せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

伊保崎を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、伊保崎を歩いてみたいと思います。

延寿寺の境内

延寿寺の境内は緑があふれ、広々としていました。

寺の街の景色

延寿寺を出るとこんな景色。白い塀が続く景色はどこか奈良や京都のような雰囲気を感じます。古い地図でもこの辺りには寺院が集まっていて、小さな寺町のような雰囲気だったのかもしれません。

真浄寺

延寿寺のすぐそばにあったのが真浄寺です。
こちらも延寿寺と並び、伊保崎の町を見守ってきた寺院ですが、こちらは併設された保育園が目立ちます。

網堂

さらに伊保崎の街中を歩いていると現れたのは小さなお堂の網堂です。

先日訪れた播磨の善光寺こと時光寺時光上人なる人物が創建したとされています。この時光上人はもともと源経家と名乗る武士で鎌倉幕府に仕えていましたが、寛元元(1243)年に出家しました。経家は摂津の寺院を経てここ伊保崎村にあった心光寺で修業を積むこととなります。その心光寺があったのが、この網堂であるとされています。

網堂の境内

住宅地の中に佇む網堂には春の穏やかな日差しが差し込んでいました。

のちに廃寺となった心光寺の跡地には、時光上人が時光寺の阿弥陀如来像を海中から引き上げた際に使った網が埋められ、その名も「網堂」と呼ばれるお堂が築かれました。ちなみに、このお堂の中には古墳時代の石棺の蓋石に室町時代に地蔵立像を刻んだ石棺仏が納められています。

法華山谷川

網堂から少し歩くと法華山谷川に出ました。

住宅地の中に眠る史跡は、古くからこの地の物流を支えたこの川があったからこそ生まれたものだったのでしょうか。また大変な世の中となってしまいましたが、今こそ、身近なスポットに目を向けてみる機会なのかもしれません。

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