せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

浪速の住吉を訪ねて(前編)

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寒い日が続くこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

住吉大社駅

今回訪れたのは南海電車の住吉大社駅
山陽沿線で「住吉」といえば、神戸市東灘区の住吉を思い浮かべるか、明石の住吉神社を思い浮かべるか…というところですが、こちらは大阪の「住吉」です。

住吉公園駅跡

南海電車の駅前には阪堺電車の住吉公園駅の跡がありました。「日本一終電の早い駅」として知られていた住吉公園駅ですが、ちょうど一年前に廃止となり、現在、駅舎は当時と変わらない姿で残っていますがホームと線路の跡はすっかり駐車場となっていました。

住吉鳥居前

駅から歩いてすぐに電車の行き交う電車道に出ました。傍にある電停の名前はその名も住吉鳥居前電停。目の前には住吉大社の鳥居がそびえていました。

住吉大社は神代の221年に神功皇后が朝鮮征伐の帰途、務古水門(むこのみなと)で船が進まなくなり、神託に従ってこの地で住吉大神を祭ったのが始まりと言われており、非常に長い歴史をもっているといわれています。ただし、この話、以前訪れた東灘区の本住吉神社の由緒に似ているような…。

住吉大社

住吉大社の境内は賑わっていて、奥の第一本宮前には行列ができていました。神社の本殿は南側に向いていることが多いのですが、ここ住吉大社では第一から第四まである本殿のすべてが西側…つまり、大阪湾に向かって建てられています。

同じように海に向かった神社といえば、明石の魚住にある住吉神社が思い浮かびますね。住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によると住吉大神から播磨へ移りたいと神託があり、神託に従って藤の枝を流し、枝が流れ着いた場所に社を築いたのが明石の住吉神社の始まりとされているとのことで、実は名前以上に住吉大社と深い関わりがあります。また、魚住は神功皇后が朝鮮征伐の帰途に暴風雨で船が進まなくなった際に住吉三神に祈った地でもあるとされています。何だか似たような話が入り混じっていてだんだんよく分からなくなってきました。

楠珺社

境内の外れに楠珺社(なんくんしゃ)という末社がありました。住吉大社では毎月最初の辰の日にこの楠珺社など四か所の末社を巡る「初辰まいり」というお参りがあります。それぞれの社では変わった授与品があり、ここ楠珺社ではかわいらしい招き猫(招福猫)をいただくことができます。この「招福猫」を毎月のお参りで集め、48体集めると中猫に交換、さらに、中猫を2体に小猫を48体集めるとようやく大猫に交換で満願となるとのこと。左右両方の大猫を揃えるにはなんと24年! 気が遠くなりますが、達成感はあるでしょう。信仰心からだけでなく、楽しみながらお参りができるこのシステムを考えた昔の人はなかなかのアイデアマンだと思います。

住吉大社を歩いてみたところで、次は地形から住吉を見ていきたいと思います。

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