建立された寺院です。江戸時代までは八幡神社の境内にありましたが、明治時代に入って等覚院というやはり八幡神社の神宮寺だった寺院の跡地のこの場所へ移転しました。「カエル寺」とも呼ばれているようで、確かに境内はカエルの置物がたくさんあり、楽しそうな雰囲気ですね。

田園地帯に佇む歴史ある神社。魚吹八幡神社とその周辺をもう少し歩いてみたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。