せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

城南・総社への道(後編)

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新年明けましておめでとうございます
本年も「せっつ・はりま歴史さんぽ」をよろしくお願いいたします

播磨国総社

新年最初に訪れたのは姫路の「播磨国総社」こと射楯兵主神社です。

総社の境内

提灯が飾られた境内はお正月の装いです。三が日には大変な混雑だったようですが、まだまだ賑わっていますね。はるか平安時代の創建とされる射楯兵主神社では20年に一度の三ツ山大祭と60年に一度の一ツ山大祭が知られています。ちょうどこのブログがスタートした時は第二十二回三ツ山大祭が執り行われていました。

正法寺

さて、前回訪ねた赤鹿稲荷神社から北へ、ちょうど総社の南東辺りに差し掛かりました。街中に佇んでいるのは正法寺です。もともとは別所の佐土にありましたが、天正9(1581)年に総社の西門あたりへ移り、池田輝政の城下町整備の際に現在の場所へ移されました。この正法寺が面する通りに沿って寺院が集められたため、通りを「寺町筋」と呼ぶようになりました。

善導寺

交通量の多い城南線を越えた先にも寺町筋は続いています。住宅地の中で目立つ大きな寺院は善導寺です。

善導寺の境内

広い境内には巨大な本堂が佇んでいました。

善導寺は平安時代の寛仁元(1017)年の創建と伝わる古刹です。広い境内からも由緒ある寺院であることを感じさせます。もともとは姫路城の東側、現在は姫路医療センターや姫路東高校のある「梛本(なぎもと)」という地区にあり、梛寺(なぎでら)と呼ばれたそうです。しかし、輝政の改築の際に梛本地区自体が城内に含まれることになったために現在の場所に移されました。ちなみに、この梛本には射楯兵主神社もありましたが、こちらは善導寺の少し前の天正9(1581)年、秀吉の姫路城改修の際に現在の場所へ移されています。

再び総社へ

善導寺から再び総社へ戻りました。参道にそびえる石鳥居は江戸時代前期に姫路藩主を務めた榊原忠次の寄進です。総社もまた、歴代の城主の寄進を受けて発展してきました。姫路の城下町の中心ともいえる城南を歩くと、歴代の城主の足跡を感じることができるようです。

年末にもご紹介しましたが、「せっつ・はりま歴史さんぽ」は今年で10年目となります。引き続き山陽電車沿線(とそのほかのエリアも)巡り、ご紹介していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。