せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

古代遺跡と的射・藤江を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、藤江を歩いてみたいと思います。

藤江別所遺跡

藤江漁港から青龍神社の方へ戻りました。山陽電車の築堤の下に水道施設があり、その柵の中に石碑がありました。こちらは藤江別所遺跡です。

藤江別所遺跡は弥生~古墳時代頃の祭祀の跡が見つかった遺跡です。さらにこの辺りは「鉄船の森(かなふねのもり)」と呼ばれて、伝説では鉄製の船がこの辺りに沈んだために、鉄分を含んだ水が湧き出すようになったそうです。発掘調査でも鉄分を含む水が湧き出す井戸の跡が見つかったそうです。一説では、この地域を治めていた豪族が鉄分の吹き出す井戸を神聖なものとして扱い、祭祀の場としてしたともいわれています。

御崎神社

藤江別所遺跡から坂道を上ると、神社の境内へ入りました。こちらは御崎神社です。

御崎神社の境内

御崎神社の境内は広々としています。その中で気になる盛り土のようなものがありました。こちらは「藤江の的射」に使われるものです。神事ではこの段々状の土盛りの上に的が据え置かれます。奥のネットは矢が木々の向こうの山陽電車の線路に落ちるのを防ぐためのものです。

「藤江の的射」は毎年1月に御崎神社で開かれる弓矢の神事で、明石市内に残る唯一の弓矢の民俗芸能とのことです。伝説では神々を乗せた船がこの辺りを通りかかった際、船夫が錨を誤ってアカエイの鼻に下ろしてしまいました。怒ったアカエイは船を沈め、船夫は悪霊となりました。この悪霊を鎮めたのが御崎神社の山王権現で、それに因んでこの「藤江の的射」が執り行われるようになりました。

藤江の的射

御崎神社の創建は南北朝時代の応安5(1372)年とされますが、アカエイの伝説は先ほどの「鉄船の森」と結び付けられるような説もあり、祭祀の場としてはとても古い歴史があるのかもしれません。ちなみに、「藤江の的射」は新型コロナウィルス感染拡大の影響で長らく中止が続いてきましたが、2023年は3年ぶりに明後日1月15日に開かれる予定です。

的射は年に一度ですが、住宅地の中に祭祀の場が佇む藤江を歩くと、この地が海の幸の恵みを受けて古くから人々が生活を営む場所だったことが伺えます。まだ寒い季節が続きますが、古式ゆかしい祭祀の地を訪ねてみてはいかがでしょうか。